1991年、竹下派経世会のけつを舐めて、宮澤はやっと総理になれた。総理として何もビジョンの無い宮澤だが「権力欲」だけは有ったのだろう。
屈辱的な「小沢面接(小沢一郎、当時は自民党)」も耐えて、竹下派の支持を取り付け総理になれた。
当時の自民党の「ドン」で「宮澤嫌い」で有名だった金丸信が、記者会見で苦虫を噛み潰すように「我が、経世会は宮澤喜一君を支持することに決めました」
と言う不機嫌極まりない表情を今でも覚えている。余程生理的に嫌いだったのだろう。
★しかし、宮澤内閣は散々だった。
★国益、「日本国の誇り」を散々踏みにじった総理と言う点では、小泉ちょん一郎に次ぐ第二位だろう。
①謝罪する必要のない「慰安婦騒動」で、将来に禍根を残した「河野談話」を発表させた。
のみならず、自らソウルに飛び、盧泰愚大統領に一日8回も謝罪した。
元公安調査庁第二部長の菅沼光弘氏が、著書でこう述べている。
「韓国、朝鮮人には絶対に謝罪してはならない。何故なら韓国人は謝罪されると、そこに身分の上下関係が生じだと確信するからだ」
★要するに、謝罪する日本人を見ると韓国人は、腹の中でこいつは白丁(ペクチョン:韓国の穢多・非人)だと見下げるわけだ。
②アメリカの「反日」クリントン大統領から、「対日年次要望書」を唯々諾々として、受理したこと。
この要望書は、日本の市場や産業構造を、「アメリカに都合の良い様に作り変えることを要求する」、属国日本のここに極まれり
の制度だった。年次だから、毎年新しいのが来て、「厳しいノルマ」を突き付けるのである。ちなみに、「対日年次要望書」は
民主党政権ができてすぐ、鳩山由紀夫首相が、ヒラリー国務長官に受け取りを拒否して終了した。
③天皇の政治利用;中国共産党に懇願されて、今上と美智子を訪中させた。これについてはその結果、裏切った中共が「反日教育」
をされたこと。国内の人権弾圧と、ウィグルら、国内少数民族の虐殺に繋がり、現在に至っていることは過去記事で述べた。
≪自民党内の政争に漂流し無様な最期を迎えた宮沢政権≫
宮澤を支える自民党最大派閥の竹下派内では、小沢一郎と梶山静六の権力抗争「第二一六戦争」が勃発していた。
破れた小沢は、「政治改革=小選挙区制」を錦の御旗に、羽田孜ら、ほぼ半数を連れて、竹下派を離脱した。
そして、野党の出した「内閣不信任案」に、「羽田派」が賛成票を投じることによって、不信任案が可決され、解散総選挙となった。
選挙の結果、自民党は単独過半数を失い。宮澤内閣は総辞職に追い込まれた。
*写真は宮沢を生理的に嫌悪していた、自民党のドンの金丸信
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