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Channel: 伏見顕正(あきまさ)の「時を斬るブログ」
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【左翼「余命真理教」内部粛清開始】豆腐おかか、自らの秘密パスワード漏洩を認める、無限拡散

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以下は、8月6日付、豆腐おかかの「待ち望むもの」のコメント欄から転載した。昨日の拙ブログの「余命真理教の内部告発者のリーク」について、
豆腐おかかは、あっさりと自らのパスワードであることを認めているのだ。内部告発者のリークによると、この「豆腐おかかのパスワード流出」は、余命爺が、「悪意を持って意図的に流出させた」ものだという。
左翼集団「余命真理教」は、カルト狂人教祖余命爺自ら、「革マル派」並みの「内部粛清」を始めたという事だ。
余命爺の、予言と、大言壮語は、100%外れまくり、「トンデモ本」は、全く売れず、寄付も募金も集まらない(爆)行き詰った余命爺カズは、
僅かな「金」を独り占めにするために、「トカゲのしっぽ切り」と言う「内部粛清」を始めたのだ。
その第一号が「豆腐おかか」と言うことである。今後、余命爺が自分だけ「安全圏」に逃亡するまで、「粛清の嵐」が吹き荒れるだろう。盲信者故か、自分が既に「トカゲの尻尾」になっていることに気づかない、豆腐おかかの能天気な「危機感」の無さには、呆れを通り越して、「哀れ」すら感じる。
★これは、余命の常套手段で、「粛清対象になったことを暗に知らせるサイン」である。
6月の、真太郎VS信濃太郎の「太郎騒動」の時も、中国人のシナの太郎を「出入り禁止」にすると同時に、真太郎のIPアドレスを故意に晒した。しかし、ちなみに2chの「余命ウォッチャー」によると、信濃太郎は「実質追放処分」扱いだと言われている。
そのことに、恐れおののく、真太郎は、ブログを見てもわかるように「火病」真っ最中である。
昨日の「内部者リーク」は、初めての人なので、「リーク記事」は、「拡散扱い」にしなかったが、豆腐おかかが、あっさりと自分のパスワードであることを認め
ブログで公言したので、限りなく「信憑性」が増した。「拡散扱い」に変えたいと思う。
★それにしても、哀れなのは豆腐おかかである。身を粉にして忠誠を誓った、カルト教祖から「生贄の羊」にされていることに気づかない。

★「粛清第一号」が、豆腐おかかであることは、確定、第二号が真太郎。ブログ持ちの他の幹部達も、「粛清準備」が決まっているのであろう。

昭和47年に発覚した、日本の「左翼テロ組織」の「連合赤軍」の凄惨な連続粛清殺人事件「山岳ベース事件」を想起させる。
今後は、呼び方も「余命真理教」より「余命赤軍」の方が、適切かなと思っている(笑)

・・・・・・・・・・・・以下コメ欄のやり取り・・・・・・・・ちなみに魚拓は取得済みである・・・・・・・・・

i.しらゆき より:
2016年8月6日 6:55 PM
「豆腐おかかmade22」で検索すると面白いものが見つかりますね
なんででしょうね返信
a. 豆腐おかか より:
2016年8月7日 7:07 AM
しらゆきさんは手下なんですか?
返信
a. しらゆき より:
2016年8月7日 9:40 AM
手下、というからには、豆腐さんの中には「誰の」という目安があるものと存じますが
お生憎様です。
私はただの、お節介なヲチャですよ。
返信
b. しらゆき より:
2016年8月7日 11:42 AM
まさか、パス流出知らなかったの!?
このパスで書き込んでたら、余命さんのところには
豆腐さんになりすました情報がたくさん入ってるはずですよ?
余命さんの中の人、偽情報掴まされて
見当違いの告発とかさせられてるかも。返信

・・・・・・中略・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2016年8月6日 5:28 PM
b. 豆腐おかか より:
2016年8月7日 7:02 AM
京滋さん、お問い合わせのほうも届いてました。
いろいろとお手数かけてしまいましたね。
☆パスワードは確かにわたしのものですが、ブログのではなく、余命通信用のものです。
【解説】
≪連合赤軍≫Wikiより
連合赤軍(れんごうせきぐん)は、1971年から1972年にかけて活動した日本のテロ組織、新左翼組織の1つ。共産主義者同盟赤軍派と日本共産党(革命左派)神奈川県委員会(国政政党の日本共産党とは無関係)が合流して結成された。山岳ベース事件、あさま山荘事件などを起こした。
≪山岳ベース事件≫
山岳ベース事件(さんがくベースじけん)とは、1971年から1972年にかけて連合赤軍が起こした同志に対するリンチ殺人事件。当時の社会に強い衝撃を与え、同じく連合赤軍が起こしたあさま山荘事件とともに新左翼運動が退潮する契機となった。
1971年に入ると、革命左派は銃砲店を襲撃し銃で武装するようになり、赤軍派は金融機関襲撃による資金獲得を行うようになる。彼らに対する警察の取り締まりは一段と厳しくなり、また革命左派や赤軍派も警察に対して「殲滅戦」(殺害)を企てるようになっていった。一方、この頃から中核派等の新左翼主流派勢力も過激な闘争を復活・先鋭化させるようになり、交番爆破や東峰十字路事件のような機動隊員の殺害事件も起こるようになった。
1971年に入って共闘関係を結ぶようになっていた赤軍派と革命左派は、やがて「連合赤軍」の結成を宣言したが実態は無く、その一方で両派とも警察の厳しい追及によって活動に行き詰まっており、「殲滅戦」においても他党派に遅れをとるようになっていた。両派は事態を打開するため共同の軍事訓練を行い、指導部会議を重ねていたが、その最中、「総括」と称するリンチで短期間に30名弱のメンバー中12名を殺害し、自ら組織を弱体化させたのが「山岳ベース事件」である。その後、その残党である5名が長野県軽井沢町の別荘「あさま山荘」に立てこもり、警察と銃撃戦を繰り広げ、警官2名と民間人1名を射殺する「あさま山荘事件」を起こすことになる。
*写真は「連合赤軍」のメンバー

以上
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