野中広務の「宏池会」切り崩し作戦
橋本派の野中広務幹事長は当然、加藤の行動を批判して、切り崩しの先頭に立った。実質的に切り崩し側の総責任者的ポジションとなり、
マスコミにも多々出演した。全てが決まる(切り崩し工作が頂点を極める)と言われた不信任提出前の土日の日曜日に北海道の会合に出席するという
行動すらとっている(日曜の政治関連番組には中継で出演)。週末以前は「除名」の一本槍で非常に強気な姿勢を見せていたが、
日曜のテレビ発言で条件的に含みを残す発言に変わった。かつて野中は加藤が経世会と距離を置くまでは加藤を総理にすると公言してはばからなかった。
しかし、1999年の自民党総裁選で小渕の意向に反する形で加藤が立候補したことにより、(加藤と親しかったという理由で)官房長官をおろされるなど、
とばっちりを受けたため、それ以降は反加藤となった。
宮澤喜一の加藤への「クーデター唆し」
乱の後、加藤は宮澤への恨み節を隠さなかったという。浜田幸一によると、加藤は事前に宮澤から「乱」の了解を得ていたか、
煽られていたのだという。ゆえに、その後の宮澤の行動をみると疑問符をつけざるを得ない。
前日の宮澤との食事会で加藤がプランを説明すると、宮澤はそれを肯定・後押しするような態度を加藤に取ったというが、浜田ソースによれば宮澤は
加藤に対してはっきりとした言質を与えていなかった点では一致している。
宮澤はもともと派閥を加藤ではなく、河野に譲りたかったとされている。宮澤の政治的な権謀術数を見抜けず、
素朴に信頼した点が政治家としての詰めの甘さを露呈したと言える。
★宮澤が加藤を唆し、事が起きたら裏切ったのは、政界入り以来、自分より、ライバルの大平と親しかった加藤に対する「隠微な恨み」が有ったことは間違いない。
「部落民の天性の裏切り、犯罪性」をそう言った人種を知らない山形出身者の加藤が深読みできなかったのは、攻めることはできなく、気の毒だ。
民主党・自由党の対応
自由党党首の小沢一郎は11月17日(金曜日)に不信任決議案を提出するよう民主党代表の鳩山由紀夫に主張したが、
これは週末議員が地元に戻り、後援者から不信任案への対応を考え直すよう説得される危険性が考えられるためだった。
しかし、加藤が土日で逆に派内議員を説得すると主張し、鳩山は11月20日(月曜日)に提出、結果的に土日に切り崩され、
加藤派所属衆議院議員の半数は加藤と袂を分かった。乱失敗後、小沢は「男子じゃないな」とコメントしている[3]。
★権力闘争になれた小沢一郎と、人を疑うことを知らず、詰めの甘い加藤。非常に対照的であり、小沢の言うように
結果は見えていたと言える。
*写真は、「加藤の乱」を鎮圧した野中広務
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