フィリピンで暗躍するヤクザたち
70年代のセックスツアーで進出して以来、ヤクザはフィリピンに第二の故郷を見出した。実際、フィリピンは韓国に次ぐヤクザの
国際活動の中心となっている。フィリピンは若く積極的なヤクザにとって興奮を覚えさせる場所である。アメリカの旧植民地は7,000の島からなる
靄のかかった蒸し暑い汗まみれの列島であり、中心は1,000万以上の人口を抱える首都マニラ。英語がつうじ、発展途上の経済を持ち、
広範な腐敗行為にまみれた国で、ドルと円が実にものをいうところである。
ヤクザでは日本でつちかったいくつかの手法を使って、フィリピンの8000万国民を支配する人々と重要な政治コネクションを作り、
買収によって地方実業家と官僚の両方にもうけとなる長期的関係を築きあげている。商売熱心なヤクザは、適切なところに賄賂を贈ることで
投獄や国外追放を避け、あやしげなビジネスを維持し、何も開かれずに何度も税関を通過してきた。
合衆国麻薬取引局の秘密報告書によると80年代なかばごろには、山口組、稲川会、住吉会の幹部らはマニラのウォールストリートと
呼ばれるマカティに事務所を開いていた。スラム街の脇に立ち並ぶマカティの高層ビル群やモール、国際ホテルなどは、ヤクザが表看板にして
使いたがる貿易会社や旅行会社にとって過度な場所を提供する。報道によると、町井久之(本名:鄭建永)の犯罪組織は「フィリピン珊瑚礁探査権」
を取得したという。しかし最大の初期投資はマニラのアーミタ地区でおこなわれ、ここはフィリピン性貿易の中心である。
マニラの主要日刊紙「タイムズ・ジャーナル」は82年に、この地区の少なくとも30のクラブ、レストランがヤクザ所有だと警察当局者は述べたと報じている。
フィリピン人の表向きの所有者を持つこれらのビジネスは、銃器や麻薬の密輸、女性人身売買のフロント(隠れ蓑)として機能しているといわれた。
80年代はじめになると、マニラの新聞はヤクザ活動のセンセーショナルな記事であふれるようになる。
ある日刊紙は「ヤクザの見分け方」という大きな囲み記事を掲載したが、刺青の入った背中や小指のない手の写真が入ったものである。
別の新聞は「奴隷貿易ヤクザ、追跡」という全段抜きの見出し記事を載せた。一方、マニラ警察はあるマニラ在住のヤクザから、
ヤクザは情事数百人活動しているとの証言を引き出した。88年にはフィリピン高官が国内(おもにマニラ周辺)へ100人のヤクザが活動と推定している。
*写真はメトロマニラで、フィリピンのウォール街と呼ばれるマカティ市
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