私は、昨晩遅く記事をアップして、ベッドに入ったが「悶々」としてよく眠れなかった。
大変、貴重な情報を頂いたが、記事にするのを禁じられた情報も多く、「ハノイの件」の様にぼかされて教えてもらえなかった重要ポイントも多かった。
記事にした後、物凄い「消化不良感」に襲われたのである。
それで、期待はしていなかったが、お昼前に思い切ってこちらから電話してみることにした。以下はその電話のやり取りである。
私「伏見です」
元高官「おお!どうした(笑)」
私「おくつろぎの所、申し訳ありませんが、昨晩の件で追加の質問が有りまして・・・」
元高官「ああ、構わないよ。今日は家内も銀座に買い物に出てるところで、私も暇つぶしに読書をしているところだ。まあ時間的に余裕はあるが、答えられないことは答えないからね(笑)」
私「承知しております」
元高官「で、聞きたいことって何だい?」
私「昨晩、記事に書き忘れたのですが?「ハノイの「ブツ」の件、重要だと思うので書いてよろしいでしょうか?」
元高官「ああ、例の、「ハノイで政府専用機2機に「重いもの」を一杯に積み込んで帰国した」と言う箇所だね。別にそのままの表現なら構わないよ。でもそれ以上は現時点では答えられないね。」
私「御許可有難うございます。」
元高官「ところで「ハノイの真意」はわかったかね?」
私「申し訳ありません。皆目見当が付きません。」
元高官「そうか・・・君なら「解答」を見つけられると思ったのに。ちょっと買いかぶりすぎたかな?アハハ(笑)ところで君は「戦後」と言う時代区分についてどう思うかね?」
私「はい、昭和32年に経済企画庁のエコノミストの後藤誉之助が経済白書で「もはや戦後ではない」と記載したので、「戦後」は終わったのではないですか?」
元高官「甘い、甘い、「木を見て森を見ず」はだめだよ。君が過去に書いてきた記事をつなげてみると、自ずと「大きな絵」がかけるじゃないか?」
私「そう言いますと?」
元高官「わかりが悪いようだから、最初から丁寧に説明しよう。1945年8月15日以降、GHQの7年間の占領統治と当時の長期政権の吉田茂総理が全てを決めたんだ。
連中はドイツ系ユダヤ人が作成し、ヒトラーによって無効化された「ワイマール憲法」をほぼ丸写し同然に置き換えて、やっつけ仕事で「日本国憲法」を作って押し付けたんだ。
しかも、国民に「自衛権」も与えず、事実上、「国防軍」である自衛隊を「継子扱い」して苛めている。
★特に注意すべきは「ポツダム宣言」の受け入れだ。広島、長崎に2発の原爆を落とされても、尚も日本は「受諾」しなかった。
何故か?大日本帝国の「譲れない線」の「国体の護持」の確約が取れなかったからだ。しかし、その後、永世中立国スイスで活動中のOSS(CIAの前身)のアレン・ダレスとスイス駐在日本武官との間で
「国体護持の確約」が取れたので、お上(昭和天皇)と側近たちも安心してポツダム宣言を受諾して、海外の戦地の日本兵にも「停戦」を呼びかけたんだ。
しかし、日本側が理解した「国体の護持」とは「皇室制度の悠久なる護持」だったが、連合軍側特にアメリカ政府、トルーマン大統領の意向は違った。
彼らの真意は、単に「昭和天皇個人」を戦犯として「訴追」しない。その一点だった。
戦後の「日本占領」を想定するに当たって、国民が尊崇する昭和天皇を生かしたほうが、反乱や暴動も起きず、結果的に「占領コスト」が安く済むことがわかっていたからだ。
実際そうなったし、GHQの「日本占領」「日本改造」は順調に進んだ。この時点では、GHQも「皇室」を廃止しなくて良かったと思ったはずだ。
ところが、GHQの「天皇観」は有る事件を通じて180度変わることになる。
*写真は「終戦の日」から半月立った8月30日に征服者として厚木空港に到着したマッカサーGHQ総司令官
(続く)
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