ここで、作家、鬼塚英明氏の「池田勇人(はやと)部落説」について、若干触れておこう。彼の著作「天皇種族・池田勇人」によると、
池田の生家の有る広島県竹原市に足を運ぶと、地元での人気が異様に低いことに驚いた。タクシーの運転手は「池田は選挙区の為に何一つしてくれなかった。
企業ひとつ誘致してくれなかった」と恨み言を言ったそうだ。池田の死後に池田の側近だった伊藤昌哉(自民党三国志らの著作有)らの出した伝記では、代々続く裕福な「造り酒屋」の
息子となっているが、池田の実家周辺に訪れた鬼塚氏の感想は「ひどく貧しい時間が止まったような近代化から取り残された地域」と述べている。
現在も各地に残る「部落地区」に共通した雰囲気である。池田は大蔵省に在職中に「天疱瘡(てんぽうそう)」と言う世にもまれな奇病(ひふびょう)に
罹り、5年間休職に追い込まれた。これについては、鬼塚氏のインタビューに答えて、池田の生家を知る人は「池田の一族は、近親結婚が多かったから奇病
を発症したのだろう」と答えている。池田はこの闘病中に、「看病疲れ」から、最初の妻が心臓麻痺で死亡。その後看護婦替わりをした従妹の満枝と再婚。
それにしても、近親結婚が好きな一族だ。半島系の血も入っているのかもしれない。
★部落民は部落民が好き、吉田茂は二人の愛弟子、池田勇人と佐藤栄作のうち、池田をより可愛がった。
昭和29年に、鳩山一郎(鳩山由紀夫の祖父)に追い詰められ、総辞職に追い込まれた吉田は、その後旧吉田派と鳩山派(民主党)が一緒になった「保守合同」
で自民党ができたときに、遺恨から、吉田は参加しなかった。佐藤栄作も親分に準じて無所属を通した。
しかし、池田勇人はシレッと自民党に参加。それでも、吉田は、池田をその後も可愛がり、岸信介内閣には大蔵大臣として池田を押し込んでいる。
生母が「穢多の女郎」だった吉田茂には、長州藩のれっきとした士族出身の佐藤栄作より、同じ部落民の池田に「同胞意識」を感じていたのだろう。
そして、吉田茂―堤康次郎―池田勇人と言う「部落トリオ」は非常に仲が良く、堤から両者に政治献金も潤沢に言っていたようだ。
その、成功報酬が、堤美智子の皇太子妃内定につながる。
★「在日2世の記憶」と言う「オーラルヒストリー」を読むと、在日2世達は全国の何県に、どういう同胞が、どう言う「通名」でどこに努めているのか?
完全に把握している。恐らく、日本人には絶対見せてはいけない「同胞人事禄」のような名簿禄を持っているのだろう。
その名簿を利用して「民団」の有力者に仲介を頼んで、「見合い結婚」をする。
だから、在日は、3世、4世になっても、女子は朝鮮特殊小学校に通わせる過程が多い。中学からは日本の公立に通わせるが、
小学校時代に、民族の伝統や、しきたりを叩きこんでおかないと、将来、同胞と見合い結婚しても、嫁として、舅、姑に馬鹿にされるからだ。
★あくまでも推測にすぎないが、部落同和関係者にも似たような「同和人事禄」が有るのではないか?
過去に元総理の宮澤喜一の閨閥を調べたら、ほとんど部落出身者であることに驚いた。
*写真は「部落さん兄弟」の
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