今日はZ氏の命式のポイントを突いた北一輝の命式を解説します。
歴史上の人物ですが、さらっと説明すると。
【北一輝】
北 一輝は、戦前の日本の思想家、社会運動家、国家社会主義者。二・二六事件を引き起こした皇道派青年将校の
理論的指導者として逮捕され、軍法会議にかけられ、死刑判決を受け刑死した。
高校の時日本史を選択した人、日本史が得意だった人、ディープな「日本史好き」の人は、名前ぐらいは記憶は有ると思います。
★要は彼の思想や、著作が、事件で決起した青年将校たちの理論的支柱になったのです。
【陸軍皇道派】とは
皇道派(こうどうは)は、大日本帝国陸軍内にかつて存在した派閥。北一輝らの影響を受けて、
天皇親政の下での国家改造(昭和維新)を目指し、対外的にはソビエト連邦との対決を志向した。
「対抗派閥」として東条英機大将らの「統制派」が有ると言われる。
とありますが、要は「昭和陸軍の中の派閥争い」で、元外交官で既にお亡くなりになった元駐タイ大使で歴史家の岡崎久彦氏によると
★「「皇道派」と「統制派」の違いは「所詮「手続き論」の違いに過ぎない」と著書で言われております。
★東条氏の盟友で、陸軍省軍務局長だった永田鉄山に言わせると「「統制派」なる派閥は存在しない。「皇道派」以外が「統制派」である」
そうです。
私の印象では、「過激派」と「穏健派」の違いでしょうか。
「天皇親政」を目指したところが「革命的」ですね。
何故なら、日本史を俯瞰(ふかん)してみると、平安時代の「藤原摂関政治」以降は「天皇親政」は事実上ありませんでしたから。
それを試みた南北朝時代の後醍醐天皇は失敗しています。
「大日本帝国憲法」においても、表向きは「天皇親政」を謳っていますが、国政の運用の実態は、山縣有朋等の「元老」達が
輔弼していたわけです。
★決起した将校たちの見込み違いは、先帝様(昭和天皇)は「組織の安定を乱す行動や人物を非常に嫌う御性格」だったことです。
★面白い逸話が有ります。戦前の陸海軍の人事特に、昇格の人事には先帝様の承認が必要でした。
しかし、陸軍では、該当人物の昇格に際して、先帝様がハンコを突くのを特に嫌がった二人がいました。
誰だと思いますか?
一人は、天才参謀の石原莞爾で、もう一人は沖縄戦で自決した長勇(ちょういさむ)中将です。
石原氏は天才ながらも余程器の大きい上司でなくては部下として使いこなせませんでした。
半分冗談ですが、私もサラリーマン時代は上司に恵まれました(笑)
「満州国建国」の口火となった「満州事変」は、板垣征四郎―石原莞爾のコンビで成功させました。
「知恵の石原、腹の板垣」と呼ばれ、板垣征四郎大将は、靴で釘を踏みぬいても、10分ぐらいたってから「痛い」と言う人だったそうです。
長中将については、沖縄戦への転任が決まった際に、先帝様は「あんな乱暴者をやって大丈夫か?」と陸相に聞いたそうです。
長中将は「戦時国際法」違反の常習犯でした。
南京攻略戦の時に、部下に対して「中国兵捕虜」を「やっちまえ」と指示して、それを知った松井石根大将(東京裁判で刑死)が
すんでの所で辞めさせたそうです。
★まあ、それでも先帝様は、嫌々ながらもハンコを押したわけです。
≪アングロサクソン流(英米流)正しい軍人の処刑のやり方≫
★正解は「銃殺」です。これが刑死させられる相手の軍人の名誉を尊重した手法です。
≪東京裁判で「昭和殉難者」を辱めた連合軍≫
裁判でオーストラリア人のウェッブ裁判長は、「有罪」となった東条大将以下7人いたいして「デス・バイ・ハンギング」と宣告しました。
「デス・バイ・ハンギング(絞首刑)」は要するに「吊るし首」のことで、戦後日本でも愛好者の居た、ジョン・ウェイン主演の数々の「西部劇」で
「町のならず者」や強盗を西部の開拓町の広場で「吊るし首」にする処刑法と一緒です。
アメリカは、「昭和殉難者(A級戦犯と言ってはいけません)」達を殺すときまで辱めたわけです。
★東条氏以下、卑しくも「大日本帝国の高級軍人」処刑するならば、最低「銃殺刑」願わくば、武士として割腹と介錯を認めてほしかったです。
ただ、問題は7人の中に、唯一の文官の廣田弘毅元外相がいたことです。
城山三郎の「落日燃ゆ」によると広田氏は「絞首刑」が決まった後の家族との面会で、柔道の有段者の経験から
「絞め技でおとされれるのは気持ち良いものだよ」と語っていたそうです。
≪フィリピン軍事法廷≫
「マレーの虎」山下奉文大将は絞首刑となり、本間雅晴中将は銃殺刑となりました。
この差は何故か。山下大将は、マッカーサー率いる米軍のマニラ虐殺(10万人)の罪を押し付けられたことと、
シンガポール陥落後の「華僑虐殺」の監督責任を押し付けられたものです。
しかし「華僑虐殺」の指示者は、参謀の辻政信であり、辻は終戦直前から、蒋介石を通じてCIAのエージェントに寝返っていたので
「戦犯」としての訴追から逃れられました。
余談ですが、私が以前から東京裁判で「訴追されなかったり」「結局不起訴」となった理由不明の帝国軍人や政治家がいましたが
その理由が「CIAの機密文書公開」で最近続々と明らかになっています。
★本間中将は、フィリピン攻略戦で、マッカサーを敗北・逃亡に追い込みました。
プライドの塊のマッカーサーの軍歴に唯一敗将の「汚点」をつけた軍人です。
「バターン死の行進」の問題もありましたが、マッカーサーとしては珍しく、本間中将を尊重したことになります。
★話は大きく脱線しましたが「二二六事件」に際しては、北は決起将校たちに「自重」を促していました。
事件が鎮圧されたのちに、「民間人」でありながら、軍法会議で裁かれ、「銃殺」で刑死しました。
陸軍が、果たして北一輝を「軍人扱い」で尊重したのかどうかは不明です。
「今までの話のどこが「嵐」に関係あるの?」と言われそうですが、
北一輝の命式を見ていきましょう。
1883年4月3日生まれー1937年8月19日(54歳没)
上 中 下 宿命星 十二運 吉凶星
年柱 癸 未 己 偏官 食神 冠帯 羊刃 暗禄 紅艶 華蓋
月柱 乙 卯 乙 偏印 偏印 病 囚獄 白虎殺 血刃
日柱 丁 丑 己 食神 墓 飛刃
時柱 甲 辰 戊 印綬 傷官 衰 天徳貴人 寡宿
【申酉空亡】
【命式解説】
① かなり「痛い」命式。特に、食神と傷官が多すぎる【食神&傷官過多】の人は災厄や病気に遭いやすいのです。
特に身弱の人がやばいです。
教科書には「何個以上」と明記していないので【伏見基準】合計3個以上としました。
★食神2個と傷官1個で計3個もあります。身弱かどうか?
★月柱の十二運で決めます。流派、鑑定士によって若干の違いが有りますが、【伏見基準】では
「病」は身弱と見ます。
丑と未が冲「ちゅう」を形成します。不吉です。兄弟友人不仲の暗示です。
殺気の星の羊刃が有ります。
監獄に入れられる星の囚獄が有ります。不慮に事故に縁のある白虎殺が有ります。
病気や怪我の星の血刃が有ります。
更に、この人の「痛い」のは、大野智同様、印星が3個以上あることです。
大運を見てみましょう。
49歳~59歳 庚戌―正財―養で、正財が「生命の源」の命式中の印綬を潰します。
刑死した1937年は丁丑―比肩ですが、丁丑の丑と年柱の未が冲「ちゅう」を形成します。不吉な一年でした。
★結局、月徳貴人が有っても、暗禄が有っても処刑からは逃れられなかったわけです。
怖いものです。
以上
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