竹内綱――――?
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茂→吉田健三の養子へ
★【大前提】日本の憲政史上、総理大臣を務めた人物で、実母の姓名、及び出自が不明なものは吉田茂のみ。
幕末の志士、木戸孝允、伊藤博文ですら「芸者上がり」でも妻の姓名、出自は明確である。
維新動乱がすっかりおさまった、明治11年に、吉田は生まれた、生母の姓名出自が不明なのは、実父の竹内と養家の吉田が、知っていて隠蔽しているからである。
★「戦後政治史最大のタブー」は吉田茂の「生母の氏名と出自」。高名な政治学者、京都大学の高坂正堯ですら、触れていない。
麻生太郎本人は「深川の芸者」が生母だと高知県宿毛市の歴史資料館(実父竹内綱の生地)に言っているが、館長は電話口でその説を冷笑していた。
幕末も当時も「芸者」は「売春婦」ではなく、今で言えば女子アナ、女性キャスターの様なインテリのキャリアウーマン、「源氏名」がちゃんとあるはず。
★例:長州の木戸孝允、愛人は京都三本木の芸者「幾松」、維新後、正式に結婚して「木戸松子」等々他に多数の同一例有。
Wikiより
★実母の身元はいまでもはっきりしない。となる。ジョン・ダワーによると、「竹内もその家族もこの余計者の五男と親しい接触を保っていたようにはみえない」という。
「出典」ジョン・ダワー「吉田茂とその時代」
★幼少期の吉田茂は異母兄弟の竹内家の4兄弟からも、蔑視されていた。一重に茂の生母の身分によるものだろう。
耕余義塾(こうよぎじゅく;吉田が通った漢学塾)時代、塾生が『養春』という雑誌をだしていたが、その雑誌に吉田は「帰んなんとて家もなく 慈愛受くべき父母もなく
みなし児書生の胸中は 如何に哀れにあるべきぞ」という歌を寄稿したことがあり、複雑な家庭に育ったがゆえの孤独さをしのばせている
出生をめぐる回想のなかでも吉田は実母に言及することを用心深くさけている…」という。・・・・同じく、ジョン・ダワー同著
★ニュース映画等で見る吉田は「極度の癇癪持ち」だが、知人に「生母の事を聞かれても激怒せず、冷静に話を逸らせた。
吉田茂にとって、「生母の出自」を明かすことは、「自分の築いてきた地位と権力」を一瞬にして崩壊するもので、短気な吉田も
辛抱して、「あの世に持って行った」と考えるのが自然であろう。
★昨年亡くなった作家の鬼塚英明氏は著書や、DVDで吉田の生母は「長崎の遊女だ」と断言している。
「遊女」は「売春婦」であり、下層階級の出身である。部落民、穢多、非人の出自である。
ちなみに、鬼塚氏は必ず原典に当たり、信用できない資料は採用しないので、彼の著作は「全国図書館賞」を受け、「陰謀論」扱いは受けていない。
★戦後政治に間違った路線を引き、正田美智子を入内させて、「皇室の北朝鮮化」を狙い通り実現させた、工作員にして売国奴、吉田茂(怒)
「あの世に行った「大奸物(大悪党)」の政治的負債は、孫の麻生太郎氏が生きているうちに「清算」する義務が有る。
≪吉田茂の生母の氏名と出自、それを証明する歴史学者の批判に耐えうる資料をネット上で公開してもらいたい。≫
★期限は、一週間後の7月15日AM0時。手間のかかる仕事ではないはずだ。
期限までに誠実な対応が無いか、無視すれば、私は、「吉田茂の血をひくものは穢多・非人」と言う確信点から、論を展開する。
★三笠宮に嫁いだ実妹と姪にあたる2女王。
吉田茂の血に「穢れ」が無いことを証明できなければ、「万世一系、男系男子相続」を鉄則とする「国体」を破壊してまで
実妹と姪2女王の「女性宮家」の創立は、麻生太郎自身の「私利私欲にすぎない」と国民は気づくだろう。
*写真は、遊女たち
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