伏見様及び読者の皆様:
片目のダヤンです。ホント、私が小学校低学年時に流行った頭脳警察の「コミック雑誌なんかいらない」♪俺にはコミック雑誌なんかいらない。
俺のまわりは漫画だから♪の世界ですネ。それで、今回も急遽、話題を変えて「創価学会の英語力を斬る!」を綴ります。
これは、ニセ者(ダブル)の小和田恒が先月、東京で開催されたシンポジムに参加した件から。
先ず、笑ってしまったのがそのダブル小和田が参加した英語のキャプション。始めに、「訳し難い日本語訳」からとその「記載英文」。
「東京研究集会:マスコミとビジネス共同体は、成長持続発展に対して十分なのか?」
(Tokyo Workshops: Are the Media and Business Community Enough on Sustainable Development?)
う~ん。この方、日本語から英訳したのは直ぐに判るのですが。そもそも、その日本語で何を問いたかったのか?
何を論点にしたかったのか?即ち、論点整理と論点抽出が出来ていない。これは、「成長持続社会」が論点なのは、小学生でも判る。
そうすると、「我々は成長持続発展に対して、何ができるのか?」又は「我々の成長持続社会に向けてできる役割は、何か?」にすべきでしょ。
前者:(What we can do for the sustainable development?)
後者:(What is the role play that we can do toward the sustainable society?)
やっぱり、創価って日本語の文章もヒドイけど、英語表現はもっとヒドイ。このへんは、同じ信者のキム・コムロ君に訊いても大差は、なかったでしょ。
次に、このような稚拙な内容を記したブログ「これでいいのだ日記part2」と管理者名「まゆ」(mayu)を拝見しました。
この場合は、(visit)ではなく(browse)になる訳。この違いは判るかしら?
それで、そのブログを客観的にナナメ読みした率直な感想。この方、文章を綴る根本的な図式というか論理構成が、絶望的なおばさん。
先ず、批評を綴る際の「三段論法」も学習したことがない。「原則」→「しかし」→「そこで」の順。フツーは、大学の教養課程の前半で学習するけど。
予期せぬ諸事情等があって、進学はしなかったのかしら?
そして、事象や分析を文章に嵌め込む作業も小学生レヴェル。従って、読み終えた読者に判断を委ねる「方式」を採用している。
そこで、その読者のコメを読むと、創価信者顔負けの文章。個人的には、読者全員のコメに対して漢字の「ルビ」を振って欲しかったけど。
あと、思い浮かんだことは、このオバサン。何処となくカルトや新興宗教のニオイがする。それも「過去完了形」か「現在完了形*」か
「現在進行形」の何れか、判らないけど。なお、仮定法過去完了や仮定法未来完了は、このオバサンの文面から有り得ない。
(*経験・過去・継続の要素を含んだ基本的英文法のひとつ)
だから、文章に事象や分析を書き込むことはデキナイが、見解(新興宗教の教科書)を書き込むことは、デキル。
恐らく、その手のことを【仏敵】と教わったのでは?クライ話しばかり続いたので、最後は明るい話題を。
先週、教え子の女子中学生からこんな相談を受けました。「センセイ、夏休みの読書感想文ですけど。その書き方を教えてください」
それで、詳細を聞くと「どんな本でもイイ」とか。私の助言は、その作家の文体を最後に「マネ」で書くこと。
すると、相手は怪訝そうな顔をしたので、例題を出しました。叔父の笹沢佐保だったら、「その後、一家は離散して発狂したと伝えられている」。
松本清張だったら、「その後、捜査本部は解散して事件は迷宮入りになった」。開高健だったら、「その後、私はアラスカをさまよい、最後にキングサーモンを捕らえた」。
そしたら、この生徒「なんて、云ったと思います?」「センセイ(私のコト)が書いた文章を私が修正して提出。これって、イイでしょ?」う~ん。
でも、私に書かせないほうがいいと思うけど。だって、題材は「宇能鴻一郎」か「川上宗薫」しかないから。
「その後、アタシはスゴク感じるようになりました」なんて書いたら、この国語科の教師から何を云われるか判らない。
では、片目のダヤン 次回は纏めて、「読者様の回答」を綴ります。
*写真は「偽物」の小和田恒とツーショット写真をとる、公明党の岡本光成議員、「偽物」がばれるとすぐフェスブックから削除した。
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