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Channel: 伏見顕正(あきまさ)の「時を斬るブログ」
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【宇佐神宮の神勅④】「逆臣吉田茂」論―「戦後復興」と引き換えに皇室をアメリカに売り渡した男

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私「時系列で教えていただくと、「正田美智子入内」に向けて吉田が相当前から、長期的に見て次々と布石を打っているのがわかります。

皇太子妃候補を正田美智子に絞った時点で、学習院常磐会や柳原白蓮のような旧華族の猛反対を受けるのは明白だったので、用意周到だったのでしょう。

祖父の正田貞一郎を貴族院議員に無理やり政治力で押し込んだ時点で、吉田の頭には「結論は正田美智子ありき」だったのでしょうね。

元高官「そうだね。御妃選びの時期になった時、不動のエースだったのは学習院で旧宮家の北白川肇子様だったが、ご本人があまり乗り気でなかったのと

突然、横から正田美智子さんが現れて、獲物をかっさらっていった感じだね。正田美智子の登場が無ければ、最終的には肇子さんも北白川家も根負けして、「謹んでお受けします」と

なってた可能性は高いと思うね。」

私「私が思うに、何故、出自等から見て、「無理筋」の正田美智子を横車を押し通して入内させたか、非常に「謀略性」を感じるんですよね。いくらなんでも「新平民」から・・・

オーナー粉屋稼業で、財力は有るという売りでしたが、旧正田邸は私も昔実物を見ましたが、たかだか60坪程度の「マッチ箱」のような家でした。とても金のある家には見えませんでした。」

元高官「あくまでも推測だが、バーターで堤康次郎から「金」が流れた可能性が濃厚だね。その流れた先が問題だが・・・」

私「成功報酬として、吉田茂のポケットに入ったとみています。吉田茂と言う政治家は「マッカーサーの忠実なる僕」でマッカーサー帰国後に訪米したときは必ず面会しています。

「皇室を3代で潰す」と言うアメリカとの密約を忠実に履行していると思います。

はっきり言えば、「日本の戦後復興」と引き換えに「万世一系、男系男子の皇統の断絶」をアメリカに約束したGHQの植民地総督だったと思います。

吉田は、1967年(昭和42年)10月に亡くなっていますが、その4年前の1963年に小和田雅子が生まれています。

吉田は雅子誕生の時点で、次の皇太子妃に小和田雅子を第一候補とした可能性が有ると見ています。

理由は父親が北朝鮮人で、母親、江頭優美子が部落民、これ以上の「皇室破壊力」は無いわけで、絶好の妃候補と見たのだと思います。

吉田は、私が小学校の頃に亡くなり、TVでも報道されましたが、伝記などを見ても、認知症になった形跡も見られず、亡くなった日は「富士山が見たい」といって

娘の麻生和子さんが、布団を敷いて、眠るように無くなったそうです。とにかく最晩年まで頭はしっかりしていました。

元高官「小和田雅子に白羽の矢を立てたことが、吉田の死後、どう継承されてきたの?」

私「吉田は自分の様に東大法学部を出て官僚社会のトップになったエリートこそが総理になるという信念を持った人でした。従って、先ず、自分の直弟子の佐藤栄作総理に晩年引き継いだのでしょう。

そして、佐藤さんは晩年に、仲の悪く小学校卒の田中角栄さんをスキップして、派は違うが、同じで東大出の官僚出身者の福田赳夫元総理に引き継いだのだと思います。

それが、証拠に、福田赳夫は、自分の秘書官だった小和田恒の長女の雅子を「将来、皇太子妃にする」と言っていたのは有名な話ですから。

まあ、同じ部落同士と言う親近感もあったのでしょうが。私も驚いたのですが、小和田雅子は学習院を受験して落ちているのだそうです。

本人も言いくるめられてその気になっていたのでしょう。」

*写真は今上陛下の御妃候補の不動のエースだった北白川肇子様(現姓;島津)、正田美智子の「プロの女」風俗嬢的イメージは微塵もない。これが「やんごとなきお方」の神髄でしょう。

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