鎮圧された後の宏池会の分裂
この政局の結果、加藤派・宏池会は以下の様に分裂した。
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加藤と行動をともにしたグループ(加藤派)
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o 加藤、小里のほかに原田昇左右、森田一、谷垣禎一、川崎二郎、逢沢一郎、園田博之ら。
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反対したグループ(堀内派)
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o 宮澤喜一(前派閥会長)
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o 鈴木善幸(前々派閥会長、1990年の衆議院選挙で政界を引退していたが反対を表明した)
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o 池田行彦(宏池会創世の池田勇人の娘婿)
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o 丹羽雄哉(加藤の政権構想執筆者)
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o 堀内光雄・・・山梨県富士急ハイランドのオーナー社長。息子は慶應の経済で私の同期、孫は三流女性誌に佳子様の交際相手と書かれたが
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勿論「嘘記事」だった。
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o 古賀誠(加藤の側近中の側近)・・・・側近中の側近の裏切り、この人も「修羅の国・福岡選出議員で部落民だから、ごく自然に裏切ったのでしょう。
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o 太田誠一・・・昔有名な事件「早稲田大学のスーパーフリー事件」で「若いんだから強姦できるぐらいが元気がいい」と発言し、バッシングを受けた。
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• 期待を裏切らず、福岡県選出で「在日朝鮮人」
宏池会の源流的存在の宮澤・鈴木・池田らが反対に周り、加藤の有力側近まで反対に周りベテランは追従し、宏池会の大勢は反対が決定的となった。
両グループは2008年に合流するまで双方が宏池会を名乗る異常事態となっていた。
★2008年に、古賀派と加藤の後継者の谷垣グループが合併し「中宏池会」ができたが、加藤の弟子谷垣は裏切りの先方となった古賀に対する怨念が消えず
2012年の総裁選で再度分裂した。よって今は、正統な「宏池会」は存在しない。
その後の加藤派[編集]
当時、世論の森政権・自民党への支持が極端に低かったことから、加藤への期待感がとても大きかったにも関わらず、
離党は拒否し、投票も棄権したことにより逆に加藤への失望感や批判が渦巻いた。
加藤派の人数が大幅に減少し第2派閥から第6派閥に転落したこと、内閣改造と党役員改選によって加藤派の小里貞利が総務会長を離任し、
森田一や吉川芳男が閣僚離任したことによって、加藤の党内影響力が大幅に低下した。
加藤派の後継である小里派の最高顧問に就任したが、加藤及び小里派の政界影響力には既に限界があった。この様なことから、
小里派も派の看板を将来の総裁候補と呼ばれていた谷垣に切り替えた。谷垣は小派閥出身者ながらも小泉内閣で財務相に就任し
ポスト小泉の一人として認知されるようになった。
*写真は親友の加藤紘一を普通に裏切った、小泉純一郎の若い頃。まがう事なき朝鮮顔、北朝鮮のテロリストか?
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