1971年、三代目宏池会会長に就任した大平正芳は、1980年の「ハプニング解散(偶然の重なった解散)」後の
総選挙中6月12日に急病死するまで、9年間生涯会長の座にあった。
喋る時の癖から、1978年の総理就任前後は「あ~う~総理」と呼ばれ、小学生にも親しまれた。しかし、本人はこういわれることを結構気にしていたらしい。
私個人としては、出自は別にしても、政治家としての能力、人物、識見ともに非常に尊敬していた懐かしい総理大臣だ。
また、楽しかった大学時代の総理として、「青春の思い出」とオーバーラップする面もある。
決して、男前とは言えないが、笑った顔には得も言われぬ愛嬌が有り、「優しい祖父」をイメージできる人だった。
本人は「讃岐の貧農の倅」と自称したが、それを恥じることなく、のちに洗礼を受けたキリスト教を通じて、人格を自ら陶冶されたのだと思う。
彼が、極めて有能な政治家であることは、若くして、外務大臣に就任してからの、目覚ましい業績が証明している。
日韓基本条約の締結は困難を極めながらも、見事、交渉を妥結させた。その他、通産大臣や大蔵大臣も無難にこなした。
むしろ、総理の座が手に届きだしたころからと、総理になってから、反主流派の福田赳夫や、三木武夫に政争を挑まれ続けて
真価を発揮できなかった。2年弱の在任期間であったが、健康さえ持てばもっと長くやってもらいたい総理だった。
★大平を宏池会会長に担いで、クーデターをお越し、その後、大平が心筋梗塞で急死するまで看取った腹心がいる。
福岡県田川市、出身の田中六助と言う政治家だ。大平を死ぬまで支え、死後もその能力を買われ、中曽根内閣でも重用された。
≪宏池会のキーワードは、東大出、高級官僚、部落出身者≫
田中六助は、上記の条件を満たさない、宏池会の幹部としては異色の政治家だった。
早稲田から、日経新聞の記者になり、池田勇人から可愛がられ、政治家になった。
出身地の田川氏は、「炭坑節」の発祥地で、遠賀川(おんががわ)の流域で、住民は、川筋者と呼ばれ、侠気(おとこぎ)が厚いと言われる。
田川氏は麻生同和太郎の飯塚市の真西なので、もしやと思い、チェックしてみたら、
【出身地】福岡県田川郡上野村→現・福智町・・・・ドンピシャ全国部落名鑑記載の地区と一致する。
★ちなみに、池田勇人の出身地;広島県豊田郡吉名→竹原市吉名町・・・・ドンピシャ一致
宮澤喜一;本人は東京出身だが、父親の宮澤裕(ゆたか)は、広島県沼隈郡金見村→福山市金江町金見・・・ドンピシャ
尤も宮澤については、同郷の部落活動家、小森龍邦から、出自を暴露されている。
宮澤は激怒した。事実と違うなら無視すればよいのに・・・・
現外相で麻生同和太郎と二階がポスト安倍で担ごうとして、その気になっている岸田文雄は、三代の世襲政治家で
宮澤の甥の洋一(元大蔵官僚で政治資金をSMクラブに支出して問題になった)従兄弟・・・ここでピンときたので確認すると。
祖父の岸田正記の出身地は、広島県賀茂郡西志和村・・・ドンピシャ一致です。
★ついでに、宮澤喜一の母方の祖父の故小川平吉鉄道大臣・・・信濃の国諏訪郡御射山神戸村→現諏訪郡富士見町・・・ドンピシャ一致
堤康次郎・・・滋賀県愛知郡八木荘村→現・愛知郡愛荘町・・・・ドンピシャ一致
≪部落民は同胞に集まるフェロモンを発しているのか?宏池会は部落民が多数≫
★会津人らしい政治家と言われた、伊東正義氏や、岩手の漁師出身の鈴木元総理は、白河の関以北なので違うだろうが・・・・・
≪田中六助は、古賀誠の師匠≫
同じ福岡県出身だからか、高学歴、官僚の条件を満たさない、異端のせいか?
古賀誠は田中六助に指示していた。
*写真は田中六助(左)と古賀誠
◆この記事に興味を持たれた方はクリックをお願いします!
◆冷静に政治経済を語ります
◆占い専門ブログです
【一般読者様へ】
鑑定の御相談は下記メアドまでご連絡ください。 尚、携帯電話からメールする人は必ずドメイン設定を解除してください。
harunohi807@gmail.com