私「それにしても、「天皇家の預金」を何故、ご自身が引き出せなかったのでしょうか?」
元高官「それには、長い話がある。私は1995年、著名な外交評論家H・K氏(イニシアルにするように指示)の紹介状を持って、渡米し、
元GHQの高官で、戦後、日本の「民主化改革」に辣腕を振るった、チャールズ・ケージスにニューヨークまでインタビューに行った。聞きたいテーマは
「戦後処理の一環として、昭和天皇の「個人資産」をどう処理したか?」と言う事を聞きたかったからだ。
ケージスはもうじき90を迎えようとしていたが、至って頭脳は明晰、かつての「切れ者」辣腕ぶりを彷彿とさせた。」
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以下は元高官とケージスのインタビューのポイントをかいつまんだものである。
元高官「昭和天皇の個人資産はどう処分したのか?」
ケ「処分なんてしてないよ。ちゃんと外国に口座をいくつか作って、ヒロヒト名義で開設してやったのさ」
元「没収しようという気は無かったのか?」
ケ「全くなかったね」
元「何故?」
ケ「ヒロヒトは、我々の占領行政にはなくてはならない人だし、我々の工作資金も気前よく融通してくれたんだ。
驚いたのは、敗戦国になっても革命にならず、ヒロヒトが民衆に殺されなかったことだね。あり得ないよ。一次大戦のドイツや、ロシアのロマノフ朝の運命を見れば
一目瞭然だ。ヒロヒトは只者ではない。付き合いが深まるたびに、私も上司のウィロビー(GHQ民政局長)もヒロヒトに畏敬の念を感じるようになったんだ。
しかし、驚いたね。一帝王が、天文学的な金額の個人資産を持ってたとは・・・・」
元「総額、いくらでしたか?」
ケ「言えないね(笑)あの世に持っていくよ。国民はヒロヒトに懐いていた。革命が起こる気配もなかった。しかし、将来はわからない。それで
我々は、彼に提案したんだ「守秘義務で定評のあるスイスの銀行に預けませんか?」ってね。
すると、ヒロヒトは、「祖父のムツヒトの代からスイスの銀行に口座が有るはずだから、そこに入れたいが、敗戦で外交ルートが亡くなったので
代わりに手続きしてくれませんか?」と言うので喜んで引き受けたよ」
元「銀行名は?」
ケ「これも言えないね(笑)それと、ヒロヒトには、「信用性の高いスイスの銀行でも、絶対とは言えないから、分散して口座を作りませんか?」
と聞いたら「よろしく頼む」と言うことだった。それで、スイス国内の複数の銀行と某国の銀行に新しく口座を作ったんだ。
それにしても、ムツヒト以来の口座をの残高を除いたらOMG(オーマイガット)だったよ。イタリア一国は買える金額だったんだ。
しかも、履歴を見ると引き出した形跡は一切なかった入金のみ。「何故引き出さなかったんですか?」とヒロヒトに聞いたら
「あの口座は、単に名義が代々の天皇になっているだけで「国家有事」の時の為に使うものです」と言うんだ。
私は日本帝国が戦争に負けた理由がよくわかったよ。金は唸るほどある癖に、太平洋戦争では、帝国内にも、占領地にも
鉄くずも油田も、ウラン鉱も発見できなかったからだ。まさに黄金の国「ジパング」だよ(笑)」
元「某国とはどこですか?」
ケ「言えないね。俺が消されるからね(笑)」
元「それで、手続きは順調にいったのですか?」
ケ「それが、すったもんだで、相当手間がかかったんだ。日本は普通の国と違う。忘れられない記憶だよ。」
続く
写真は昭和天皇の財産保全に辣腕を振るったチャールズ・ケージス
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