執行部の切り崩し工作
執行部は加藤の同調者への切り崩し手段として、公認権を最大限活用した。
野中は内閣不信任案が可決された場合、森内閣に解散総選挙を求めるつもりであった。野中は2000年11月17日に、
都道府県連に総選挙の準備を指示している。同時に不信任案の採決に賛成したり欠席したりした議員は除名もしくは公認しないことを決めた。
また、小選挙区支部長の「差し替え」、つまり対立候補の擁立も考えていたという。
二大政党による対決が中心となる小選挙区制では二大政党の候補とならないと当選するのは難しい。
また第一野党である民主党への合流という選択肢を事実上封じている中で元々の所属政党である自民党から公認されないことになると、
二大政党間で埋没する中で当選が難しい選挙になってしまう可能性が出てきたため、加藤の同調者の多くは動揺し、
加藤は同調者を十分集められなかったのである。
切り崩し終盤には加藤・山崎に除名届を内容証明郵便で送るなど徹底して除名の意思を崩さなかった。
まず、加藤との決別を表明したベテランメンバーの中に宮澤の名前があったことが大きかった。
それに続いて、切り崩しが進み形勢が微妙だった時点で加藤の政権構想立案を担当した丹羽雄哉や
加藤の側近中の側近と言われた古賀誠が離反したことで形勢は一気に決まった。
★クーデター(社内の権力抗争)は、私も会社員時代に参加したり作戦を立てたりしたことは有るが、「事前準備の秘匿性」と
「戦機」を逃さないこと、この二つが完璧でないと失敗し、逆に返り討ちに会う。
「政界の狙撃手」と言われた、野中広務氏の方が数段上だったわけだ。
後に、この「公認権」を使って、反対派を寝返らせる手法は、小泉ちょん一郎が真似して、2005年の「郵政解散」
で真似している。
最終局面
党内の国会議員に同調者が広がらず、ベテラン議員の中に保守本流を自認する自派が党を割ることや野党の不信任案に同調するという
禁じ手への不満・不安がある中で、野中を中心とする執行部が除名を強硬に主張して切り崩された結果、
加藤の腹心でもある小里貞利総務会長の説得を受け入れ欠席戦術に切り替えた。
これを加藤は涙ながらに「名誉ある撤退」と呼んだ。
谷垣涙の制止「大将なんだから」
加藤派の議員が切り崩された中で敗北を確信した加藤、山崎が両派合同総会を開き、
その後の対応を協議する場面の一部がそのままテレビで放映された。
会合は、午後9時30分よりホテルオークラ東京で開催。途中、加藤・山崎の2人が単独で議場で不信任票を投じに行くと発言する。
派閥領袖の単独での不信任投票は自分が起こした倒閣運動には党除名になっても一議員として最終的な責任を全うする一方で、
非主流派として冷遇されるまで加藤・山崎に従った議員には党除名という辛酸に合わせないための配慮とされた。
しかし、宣言して本会議場に向かおうとする加藤の肩を加藤派の谷垣禎一がつかみ「加藤先生は大将なんだから! 独りで
突撃なんてダメですよ! 加藤先生が動く時は俺たちだってついていくんだから!」と懸命に慰留した。
また、同じ加藤派の杉山憲夫も加藤の側で谷垣の発言に頷きながら「死ぬも生きるも一緒だ」と慰留に努めた。
★当時TVで見ていました。同情し、悲壮感は直に伝わってきましたが、子分は泣いても、大将が泣いてはだめですね。
政界では「泣く人は総理になれない」と言うジンクスが有ります。
直近の記憶では、民主党政権、菅内閣の海江田万里と、故加藤紘一です。
*写真は「加藤の乱」が鎮圧された瞬間の画像、谷垣禎一が涙で諌止している。
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