伏見様及び読者の皆様:
先週、インドへの入国ビザの更新があったので、文京区茗荷谷のインド・ビザセンターに出向いた。
その手続きを終えると、昼過ぎ近くだったので近くのラーメン屋に入りへ。
私は大体、知らない街で食事を摂る際には、「タンメン」と「ギョーザ」を注文する。
これは、私のカンだけど―塩辛くて豚ラード系の脂っこい味は、学生と労働者の街。
そして、ゴマ油と鶏肉系ラードの味は、住宅街や専門職のサラリーマンが多い街に分類できる。
茗荷谷は正に、前者の味付け。量が多くて不味かったので、半分以上残した。中国人や朝鮮人が作ったのかしら。
その注文品がテーブルの上に出るまで、私は店に備え付けの漫画本を読んでいた。
そう、私がその漫画に熱中したのは小学校低学年時の「ゲゲゲの鬼太郎」と「あしたのジョー」。
中学校では、「カムイ伝」や「愛と誠」をよく読んだ。だから、高校・大学・サラリーマンの時代は、ほとんど読んでいない。
偶に、同僚や部下が会社に持ち込んだ「ゴルゴ13」を読んで、その国際情勢をコメントするぐらい。
黄昏流星症候群―引兼憲史作の今回のストーリーは、閉山・廃鉱になった長崎県の軍艦島に
定年退職したサラリーマンがツアーで訪れることから始まる。その主人公の草加登(くさか・のぼる)は
乗船したボートがその軍艦島に着くや否や自分の過去の扉を開いてしまう。
時代は1960年代半ばに遡及し、主人公の高校生が東京の難関大学を目指し、勉強している姿が映し出される。
そして、机の上の参考書群は「日本史」「英語」「国語」の順。でも、時代考証を的確に描写するには、
「旺文社のラジオ講座テキスト」「赤尾の豆単」「研究社の英語ハンドブック」「英和辞典」「古語辞典」
「山川の歴史年表」の順では?だから、ちょっと弱い。恐らくこの受験生は、作者同様に私大文系を目指すのでしょう?
ある晩、草加登が勉強の息抜きでこの軍艦島内を散歩していると、神社の境内前で酔い潰れて寝込んでいる年上のオンナに出会う。
その名は、倉橋照子。近所の飲み屋で働いているんだけど、客を取って売春をしているのが専らのウワサのヤバイ女。
往年の「ミチコ」を想起させる。それで、このオンナからセックスの手解きを受けながら、主人公の草加は受験勉強に邁進する。
私はここで、中上健次の名作「十九歳の地図」を思い出し、高評価だったんだけど。
しかし、ある晩-その倉橋照子が血の付着した「包丁」を持って来たところで、ストーリーは急展開する。
彼女はしつこい客の一人をその包丁で殺害してしまった。どうしよう?この主人公は女に警察への自首を勧めるが、相手は拒む。
そして、証拠隠滅を図るためにその包丁を炭鉱外部に設置してあるトロッコ列車の枠組みで、亀裂が入った柱の中に隠す。
う~ん。やっぱり、漫画ですね。文学だったら、年上オンナの照子と共謀して主人公の登は、客の死体を遺棄して島を離れ、逃避行の生活。
それから、包丁殺人者との奇妙な同棲生活が始まる。そんな感じ。森村誠一あたりが書きそうだけど。「人間の証明」ならぬ「女体の証明」で。
私が習字を習い始めたのは、小学校3年の11月から。その頃、私はもう一つ塾に通っていた。
こっちは高齢女性が教えるピアノ塾で、毎週月・金の2回。個人的には、この先生の口臭と入れ歯の音が酷くて、行くのが嫌だった。
勿論、母親に懇願しても「ガマンしなさい」の一言。でも、習字の先生の方は当時の親友も通っていたし、見学に行った時の印象も良かった。
年齢は30代後半ぐらいで、何時も品の良い着物をお召しになっている方。女優の三ツ矢歌子のちょっと似ていて、
何処となく色っぽい女性。ある時、「さあ、交換しましょう。目を閉じて」と云われて、瞳を閉じると。
筆で私の唇に何かを描いている感じがした。それで、先生は修正・添削用の赤の墨汁で私の口元から魚拓ならぬ「口拓」を取った。
そして、帰り際に私は先生の口拓を頂いた。今は何処にあるか判らないけど。
そして、様々な賞を取ったこともここに付け加えたい。東京都武蔵野市主催の小学校習字コンクール「金賞」や
同三多摩地区の同コンクール「金賞」から東京都主催の「銀賞」授賞まで。でも、そのタネを明かすと、先生が随時、
隣で私の筆を持ってくれ、私はそれをなぞっただけ。だから、贋作ならぬ「筆作」の完成。オンナの熱い吐息と一緒に。
それから、この先生との習字指導は不思議と、「一対一」で行われたこと。今もって、その理由は判らない。
でも、その当時の親友の言葉が忘れられない。「先生はオマエのことを初恋の人や死んだ息子と思っているんじゃない?」事実、
そうだったかもしれない。そして、この先生は私が小学校5年生のクリスマス前にガス管を銜えて自殺。意外と文学的な方だったかもしれない。
そんな感じで、もう一度「黄昏流星症候群」を。通常の漫画と違って、ストーリー性があることは評価できる。
でも、文学作品に成り得ないのは、主人公や登場人物が死に向かって歩いていないこと。
そのある意味で観念・唯物論な展開がないから、中途半端なドラマツルギーしか成立しない。
「我思う故に此処にあり」(I think therefore I am)。次回作からは、病院や警察庁の遺体安置所の検死官の事件簿を最大限の
「創作モチーフ」にして、そこの様々な死体群から一つを選択して、彼らの生前の活躍・活動している姿に遡及させるのが得策なのでは?
これは正しく、文学作品に成り得る。ドフトエスキー顔負けかも?
そして、キーワードは、「死体に防腐保存処置を施す」エンバームではなく、「死体を周囲に長く記憶に留める」エンバーミムド(having being embalmed)。
また、黄昏流星症候群の「意訳」も頂けない。出身学部が音楽評論家萩原健太と同様な英語力なのでは?
これは、何処かの国のオンナ防衛大臣と同じ言語学力かも。キツメの網タイツを履いて。
Now to read: LIKE SHOOTING STARS IN THE TWILIGHT
Amended to read: LIKE MORNING GLORY IN THE DAWN
『でれでれ草の英語塾』ではないから、詳しい説明は省くけど。直訳で「星を打つ」(shoot stars)は、
大きな野望を抱いて夢が実現すること。歌詞では、バッド・カンパニーの初期の作品に出てくる。
従って、「流星症候群」(shooting stars syndrome)の意味にはならない。もう一つの「黄昏」(twilight)。
これは、天体の専門用語で、東日本大震災の時にN・Y・T紙が報じた「日本人は非常に忍耐深い国民」
(Japanese are resilience people)に近い。つまり、何かの大災害や出来事が招来しない限り、
「専門用語」は日常口頭語には決して、降りて来ない。これはキリストの降臨と同じ。なお、レジリアンスは「物理学用語」。
そして、新たな意訳の「朝の栄光」(morning glory)は、オーストラリアやニュージーランドの
Down-Under(地球の一番下の意味)英語圏では、独特の意味を持つ。オトコの「朝勃ち」とオンナの「朝濡れ」のこと。
だから、「黄昏の中で大きな野望を実現するが如く」(LIKE SHOOTING STARS IN THE TWILIGHT)ではなく、
「夜明けの中で朝勃ちや朝濡れするが如く」(LIKE MORNING GLORY IN THE DAWN)が相応しいかも?また、翻訳料金は別途請求。
では、片目のダヤン
追記:開高健のエッセイの中で、寿屋(現サントリー)の「コトブキ」の一文字を習字で表示して、
元旦の広告一面で出すことが社内で決まった記述があった。そして、同広報部に勤務していた開高健は、
とんでもないアイディアを思い付く。女性の書道家に懇願して、女性のアソコで筆を持って頂き、書を描く。
このオチは、元旦早朝に開高健の自宅に上司から電話が入り、その上司曰く「エエ字やで。一体、誰がお描きになった書や?」
「篠田桃紅(しのだ・とんこう)先生ではありませんが。限りなく近い書道家の方です」と、開高。
ひょっとして、私の習字の先生がお書きになったかも?実際、私はそう思っている。
*写真は昭和の名女優、三ツ矢歌子、2004年没(67歳)
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