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Channel: 伏見顕正(あきまさ)の「時を斬るブログ」
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皇室の「北朝鮮化」が起きたのは、崇徳上皇の怨霊がまたお怒りになったため,拡散自由

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【崇徳上皇の怨念】

『保元物語』によると、崇徳院は讃岐国での軟禁生活の中で仏教に深く傾倒して極楽往生を願い、五部大乗経

(『法華経』・『華厳経』・『涅槃経』・『大集経』・『大品般若経』)の写本作りに専念して、

戦死者の供養と反省の証にと、完成した五つの写本を京の寺に収めてほしいと朝廷に差し出したところ、

後白河院は「呪詛が込められているのではないか」と疑ってこれを拒否し、写本を送り返してきた。

これに激しく怒った崇徳院は、舌を噛み切って写本に「日本国の大魔縁となり、皇を取って民とし民を皇となさん」

「この経を魔道に回向(えこう)す」と血で書き込み、爪や髪を伸ばし続け夜叉のような姿になり、

後に生きながら天狗になったとされている。崩御するまで爪や髪は伸ばしたままであった。

また崩御後、崇徳の棺から蓋を閉めてるのにも関わらず血が溢れてきたと言う。

【怨霊の現れ方】

怨恨を持った公家等の急死は、没後数年で完了した。その後は、約100年ごとに、戦乱(応仁の乱)、国難(元寇)等の社会不安や、治安の乱れとして現れるという。

1864年、開国後、攘夷戦争、京の治安の混乱、などの原因が、崇徳上皇の怨霊の表れと確信した孝明天皇は、崇徳上皇の御陵を、京に移転するように幕府に命じた。

しかし、孝明天皇は急死して果たせなかった。先帝の意思は明治天皇が実行した。明治天皇と昭和天皇の参拝により、19世紀と20世紀は収まってくれた。

だが、21世紀になって今上陛下は参拝してないので、現在の「皇室の極限状態」が起きたのであり、崇徳上皇のお怒りだと思う。

★崇徳上皇の遺言は

「皇を取って民とし民を皇となさん」です。「皇」=「王」、「民」=「土民」とする解釈もあります。

要するに、下賤の者を天皇とする。とうことですから。まさに「今の皇室」を表しているのではないでしょうか?

実際、そうなりましたね、上皇が崩御された四国の土佐の血を引く、吉田茂と言う部落民が登場し、マッカーサーのけつを舐めながら長期政権を築き

長期の布石と、策謀で、「愛国派」の抵抗を押し切ってクリスチャンで半島系部落民の正田美智子を強引に入内させ、宮内庁や皇室職員に息のかかったクリスチャンを押し込んだ。

そして、次の皇太子妃を昭和38年生まれの小和田雅子に決めた後、昭和42年にアメリカ工作員の義務を果たして死んだ。

【戦後最大のタブー「吉田茂の実母の出自と氏名」及び正田美智子の入内の「裏工作」】

吉田の生母の欄は、戸籍では最初「不詳」となっていました。それでは不都合なのか、次は「瀧子」とした、これは笑止で、実父竹内綱の正妻です。

正妻が勝手に名前を使われて起こったのか、その次から系図では勝手に生母の欄を「空欄」にした。

私は、真実を確認しようと実父、竹内綱の出身地の高知県の宿毛市役所に電話をかけた。

係りの女性は「歴史資料館に聞けばわかると思いますよ」と電話番号を教えてくれた。

電話をかけ「吉田茂の生母について教えてほしい」というと

「ちょっと待ってください詳しいものに変わりますので」と館長らしき男性に変わった。感じのよい人でした。

館長(?)「いや~わからないんですよね(笑)麻生太郎さんは「深川の芸者」だなんて言ってますけどね、えへへへ」

私「芸者だったら、ちゃんと「源氏名」が記録に残るはずですよね」

館長(?)「その通りです。良く高級クラブに飲みに行く麻生さんならよくわかってると思うんですがね」

私「母親は長崎の女郎だという作家もいますよ」

館長(?)「あはは、可能性強いですよね」

私「とりあえず、現時点では歴史学的には「吉田茂の実母は生誕100年以上たっても不明」と言う結論でよろしいでしょうか?」

館長(?)「ええ、結構です」

★私の感触では、地元につながる伝説で、吉田の実母の正体を知っていると思った。

実際、私の大学時代やサラリーマン時代の高知出身の人は、吉田茂のことを好いていなかった。

「あの人は、選挙の為だけに高知から出た人だ。威張ってて、道路一本引かなかった」

そして、高知の人に共通する真の地元のヒーローは坂本龍馬だった。

≪吉田茂が満たす「部落民」の条件≫

①出自が一般国民に非公開で、かつ、一族間で徹底的に「隠蔽」していること。

1981年出版の、アメリカ、MITの政治学者、ジョン・ダワー(妻は日本人)の「吉田茂とその時代」で、政治学者としては初めて「吉田茂の生母の出自と氏名は今を持っても不明である」と書いた。

また、、「竹内もその家族もこの余計者の五男と親しい接触を保っていたようにはみえない」とも述べている。

実母の竹内家も、養家の吉田家も、特に竹内の異母兄弟たちも、薄々知っていたか、厳しい箝口令を布かれていたのだろう。それどころか兄弟なのに「交際禁止令」である。

生母の出自を言えば、吉田の将来のキャリアが消滅しかねない出自の女だったに違いない。

生前の吉田は、知人との会話で話が生母のことに振られるのを非常に慎重に避けていたそうである。

養父吉田健三から引き継いだ英国工作員の「裏稼業」、駐日アメリカ大使のグル―と築いたCIA工作員、それでこそ、東大裏口入学者でも長期政権を維持し

自分と同じ階級の女を皇太子妃にねじ込めた。「正田美智子入内工作」はアメリカの強い意志であり、吉田にとって絶対に失敗できないノルマだった。

親しくて同じCIA工作員仲間の緒方竹虎が、CIAに消されている。自分も「美智子入内プロジェクト」に失敗すれば、消される可能性は十分にあった。

吉田は必死だったに違いない。それ故、生母の出自は絶対に墓場に持っていかねばならない案件だったのだ。

それ以前に出版された、京大の国際政治学者、高坂正堯の「宰相吉田茂」でも、全く、吉田の出自については触れていない、意図的に避けている。

高名な政治評論家、藤原弘達の著書も同じだった。

同じ1981年、私は大学で、政治学科の国際政治学者、神谷不二教授の講義を聞いていた。神谷先生は出身は東大で、慶応の神谷、京大の高坂と東西並び称される優秀な先生だった。

当時、先生の修士課程に、今回「生前退位の有識者会議」のメンバーに選ばれた、宮崎緑がいた。三田で何回か見かけたが、息を呑むような美人だった。

ダワーノ書籍が出版された直後の授業で、珍しく冷静な神谷教授が興奮していた。今でも覚えているが、ダワー批判で

「今、ダワーノ本が高い評価受けていますが、あんなこと私たちだって知ってましたよ(怒)書けなかっただけです」

今にして思えば、外人のダワーが、あっさりと吉田の生母のことを書けたのに嫉妬を感じたのだろう。

【政治学者に吉田の生母について書かせなかった戦後最強にして最悪の元ファーストレディ】

その名は麻生和子、吉田の三女である。昭和14年に妻の雪子に死なれた吉田は愛人の芸者小りんを自宅にいれ同居を始めた。

しかし、終戦直後総理になった吉田は元芸者をファーストレディにするわけにはいかなかった。

そこで事実上のファーストレディになったのが和子だ。聖心女子学院卒、父親の駐英大使赴任に伴ってロンドン大学に留学、得意な英語が父親の外遊に役立った。

吉田が総辞職するまで、7年強ファーストレディを務めた。

解散権の濫用で有名だった吉田はそのたびに、頻繁に内閣改造をやった。

閣僚を決めるときは、和子を中心に吉田の側近を入れて麻雀をやり、最後は和子の「天の声」で閣僚人事を決めていたのは、当時の「番記者」では有名な話だった。

安全保障専門家の佐々淳孝氏の「私を通り過ぎて行ったマドンナたち」に彼女の性格が詳細に描かれている。

現在の渋谷の麻生邸で、私的サロンを開き、将来有望な官僚達を選んで、パーティーで人脈を広げた。

気に入った人物には、高官ポストの斡旋もやった。その代表が佐々氏だろう。自信家で自慢話大好きの彼は、何が原因か?

警察官僚時代は、昇格と左遷を繰り返した。自分でも「万年課長」と自嘲している。

そんな佐々氏が定年前の56歳、突然中曽根内閣の初代安全保障室長に抜擢された。表面的には後藤田正晴の推薦と言うことになっているが、裏では麻生和子の強いプッシュが有ったのだろう。

同年1986年三原山が噴火、危機管理担当の佐々氏は現地で陣頭指揮を執る。

やっとの思いで、住民を避難させ老いたと思ったら、突然ホットラインが鳴る。

麻生和子だった、いきなり詰問口調で「どうして犬は非難させないの(怒)動物愛護国のイギリスが見たら非難されるわよ!」

佐々氏はそれからまた犬の非難に一仕事したそうだ。

★私が思うに、「動物愛護」も必要だが先ずは「人命優先」でしょうが。

父吉田茂が総辞職した1954年(昭和29年)にファーストレディの座は失っているにもかかわらず、この老婆は、32年後まで

政府高官に、自ら直接命令をしているのだ。佐々氏も要請を拒否できない大きな義理が有ったことは間違いない。

父親が総理に就任した1946年から、この女は亡くなる1996年まで50年間ファーストレディとして「裏で権力を行使」していたのだ。

日本の政治学者や作家、評論家は、麻生和子が健在のうちは、報復が怖くて、吉田の生母については触れられなかっただろう。

本人の著書「父 吉田茂」も読んだが、父方のおばあちゃんのことは一切触れずじまいだった。大好きなお父さんのお母さんに興味がなかったとしたら不自然だと思う。

非常に「きつく強気な性格」だったらしく、佐々氏は、三女麻生信子が、髭の殿下三笠宮寬仁親王に輿入れする際に、母親の和子の性格を知っていたから、前途を危惧していた。

不幸にも予想通りになったが・・・・

安倍昭恵夫人が可愛く見えないだろうか?彼女は、軽率で夫に迷惑をかけているが、ファーストレディの座を「権力」に変えて

安倍内閣の大臣ポストを決めてるわけでもないし、直接政府高官に命令しているわけでもない。

「天皇御謀反」で「倒閣工作」を仕掛けられている最中に、「昭恵夫人バッシング」は総理の足を引っ張っているだけだと思う。

②障害児が生まれている。

部落の血筋を引く家庭には、「障害児」が生まれる確率が高い。次女江子は夭折となっているが、障害児だった。

生前、吉田は次女ことに触れられるのを極端に嫌っていた。藤原弘達は「冷たい男だ」と著書で評している。

③敬虔なクリスチャン

吉田の複雑な出生、墓場に持っていかねばならない「工作員の裏仕事」を考えると、救済はキリスト教しかなかっただろう。

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話しは吉田茂に大きくそれたが、1世紀に一度は来る崇徳上皇の怨霊を鎮めるために

次代を代表して、秋篠宮両殿下には香川県坂出市の御陵にお参りに行ってほしい。

科学的根拠はないが、「上皇の怨霊」を鎮めたら今の「皇室」の「緊急事態」は治まると思いたい。


*写真は崇徳上皇


以上
 


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