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Channel: 伏見顕正(あきまさ)の「時を斬るブログ」
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【嵐総斬り】メンバーα氏と共通点のある、新撰組、永倉新八の命式

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今日は、残り二人のメンバーのうちの一人、α(アルファ)氏と共通点の命式を持つ、

幕末の歴史上の人物、新撰組幹部だった永倉新八(ながくらしんぱち)の命式です。

コアな歴史ファン、歴史小説好き、歴史オタクの方なら、ご存知だと思います。

私も司馬遼太郎の歴史小説ファンなので、副長の土方歳三を主人公にした「燃えよ剣」で彼のことを知りました。

坂本龍馬を中心とした幕末時代はNHKの大河でよく描かれるので、「新撰組」も必ず登場しますが

如何せん、敵役か、憎まれ役なので、幹部の、近藤勇、土方歳三、沖田総司ぐらいしか登場しません。

珍しく、2004年の大河では、新撰組を主人公とするドラマだったので、永倉新八がフルに登場していました。

演じたのは、お笑いタレントの「ぐっさん」こと山口智允でしたが、私の感想ではなかなかよく演じているな~と思いました。

有名アニメの「流浪に剣心」にもキャラとして登場するそうです。

とりあえず、永倉を全く知らない人のためにプロフィールを簡単に如何に紹介します。
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近藤らと共に新選組結成後は、二番組組長や撃剣師範を務めるなど中枢を成した。

元治元年(1864年)の池田屋事件では、近藤や沖田総司らと共に池田屋に突入。沖田が病に倒れ、

藤堂平助が負傷して離脱、永倉も左手親指に深い傷を負った中、防具がボロボロになり刀が折れるまで戦った。

事件後、新選組の勇名は天下に轟いた。その後、近藤に我儘な振る舞いが目立つようになると、

これを遺憾とした永倉や斎藤一、原田左之助、等は、脱退覚悟で近藤の非行五ヶ条を会津藩主・松平容保へ訴え出る等、

近藤勇・土方歳三との路線対立を見せる。油小路事件では、原田らと共に御陵衛士を暗殺。

慶応4年(1868年)の鳥羽・伏見の戦いでは、決死隊を募って刀一つで突撃する豪胆さを見せた。

江戸に退却後、新選組改め甲陽鎮撫隊として新政府軍と甲州勝沼にて戦うが敗れ、江戸へ戻った後は近藤らと袂を分かつ。その後、

北関東にて抗戦するが、米沢藩滞留中に会津藩の降伏を知って江戸へ帰還し、その後、松前藩士(150石)として帰参が認められ松前に渡る。

その後は北海道小樽へ移る。警察の招きで、明治15年(1882年)から4年間、樺戸刑務所の剣術師範を務め、

看守に剣術を指導する[2]。退職後は東京牛込にて剣術道場を開く。明治32年(1899年)、妻と子供が小樽市内で薬局を開いていたため、

再度小樽へ転居。東北帝国大学農科大学(現・北海道大学)の剣道部を指導する。

大正4年(1915年)1月5日、虫歯を原因とする骨膜炎、敗血症を発症し、小樽にて死去。

享年77。分骨され、墓は東京都北区滝野川の寿徳寺境外墓地。字は蜂須賀正昭侯。

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要するに、近藤、土方と並ぶ幹部であり、剣の使い手でした。

彼らほど著名では無かったのは、局長の近藤の様に、「政治活動好き」でもなく、副長の土方ほど「隊内の粛清」に明け暮れた「権力志向」

出もなく、ひたすら、業務(人斬り)に励んだ、愚直な仕事好きだったからでしょう。

また、有名幹部三人ほどの「悲劇的な最期」を迎えなかったこともあると思われます。

近藤勇・・・敗軍の上、斬首、晒し首

土方歳三・・函館五稜郭で戦死

沖田総司・・結核で病死

★新撰組幹部の中で、天寿を全うしたのは、永倉と、もう一人の使い手の斉藤一(はじめ)のみでした。

その永倉の命式の特徴が、「嵐」のメンバーα氏と重要な共通点が有るのです。

結論から言うと、【命式の時柱の空亡】です。

★一般に、四柱推命では、四柱のいずれかの空亡を嫌います。中でも特に時柱の空亡を忌み嫌います。

★短命だという先生もいます。また「人生の最終目標を達成できない」とも見ます。

後者は、既に死亡しているとの情報のある池田大作や、大統領選で奇妙な行動をとるヒラリークリントン(既に死亡でダブル説あり)がそうでしょう。

★しかし、組織の性格上、「死亡率の高い」新撰組で、おまけに当時としては長寿で天寿を全うした永倉の様なケースもあるので

「逆説的な意味」もあって、載せました。まあ、α氏の命式にはそれ以外の「致命的な問題」もあるので、明日、種明かしします。

それでは、命式を見ていきましょう。

永倉新八

1839年(天保10年)5月23日生まれー1915年(大正4年)1月5日(満75歳没)

   上 中 下  宿命星  十二運  吉凶星

年柱 己 亥 壬 傷官 傷官  絶 天乙貴人 亡神

月柱 己 巳 丙 傷官 比肩 建禄 劫殺 駅馬

日柱 丙 子 癸    正官 胎 飛刃 咸池

時柱 乙 酉 辛 印綬 正財 死 天乙貴人 天徳貴人 囚獄 白虎殺 咸池・・・空亡
【特記事項】申酉空亡なので時柱が空亡している。

【総合鑑定】

時柱が空亡したお蔭で、「非業の死」や「不慮の事故」の暗示が消えて、天寿を全うできた。

巳と亥が冲「ちゅう」を形成します。不吉な暗示です。よく言えば「幕末京都の治安維持部隊」悪く言えば

「人斬り集団」といった組織の構成員にピッタリです。この冲「ちゅう」のせいで、天乙貴人は死んでしまいました。

比肩が有るので、K・Yです。或る意味「人斬り」などの仕事はK・Yでなくてはできないでしょう。

四柱推命で「剣の腕」までは見れませんが、月柱の十二運に建禄が有り、身旺の禄格(ろっかく)となります。

自分の「好きな道」に進んで成功するタイプです。毒舌性の星の傷官が2個あります。

上司の近藤や土方には、言いたいことをガンガン言っていたでしょう。しかし、彼が土方に粛清されなかったのは

「剣の使い手」として、新撰組と言う組織には「余人をもって代えがたかった」からでしょう。

敢えて言えば劫殺が有りますが、一個ぐらいでは大したことないでしょう。

時柱が空亡しているため、天乙貴人も天徳貴人も死にますが、罪人として牢に入れられる囚獄や、非業の死を遂げる白虎殺が死んだので

彼は長寿で、天寿を全うできたのでしょう。

★時柱の空亡が、或る意味「怪我の功名」とも言えます。

★余談ですが、昨晩、新撰組の近藤勇や、土方歳三の命式を調べましたが、「どうぞ打ち首、獄門にしてください」と言っている様な

度肝を抜かれる命式でした。彼らに比べ、この永倉や、もう一人天寿を全うした斉藤一は、普通の奇麗な命式でした。

命式は、多くの場合、嘘をつきません。新撰組隊士達の命式も、今後機会が有れば、紹介したいと思います。

以上

*写真は永倉新八、左は壮年期、右は晩年

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