昨日の記事では、到達できなかったので、本日はその続きです。
第一次大戦の東方戦線の「タンネンベルグの戦い」で帝政ロシア軍は、ドイツの名将、ヒンデンブルグ率いるドイツ軍に惨敗を喫しました。
国内の食糧不足貧困、帝政ロシア政府による労働者、農民に対する何世紀にもわたる弾圧。「ポグロム」と呼ばれるユダヤ人の虐殺。
ロシア国内では、「支配階層以外の国民の不満」が、充満したプロパンガスの様に、わずかの火でも大爆発を起こす環境が準備されていました。
その1917年2月、ドイツ軍は、敵国攪乱の為に、スイスに亡命中のロシアの革命家、レーニンを秘密列車で、ロシアに送り込みました。
レーニンの帰国が、「着火マン」となって、爆発した「2月革命」に「理論的正当性」を与えました。
その後の経緯は、高校の世界史で習った通りで、世界史上初の「共産主義国家」が登場したのです。
レーニン死後、後継者の、スターリンとトロッキーは「激しい路線対立と権力抗争」を始めます。
スターリンの路線;「一国社会主義」
トロッキーの路線;「世界社会主義革命論」
権力抗争に破れたトロッキーは亡命先のメキシコで刺客に暗殺されますが、彼の「革命理論」は「トロッキズム」と言われ、
盟友や、弟子たちに伝承されます。
「トロッキズム=トロッキー的革命理論」の要旨の中に、その後のソ連邦と現在に中国共産党帝国を予言したものが有ります。
≪「一国による社会主義建設」は不可能であり、それは必然的に官僚の特権とその既得権防衛のための専制体制へと堕落する。≫
★「ソ連崩壊の原因と経過の要約」
スターリンの大粛清に象徴される一般国民の大量処刑・追放、領土併合や集団強制移住による強圧的な民族政策など、
後にスターリニズムと呼ばれる強権統治に対して、ソ連国民の不満や恐怖は根深く浸透していた。
1953年にソビエト連邦共産党第一書記に就任し、1956年2月、共産党第20回党大会にて
スターリン批判を行ったニキータ・フルシチョフは、社会主義の範囲での自由化・民主化を進めようとした。
しかし党官僚の抵抗に遭い、1964年に失脚。後を継いだ党官僚出身のレオニード・ブレジネフの時代は、退歩がない代わりに進歩もない停滞の時代と呼ばれ、
党官僚の特権化や物資不足が進み、対米関係でも1970年代前半の緊張緩和が1979年のアフガニスタン軍事介入により終焉し、新冷戦へと逆行した。
さらにこの時代、コンピュータに象徴される西側諸国での技術革新の進展にソ連は対抗できず、東西間の経済格差は大きく広がった。
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★キモは、共産党官僚への①「権力の集中」→②「特権階級化」→③「汚職腐敗」→④「国民の不満と心の離反」→⑤「体制内改革者の登場(ソ連はミハイル・ゴルバチョフ)」
→⑥「党官僚に失脚させられる」→⑦「非共産党リーダーの登場と共産党の解党(ソ連はボリス・エリツィン)」→⑧「民主主義政体への移行」となります。
★こうして、スターリンの宿敵、トロッキーの予言通り、1991年ソビエト連邦は崩壊したのです。
≪今、よく似た国は有りませんか?そうです。中国です。≫
昨年の集中記事で「中国・チャイナ5」を斬りましたが、習近平以下、共産党権力者たちの腐敗は勿論のこと、その凄まじい腐敗は
人民解放軍、党官僚、地方政府、村長レベルまで徹底的に蔓延しています。
中国人達は、ネットで、習以下、権力者たちを「こき下ろし」馬鹿に仕切っています。
★日本の自衛隊が、上陸して攻めてきたら「俺は自衛隊の道案内をする」と言い切る人もいます。
【トロッキーの「一国社会主義崩壊モデル」】では、現在の中国は、④「国民の不満と心の離反」のレベルまで到達しています。
★後は、習近平が自ら「中国のミハイル・ゴルバチョフ」になるか「民主主義志向を持ったニューリーダー」が出るかのどちらかでしょう。
期待できるニューリーダーには「国務院副総理」の汪洋(おうよう)と言う人がいます。
★珍しく「言論の自由」に寛容な人です。その為現在は、習近平等権力者たちから疎まれています。
いずれにせよ、「中国共産党帝国」は数年もたないでしょう。数年とは片手で足りるレベルです。
続く
*写真は【一国社会主義崩壊モデル】を予言した、レフ・トロツキー。「一国社会主義」とはスターリンのソ連、毛沢東の中国です。
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