伏見様及び電光影裏様並びに読者の皆様:
おはようございます。電光影裏様のコメントを読んで、19歳の時の記憶が蘇りました。
大学1年の時に高校時代の同級生が自宅に来て、宴会。でも、肝心なビールが底をついてしまった。
時間は10時過ぎ。酒屋も自販機での販売も終了。そこで、その同級生と一緒に近所のセブンイレブンに行きました。
その当時のキャッチコピーは、「開いてて良かった」とか「セブンイレブンいい気分」。時代は1980年代。
最近は、コンビニに行かなくなったので判りませんが、その当時のコンビニのショーケースには必ず、
瓶ビールが陳列されていました。お目当てのサッポロビールを8本(つまり、同級生と4本ずつ持ち帰り)をレジに持ち込むと。
やや五月みどり風の中年女性曰く、「学生さんでしょ、お若いからビールは何本でも飲める。それより、ウチでバイトしない?」とか。
これは、現在、50を過ぎると昔の思い出に属するのですが。不思議と10代後半から20代全般―年上の女性に声を掛けられました。
理由は不明で、「青春の影」かも。この歌はチューリップでしたネ。ちなみに、カラオケでの私の十八番。
最初は、エアロスミスのドリーム・オンとジョージ・マイケルのプレイング・フォー・タイム。
それで、数日後、初めて履歴書を書いて持参すると、出てきたのは地味そうな店主。50代前半ぐらい。
話はちょっと逸れますが、派手X地味のパターンの夫妻は意外と夫婦円満で、派手X派手又は地味X地味のパターンは
破局こと離婚し易いのが私の分析ではなく、経験知。彼は私の履歴書を見るなり、「ボクも理系なんだ」。
話を聞くと、東北大学工学部を出て昭和電工へ。その当時、サラリーマン界で早期退職の前兆があって、
彼はその第一期生。私が思ったのは、コンビニの店主になるより、カミさんにスナックやパブを経営させて、
彼は自宅で中学生や高校生に数学等を教える塾の先生が向いてるかもと。ずっと、技術畑にいた方だったので、
かなり学者風。英語で云う、象牙の塔の住人(Guy who’s living in the ivory tower)が相応しい。
時期は年末に近い11月。その当時、セブンイレブンは山崎パンのクリスマス・ケーキを重点的に販売していたので、
そのフランチャイズの店主にも過酷なノルマがあった。その前年はノルマの2割さえも達成できなかったので、
本部から厳しい叱責があったとか。昔のセブンイレブンはテレビCM通り、夜の11時で閉店。
ある晩、これからメシに行こうと誘われ、店主と奥さんと私で向かったのが吉祥寺駅前の鮨屋。派手な奥さんは、
「今年ケーキが売れなかったなら、アタシの方からフランチャイズ契約を打ち切ってやる」とか勇ましい。
一方の店主は、「成せばなる」。やはり、性格も対照的。英語で云う、(Opposite attracts・反対同士が互いに惹かれ合う)。
そして、二人とも異句同音に「XXXちゃん(私の名前)、アタマがいいんだから何かアイディアないの?」。
実は、このときに初めて世のビジネス書を読み漁りました。しかし、大学の生協にあったのは、
経済学概論や経営学全般等で即効性のない書物ばかり。それで、銀座のイエナ書房で画期的な本に出会います。
マクドナルド創立者レイ・クロックの回顧録とも云える(GRINDING IT OUT:THE MAKING OF MCDONALDS)。
日本語に訳すと、差し詰め「コツコツとやり遂げる:私のマクドナルド創設秘話」かも?。
この中で、今でも印象に残っているのが「勇気をもて(Be daring)」「誰よりも最初に(Be first)」
「他人と違ったことをする(Be different)」と「初めにシナリオありき(In the beginning was the script)」。
そして、私は、武蔵野市内でも店舗に近いの集合住宅・病院・学校・消防署・警察署に焦点を絞り込みました。
クリスマス・ケーキのチラシを前年より遙かに多い二万部にして頂き、彼らに配布したのです。
また、注文の際の割引価格を二段階に設定しました。12月の第一週までは通常価格の5%引きで、第二週までが8%引き。
このアイディアは店主や奥さんも半身半疑だったのですが、その第二週に予期せぬ出来事。クーポン兼に住所氏名を記して、
現金を持参したお客さんが殺到したのです。前年、64個しか売れなかったクリスマス・ケーキがこの年には3101個
(48倍の販売アップ)を記録。この翌年、山崎パンの営業部長が菓子折りをもって自宅に来ました。
この短期間のバイト(11月~12月)のお陰で、私は翌年から日米会話学院に行くことができたし、
インドにも旅行することができました。その二ヶ月でバイト代(ケーキ販売の手数料も含む)は、127万円でした。
読者の方で、営業関連に就いてる方。上記の本を読むことをお勧めします。必ず、営業成績はグンとアップします。
でも、読んで実行してもダメだった方。コメ欄に書き込んで下さい。別の処方箋を御知らせ致します。
「初めにシナリオありき」が私の好きな格言。
では、片目のダヤン
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鑑定の御相談は下記メアドまでご連絡ください。 尚、携帯電話からメールする人は必ずドメイン設定を解除してください。
harunohi807@gmail.com
おはようございます。電光影裏様のコメントを読んで、19歳の時の記憶が蘇りました。
大学1年の時に高校時代の同級生が自宅に来て、宴会。でも、肝心なビールが底をついてしまった。
時間は10時過ぎ。酒屋も自販機での販売も終了。そこで、その同級生と一緒に近所のセブンイレブンに行きました。
その当時のキャッチコピーは、「開いてて良かった」とか「セブンイレブンいい気分」。時代は1980年代。
最近は、コンビニに行かなくなったので判りませんが、その当時のコンビニのショーケースには必ず、
瓶ビールが陳列されていました。お目当てのサッポロビールを8本(つまり、同級生と4本ずつ持ち帰り)をレジに持ち込むと。
やや五月みどり風の中年女性曰く、「学生さんでしょ、お若いからビールは何本でも飲める。それより、ウチでバイトしない?」とか。
これは、現在、50を過ぎると昔の思い出に属するのですが。不思議と10代後半から20代全般―年上の女性に声を掛けられました。
理由は不明で、「青春の影」かも。この歌はチューリップでしたネ。ちなみに、カラオケでの私の十八番。
最初は、エアロスミスのドリーム・オンとジョージ・マイケルのプレイング・フォー・タイム。
それで、数日後、初めて履歴書を書いて持参すると、出てきたのは地味そうな店主。50代前半ぐらい。
話はちょっと逸れますが、派手X地味のパターンの夫妻は意外と夫婦円満で、派手X派手又は地味X地味のパターンは
破局こと離婚し易いのが私の分析ではなく、経験知。彼は私の履歴書を見るなり、「ボクも理系なんだ」。
話を聞くと、東北大学工学部を出て昭和電工へ。その当時、サラリーマン界で早期退職の前兆があって、
彼はその第一期生。私が思ったのは、コンビニの店主になるより、カミさんにスナックやパブを経営させて、
彼は自宅で中学生や高校生に数学等を教える塾の先生が向いてるかもと。ずっと、技術畑にいた方だったので、
かなり学者風。英語で云う、象牙の塔の住人(Guy who’s living in the ivory tower)が相応しい。
時期は年末に近い11月。その当時、セブンイレブンは山崎パンのクリスマス・ケーキを重点的に販売していたので、
そのフランチャイズの店主にも過酷なノルマがあった。その前年はノルマの2割さえも達成できなかったので、
本部から厳しい叱責があったとか。昔のセブンイレブンはテレビCM通り、夜の11時で閉店。
ある晩、これからメシに行こうと誘われ、店主と奥さんと私で向かったのが吉祥寺駅前の鮨屋。派手な奥さんは、
「今年ケーキが売れなかったなら、アタシの方からフランチャイズ契約を打ち切ってやる」とか勇ましい。
一方の店主は、「成せばなる」。やはり、性格も対照的。英語で云う、(Opposite attracts・反対同士が互いに惹かれ合う)。
そして、二人とも異句同音に「XXXちゃん(私の名前)、アタマがいいんだから何かアイディアないの?」。
実は、このときに初めて世のビジネス書を読み漁りました。しかし、大学の生協にあったのは、
経済学概論や経営学全般等で即効性のない書物ばかり。それで、銀座のイエナ書房で画期的な本に出会います。
マクドナルド創立者レイ・クロックの回顧録とも云える(GRINDING IT OUT:THE MAKING OF MCDONALDS)。
日本語に訳すと、差し詰め「コツコツとやり遂げる:私のマクドナルド創設秘話」かも?。
この中で、今でも印象に残っているのが「勇気をもて(Be daring)」「誰よりも最初に(Be first)」
「他人と違ったことをする(Be different)」と「初めにシナリオありき(In the beginning was the script)」。
そして、私は、武蔵野市内でも店舗に近いの集合住宅・病院・学校・消防署・警察署に焦点を絞り込みました。
クリスマス・ケーキのチラシを前年より遙かに多い二万部にして頂き、彼らに配布したのです。
また、注文の際の割引価格を二段階に設定しました。12月の第一週までは通常価格の5%引きで、第二週までが8%引き。
このアイディアは店主や奥さんも半身半疑だったのですが、その第二週に予期せぬ出来事。クーポン兼に住所氏名を記して、
現金を持参したお客さんが殺到したのです。前年、64個しか売れなかったクリスマス・ケーキがこの年には3101個
(48倍の販売アップ)を記録。この翌年、山崎パンの営業部長が菓子折りをもって自宅に来ました。
この短期間のバイト(11月~12月)のお陰で、私は翌年から日米会話学院に行くことができたし、
インドにも旅行することができました。その二ヶ月でバイト代(ケーキ販売の手数料も含む)は、127万円でした。
読者の方で、営業関連に就いてる方。上記の本を読むことをお勧めします。必ず、営業成績はグンとアップします。
でも、読んで実行してもダメだった方。コメ欄に書き込んで下さい。別の処方箋を御知らせ致します。
「初めにシナリオありき」が私の好きな格言。
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