洗練度を増していくフィリピンギャングと協力しながらヤクザは、賭博、詐欺、マネーロンダリングなどにも進出していったが、
性貿易の次に重用ししたのは密輸活動の基地としてだった。何千もの島(ほとんどが未開発)をかかえたフィリピンは、
悪臭を放つ覚せい剤工場を造るのに便利な場所を提供する。さらにヤクザが関心あるのは拳銃で、フィリピンには豊富にある。
フィリピンは銃器の主要な供給源となり、日本に何千もの拳銃を供給している。ヤクザのカネは、フィリピン中央部に位置する
セブ島の沿岸沿いの町ダナオ周辺に零細な銃器製造産業を発展させた一つの引き金にさえなっている。
この地域では5000人もの職人が、マグナム、コルト、ベレッタなどの安価なまがい物を造るようになった。
最大の史上は国内向けで、顧客は共産主義やイスラムの反政府組織から各種の思想・心情をもつ地方武装集団、犯罪者までさまざまである。
しかしヤクザも頻繁な買い手で、88年、京都・会津小鉄会はフィリピン銃器職人を5人呼び、日本に地下工場を造らせることまでやっている。
創業は2年しか続かなかった。日本の警察に乗り込まれたのである。しかしその間、160丁ほどの銃をつくり、約60万ドルの収益をもたらした。
86年10月、世界は武器市場の一端をかいま見ることになった。マニラから大阪に向っていた対航空のジェット機後部を爆発が揺り動かしたのである。
飛行機は衝撃のため急降下し、数分で6・5キロも高度をさげ、乗客は座席から放り出され、14人が負傷し、飛行機はやっとのことで緊急着陸した。
調査の結果、爆発を起こしたのはフィリピンから帰国途中の山口組員が密輸していた手榴弾だったと判明したのだ。
警察によると、問題の組員は税関をとおり抜けるためトイレに行ってアメリカ製手榴弾を包もうとしていたところ、飛行機が乱気流に入り、
誤ってピンを引いてしまったとのことである。(タイ航空機爆発事件)
手榴弾やほかの武器はフィリピン内の不良兵士や闇史上から入手できる。マニラコネクションと呼ばれる重機製造グループの本部に
マニラ警察が乗りこんだとき、マシンガン、自動小銃、拳銃50丁、小さな攻防戦に使えるほどの弾薬、さらにさまざまな麻薬が見つかったと報じられている。
これに先立って、製造グループの黒幕・31歳になるH・Kというヤクザが、マニラ郊外の駐車中の車のなかで死んでいるのが見つかり、
これまで数人のヤクザがマニラの濁った川に浮かんでいるのが見つかっている。グループの内紛、あるいはフィリピンパートナーとの紛争後である。
実際、善人であれ悪人であれ、多くのフィリピン人はヤクザが来たことに強く憤慨している。
ある時点では、フィリピンゲリラ組織の「処刑」の標的となったヤクザもいた。
*写真は日本のヤクザが出資して作ったセブ島ダナオノ銃器工場
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