父は役人で、若き田中角栄が大臣に就任した役所の大臣官房室に勤務していました。従って、彼の役所の秘書官のような存在。
彼には私が生まれた時に会ったことがあるのですが、私には全くその記憶がありません。母は、高校の化学教諭で、
私の出産と同時に退職しました。この影響か家の壁には、元素記号表が3枚程貼っていました。
ちなみに、稀少金属(レアアース)が増えた現在でも私は、その元素記号名とその配列を正確に暗誦することができます。
そして、田中角栄は将来必ず、総理大臣になると、父はよく云っていました。時代は、昭和39年頃。
実は、父から聞いた彼のエピソードには興味深いものが沢山あるのですが、今日のテーマを大きく逸脱するので、省略します。
それで、外国語の中でも『英語』に関して、中学校時代の友人二人と私は、年少時にそっくり同じ原始体験をしています。
私の通っていた地元公立小学校では、毎週土曜日は学級会(中学からはホームルームの呼び名)で、各界の有名人を招きその話を聞き
担任の先生を司会者として、その質疑応答の授業がありました。その日は、クラスの女の子の父親が米軍立川基地に通訳として勤務していたので、
その立川基地内のアメリカン・スクールの生徒4名とその引率の年配の白人女と通訳の日本人(クラスの女の子の父親)。
その風貌は何処となく、眼鏡を掛けた小野ヤスシ(芸人)のようで、存在できないほど軽くて薄く小さかった記憶があります。
軽薄短小。この時、私は小学校四年生。漢字もある程度書けるし、九九の暗算を経て、分数計算や小数点の掛け算と割り算もできるそんな年頃。
この日は、アメリカン・スクールの生徒の短い自己紹介が終わると、直ぐに質疑応答が始まりました。一方、その質問内容はあどけない小学生そのもの。
「ご飯とパンのどっちが好きですか」「日本のアイス(クリーム)とアメリカのアイス。どっちが美味しいですか」
「お家にプールはいくつありますか?」「ドリフターズの中で誰が好きですか」等々。
では、最後に学級委員のXX君(私の名前)の質問で今日の学級会を終えることにします、と担任の女先生。
これが私の英語との強烈な出会いになりました(原始体験)。私は、アメリカは日本に2個の原爆を落としました。
だから、ボクは大きくなってその仕返しでアメリカに2個以上の原爆を落とすつもりです。どう思いますか?と、質問しました。
その後、薄気味悪くて不気味な静寂さがクラスを包み込みました。この薄気味悪い・不気味な意味の英語表現を覚えていると、
とても便利です。英語:uncanny。米語:spooky。
すると、担任は「キミは本当にそう思っているのですね」と、私に念を押しました。確かにそうですと、答えると今度は、
日本人の通訳が私に喰ってかかって来ました。「キミ、勉強はできるかもしれないけど、世の中の仕組みを知らない。
それに、こんな質問はアメリカ人の方に失礼。だから、ボクは訳しません」と。すると、ずっと私の顔を凝視していた年配の白人女が
その小野ヤスシの耳元で囁く動作が見えました。私の直感で、私の質問を早く訳し終えるよう、促しているようにも見えました。
ここから、暫く沈黙が続き、その通訳は黒ぶちの眼鏡を床に落としてしまいました。どうやら、彼もその決心が衝いた。
その英語は何処となく擦れて、上擦っていた。それより、私が吃驚したのは、仁王立ちしたアメ公ババアこと年配の白人女。
ちなみに、大部分のアメリカ人が911(同時多発テロ)の時に何をしたか・誰と話したか・何を思ったのかを未だ正確に覚えているように、
私もこの光景は、今でも脳裏に鮮明に刻まれています。年配のオンナは金切り声を出して、私に卑猥な指を立てながら叫ぶ。
『この糞忌々しいジャップ!黙りやがれ!テメエなんかケツの穴に指を突っ込んで死じまえ!
(You’re fucking and dirty JAP! Fuck the Shut Up! Shove it to your ASS!)』と。ちなみに、
このit は口論の種になった「原爆を落とす」を示すので、正確には核弾頭をケツの穴に入れてクタバレがその意味。
私は、英語で反論することができなかったので、ひるむとなくこう日本語で言い返しました。
『ウルセイ、この糞ババア!表に出ろヨ。テメエをぶっ殺してやる』そして、私は一呼吸置いてからドリフターズの*荒井注のモノマネをして、
『何だ、バカヤロウ!』。勿論、これでクラスは大爆笑。*著者注意書き。私が敬愛した最初で最後の芸人でした。
この日から三日後、私は母親に英語の勉強をするから、ラジオを買って欲しいと要求しました。通訳が云ったことを覚えていたからです。
「キミらも将来、アメリカの大学に行きたかったらFEN(far east network/米軍極東軍事放送)を聞くべきた。周波数は646(当時)」と。
それで、私の勉強方法は、時報と同時に始まるAP(associated press)NETWORK NEWSの二分間の書き取りだけ。他のドラマ、コメディーや模擬裁判等は、
小学生のアタマには難し過ぎる。その内容をカタカナで書き取り、当時中学生だった姉、母親や父親に英文に直してもらう。そんな学習方法でした。
そして、下記で記す二人もこのFENでもう一つの洗礼を受けています。ロックとポップス。伏見さんと同じ慶應経済出身で
アメリカ西部英語発音が完璧な小林克也(ロックDJ)は、外国人に何処で・誰から・どの書籍を用いて、
英語を習得したのと訊かれ、こう云ったそうです。「私は、十代の頃、ロック・ミュージックの洗礼を受けた
(At teenaged, I was baptized with rock music)」と。実際、私も出張先で同じ質問を彼ら受けると、いつも決まってこう云っていました。
「小学校のとき、私は強烈な差別の洗礼を受けた(At elementary school, I was baptized with a tremendous discrimination)」。
これを言って、その顛末を話すとその相手は爆笑。それで、その同僚やお客さんに頼まれて、その出張期間の週末によく教会でスピーチをしました。
今でも覚えているのは、カソリックはその神父のお礼だけ。一方、ユダヤ教会とプロテスタントのラビや牧師からは、百㌦札一枚か三枚の謝礼。
ちなみに、私は宗教の洗礼は一切、受けていません。
*写真は、元総理の田中角栄
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彼には私が生まれた時に会ったことがあるのですが、私には全くその記憶がありません。母は、高校の化学教諭で、
私の出産と同時に退職しました。この影響か家の壁には、元素記号表が3枚程貼っていました。
ちなみに、稀少金属(レアアース)が増えた現在でも私は、その元素記号名とその配列を正確に暗誦することができます。
そして、田中角栄は将来必ず、総理大臣になると、父はよく云っていました。時代は、昭和39年頃。
実は、父から聞いた彼のエピソードには興味深いものが沢山あるのですが、今日のテーマを大きく逸脱するので、省略します。
それで、外国語の中でも『英語』に関して、中学校時代の友人二人と私は、年少時にそっくり同じ原始体験をしています。
私の通っていた地元公立小学校では、毎週土曜日は学級会(中学からはホームルームの呼び名)で、各界の有名人を招きその話を聞き
担任の先生を司会者として、その質疑応答の授業がありました。その日は、クラスの女の子の父親が米軍立川基地に通訳として勤務していたので、
その立川基地内のアメリカン・スクールの生徒4名とその引率の年配の白人女と通訳の日本人(クラスの女の子の父親)。
その風貌は何処となく、眼鏡を掛けた小野ヤスシ(芸人)のようで、存在できないほど軽くて薄く小さかった記憶があります。
軽薄短小。この時、私は小学校四年生。漢字もある程度書けるし、九九の暗算を経て、分数計算や小数点の掛け算と割り算もできるそんな年頃。
この日は、アメリカン・スクールの生徒の短い自己紹介が終わると、直ぐに質疑応答が始まりました。一方、その質問内容はあどけない小学生そのもの。
「ご飯とパンのどっちが好きですか」「日本のアイス(クリーム)とアメリカのアイス。どっちが美味しいですか」
「お家にプールはいくつありますか?」「ドリフターズの中で誰が好きですか」等々。
では、最後に学級委員のXX君(私の名前)の質問で今日の学級会を終えることにします、と担任の女先生。
これが私の英語との強烈な出会いになりました(原始体験)。私は、アメリカは日本に2個の原爆を落としました。
だから、ボクは大きくなってその仕返しでアメリカに2個以上の原爆を落とすつもりです。どう思いますか?と、質問しました。
その後、薄気味悪くて不気味な静寂さがクラスを包み込みました。この薄気味悪い・不気味な意味の英語表現を覚えていると、
とても便利です。英語:uncanny。米語:spooky。
すると、担任は「キミは本当にそう思っているのですね」と、私に念を押しました。確かにそうですと、答えると今度は、
日本人の通訳が私に喰ってかかって来ました。「キミ、勉強はできるかもしれないけど、世の中の仕組みを知らない。
それに、こんな質問はアメリカ人の方に失礼。だから、ボクは訳しません」と。すると、ずっと私の顔を凝視していた年配の白人女が
その小野ヤスシの耳元で囁く動作が見えました。私の直感で、私の質問を早く訳し終えるよう、促しているようにも見えました。
ここから、暫く沈黙が続き、その通訳は黒ぶちの眼鏡を床に落としてしまいました。どうやら、彼もその決心が衝いた。
その英語は何処となく擦れて、上擦っていた。それより、私が吃驚したのは、仁王立ちしたアメ公ババアこと年配の白人女。
ちなみに、大部分のアメリカ人が911(同時多発テロ)の時に何をしたか・誰と話したか・何を思ったのかを未だ正確に覚えているように、
私もこの光景は、今でも脳裏に鮮明に刻まれています。年配のオンナは金切り声を出して、私に卑猥な指を立てながら叫ぶ。
『この糞忌々しいジャップ!黙りやがれ!テメエなんかケツの穴に指を突っ込んで死じまえ!
(You’re fucking and dirty JAP! Fuck the Shut Up! Shove it to your ASS!)』と。ちなみに、
このit は口論の種になった「原爆を落とす」を示すので、正確には核弾頭をケツの穴に入れてクタバレがその意味。
私は、英語で反論することができなかったので、ひるむとなくこう日本語で言い返しました。
『ウルセイ、この糞ババア!表に出ろヨ。テメエをぶっ殺してやる』そして、私は一呼吸置いてからドリフターズの*荒井注のモノマネをして、
『何だ、バカヤロウ!』。勿論、これでクラスは大爆笑。*著者注意書き。私が敬愛した最初で最後の芸人でした。
この日から三日後、私は母親に英語の勉強をするから、ラジオを買って欲しいと要求しました。通訳が云ったことを覚えていたからです。
「キミらも将来、アメリカの大学に行きたかったらFEN(far east network/米軍極東軍事放送)を聞くべきた。周波数は646(当時)」と。
それで、私の勉強方法は、時報と同時に始まるAP(associated press)NETWORK NEWSの二分間の書き取りだけ。他のドラマ、コメディーや模擬裁判等は、
小学生のアタマには難し過ぎる。その内容をカタカナで書き取り、当時中学生だった姉、母親や父親に英文に直してもらう。そんな学習方法でした。
そして、下記で記す二人もこのFENでもう一つの洗礼を受けています。ロックとポップス。伏見さんと同じ慶應経済出身で
アメリカ西部英語発音が完璧な小林克也(ロックDJ)は、外国人に何処で・誰から・どの書籍を用いて、
英語を習得したのと訊かれ、こう云ったそうです。「私は、十代の頃、ロック・ミュージックの洗礼を受けた
(At teenaged, I was baptized with rock music)」と。実際、私も出張先で同じ質問を彼ら受けると、いつも決まってこう云っていました。
「小学校のとき、私は強烈な差別の洗礼を受けた(At elementary school, I was baptized with a tremendous discrimination)」。
これを言って、その顛末を話すとその相手は爆笑。それで、その同僚やお客さんに頼まれて、その出張期間の週末によく教会でスピーチをしました。
今でも覚えているのは、カソリックはその神父のお礼だけ。一方、ユダヤ教会とプロテスタントのラビや牧師からは、百㌦札一枚か三枚の謝礼。
ちなみに、私は宗教の洗礼は一切、受けていません。
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