元高官「しかし、君、吉田は今上陛下の立太子式で「臣 茂」と名乗っているんだよ。尊皇家じゃないのかい?」
私「見え見えのパフォーマンスだと思いますよ。「臣」と書けば、野党が騒ぐことを想定した「悪ふざけ」だと思います。実に悪趣味ですよ。
「尊皇家」なら正田美智子何かを権謀術数をたくましくして、皇太子妃に押し込んだりしないでしょう。
もしかしたら自分の生母と「同じ匂い」を感じたのかもしれませんね。
GHQの選任した初代宮内庁長官の田島道治は興信所の調査の結果、「母方(正田富美)の系図に疑問が残った」と正直に言っていますが、
美智子本人の素行についての調査結果は、最初からわかっていて、「闇」に葬り去ったのでしょうね。
戦後の混乱期のあの時代、若い女が「御徒町」に足しげく通うということは、人妻が愛人とラブホテルから出てきた現場を亭主に抑えられて
「私たち、中でトランプしてました」と言い訳することと同じですよ。
米兵相手の売春は地方でも普通にあって、相手を選ばないのを「パンパン」、将校以上と愛人契約を結ぶのを「オンリー」と呼んだんです。
私も「男女」と言うものをわかり始めた時、近所を散歩中に父から「あのお婆さんは「オンリー」だったんぞ」と小声で教えてもらったことが有りました。
良く聞くと戦争未亡人で、子供もたくさんおり、職も無かったので「オンリー」になったそうです。
美人でしたが、どこか崩れた感じが有りました。気の毒でした。」
元高官「しかし、入内させた後、評判が悪いので吉田は怒ったという話もあるよ」
私「最初からわかってたことです。予定通りの演技ですよ。」
元高官「吉田の気質を君ならどう定義する?」
私「時代と状況に合わせて、態度を変えるオポチュニスト(機会主義者)だと思います。ぶれない部分は「自己中心主義」だけです。」
元高官「実例を挙げてみてくれよ」
私「中学の時、もう亡くなりましたが、城山三郎の「落日燃ゆ」を読んだんです。主人公は東京裁判で「殉難」した元総理で外交官の広田弘毅でしたが
作中に「狂言回し」として、外務省同期入省の吉田茂が最後まで登場するのです。新聞の書評では、「反軍国主義者」の吉田の裏の顔を見事に描き出したと好評でした。
≪関東軍も真っ青の帝国主義外交官(笑)≫
吉田は慶應や東京商大(後の一橋)学習院を中退を繰り返しながら転学して26歳の時に無試験で東大法科に入学しました。
東大時代の成績も悪く、入省時の成績も悪かったので、外交官としての初任地は「花の欧米」ではなく、中国の奉天総領事でした。
当時はシナ大陸勤務は「チャイナサービス」と呼ばれ省内で蔑視されていました。以降20年間中国大陸を転々とします。
吉田は「満蒙分離論(満洲と内蒙古の分離)」などを強硬に主張して、関東軍を鼻白ませました。
またある時、軍閥のドン、張作霖の私邸に招かれましたが、食事の時、料理に「食べばし」を入れた張作霖に嫌気がさし、それ以降張から招待されても無視しました。
会議の時、関東軍の意見を押さえて強硬論を吐く、張作霖の機嫌を損ねて、関東軍を困らせる。関東軍は東京の陸軍省に吉田の苦情を言う。
陸軍省から、外務省に「吉田と言う男は何とかならないか?」とクレームがいく、外務省はあまりの苦情の多さに、吉田をシナ大陸を転々とさせる。
女房の父が、牧野伸顕(のぶあき;大久保利通の二男で外務省の大物官僚)でなければとうに馘首されていたでしょう。
資格がないのに、ヴエルサイユ講和会議に参加させてくれと牧野に頼み込み、牧野の秘書として随行するが、性格上秘書的な仕事が全くできずに
牧野にすっかり嫌われたという落ちもあります。
吉田は回顧録で当時を振り返り「なあに、あの時代はイギリスもフランスもシナ大陸で随分、エゲツナイことをしてたんだよ」と自己弁護しています。
終戦後「軍部に抵抗した気骨の政治家」と言うイメージで国民の前に現れ、演じ切りましたが、中国大陸では英仏顔負けの「帝国主義者」
「対米英戦反対」は負ける戦には反対だというわかりやすい性格でした。決して反戦主義者でも平和主義者でもありません。
≪外務省後輩による低い評価≫
お亡くなりになった元駐タイ大使で歴史家の岡崎久彦氏が、ライフワークとして、明治以降の外交史として「〇〇とその時代」PHP文庫シリーズ(〇〇は著名外務大臣名)の
吉田茂の時代で述べていますが、岡崎氏自身が吉田に低い評価を付けるのみならず、当時の部下も口を合わせて、重光葵さんや東郷茂徳さんの方が数段頭がよかったと述介しています。
特に重光さんは、日本の「南進政策」に「大東亜共栄圏構想」と言う大義名分を与えて、正当化し、アメリカにおそれられたために戦犯として服役することになりました。
出所後も、新党を作ったり外相を務め、活躍しましたが急死しました。巣鴨に収監されなかったら総理の目もあったでしょう。
吉田については娘の故麻生和子さんも「父は頭話あんまりよくない」と言っていました。
★要するにその時のシチュエーションで、損をしないように強いほうにつく、マッカーサーのお蔭で長期間最高権力者でいられたのだから、
マックの言うように「皇室を三代で根腐れさせる」布石を着実に打ったのではないでしょうか?
第一弾は「正田美智子」第二弾は「小和田雅子」、そして現状を見れば、今の皇室は、秋篠宮一家でかろうじて「首の皮一枚」繋がっています。
間違っても佐伯徳仁が即位でもすれば、「易姓革命」が起きて、世界に冠たる日本の天皇家は断絶し、正田―堤朝鮮王朝の誕生です。
*写真は吉田茂を酷評した故岡崎久彦駐タイ大使
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