伏見様及び読者の皆様:
本日、東京は台風一過で夏を想起させる青空。それより、朝から吉報が飛び込んで来ました。
村上春樹の残念速報ではなく、今晩のイラク戦に日本が圧勝したのでもなく、
「国連総長にグレーデス氏が確実に」。本当に良かった。
この国連総長(国際連合事務総長・Secretary-General of the United Nations)は、ご承知の通り、
常任理事国やサミット参加国からも事実上、候補者が外されている。だから、選任される輩は、
① 弱小国の出身者
② 紛争解決人に成れる素養
③ 英語・仏語に長けた者の具備が絶対条件。
一方、今年12月で任期を終える(一期は10年で、通常2期の20年間を歴任)朝鮮人の藩基文(パン・ギムン)は、
国連総長の今までの前例を全て打ち破って、①の弱小国出身者の条件しか充足できなかった。
ほとんど、お笑いの世界。吉本興業の世界と同じ。
でも、コイツは朝鮮オンナ番長のパククネに代わって、大統領に就任する可能性大。
それで、コイツのオチは、北朝鮮と中国が攻めて来たと同時に、アメリカに単独で亡命すること。
某国の諜報機関は、そこまで予測・分析している。
それで、言いたいこと。その某国の諜報機関員によれば、この国連総長のウラの顔は、
一般大衆を洗脳する「笛吹き(パイパー)の役割」と紛争解決を更に泥沼化させる
「水を差す(キル・ジョイ)の役割」があるらしい。この二つをパン・ギムンに当て嵌めると、
正にピッタリ。ピタリ賞の受賞者。お金が欲しければ、日本がタダであげた従軍慰安婦の10億円からドーゾ。
アメリカにも支部がある「統一教会」の記念パーティーや創価学会のアメリカにある大学の記念式典にコイツは、皆勤賞で出席。
それも長々と、スピーチをするからお笑に水を差す。ISやイスラム過激派に対して、コイツが行ったことは、
「平和への対話を要求」。ミイラになった池田大作先生も草葉の蔭からお喜び。紛争解決どことか、その紛争に水を差した張本人。やってくれるじゃない!
来年1月1日から、新国連事務総長に任命された元ポルトガル首相の「グテーレス前国連難民高等弁務官(67)」は、
私の虎の巻であるイギリス版「WHO’S WHO」にも掲載されていないので、どんな輩か判断付かない。
でも、誰かのヒモ付きであることは、容易に想像できる。バチカンなのか?国際決済銀行なのか?国際刑事機構なのか?
このへんは、来年以降のこの男の就任スピーチで判断するしかないかも?
では、片目のダヤン
【管理人補足】
アントニオ・グテーレス氏について、Wikiより抜粋以下
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アントニオ・マヌエル・デ・オリベイラ・グテーレス1949年4月30日 - )は、ポルトガルの政治家。
同国の首相や社会主義インターナショナル議長、国連難民高等弁務官などを歴任した。
リスボンで生まれ育った。高等工科大学 (IST) で物理学と電気工学を学び、1971年に修了。助教として学術の世界に入った。
1974年、グテーレスは社会党に入党し、政治と関わりを持った。それからまもなく、
グテーレスは学界を退き、専従の政治家となった。1974年4月25日のカーネーション革命で
マルセロ・カエターノ独裁政権が崩壊してからは、主にリスボン地区で社会党の組織化に深く関与した。
グテーレスは党の首脳のひとりとなり、次の役職を歴任した。
• 産業大臣室長(1974年、1975年)
• リスボン、のちカステロ・ブランコ選出の国会議員(1976年 - 1995年) この間、複数の国会の委員会に所属した。
• 社会党国会議員団長(1988年) ジョルジェ・サンパイオの後任
1992年、グテーレスは社会党の書記長と、アニーバル・カヴァコ・シルヴァ政権下の野党院内総務に就任した。
1992年9月には社会主義インターナショナルの副議長にも任命された。
カヴァコ・シルヴァの退任をうけた1995年の総選挙で社会党が勝利すると、グテーレスは首相となった。
グテーレスは、ポルトガルに対する世界の注目度を高めた1998年のリスボン国際博覧会の誘致でよく知られている。
1999年に首相に再任され、2000年1月から7月には欧州評議会の議長も兼務した。
2001年12月の地方選挙で、社会党は大敗を喫した。これをうけてグテーレスは
「国を政治的な泥沼に陥れないため、職を辞す」と表明し、辞任した。
ジョルジェ・サンパイオ大統領は国会を解散し、選挙を求めた。
当時社会保障相だったエドゥアルド・フェーロ・ロドリゲスが社会党の代表となったが
、総選挙で社会党は敗れ、首相職を社会民主党のジョゼ・マヌエル・ドゥラン・バローゾ
(のちの欧州委員会委員長)に明け渡した。グテーレスはポルトガルの政治から退き、
2005年まで社会主義インターナショナルの議長を務めた。
2005年5月の国連総会で、グテーレスは国連難民高等弁務官に選任された。
2007年2月16日のナショナル・パブリック・ラジオによるインタビューでは、
イラクの難民が直面している苦境について、1948年以降の中東で発生した最大の難民危機のひとつであると述べた。
あまり一般に知られていない難民危機として、グテーレスは中央アフリカ共和国とコンゴ民主共和国における危機を挙げた。
2011年にシリア内戦が発生すると、グテーレスは内戦によって生じた難民に対する国際的な支援を確保するために尽力した。
グテーレスは2015年12月31日に難民高等弁務官を退任した。
グテーレスは次期国際連合事務総長の候補者となっている。
ポルトガル政府からの支持を取り付けているグテーレスは、その最有力候補と目されている。
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【管理人個人的感想】
この人、経歴を見る限り、バリバリの社会主義者ですね(笑)所属はポルトガル社民党ですって。
欧州の場合、厳格に社会主義政党と共産党は一線を引いているのでしょうが、
どの道「左巻き」、「天皇陛下の妾の「美智子」が喜ぶでしょう。
またぞろ、「日本は女性天皇を認めるべき」なんて言わなければよいですが・・・
パン・ギムンよりましですが、もっとまともな人材はいなかったのでしょうか?不満と不安でいっぱいです。
*写真は、新国連事務総長の、アントニオ・グテーレス
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