先帝様は1987年の4月29日、誕生日食事会の席で、突然嘔吐した。この時隣に美智子が座っていたのは有名な話である。
手術後、一時的に回復するが、翌1988年になると、体重の減少が激しくなり公務がほぼ無理になった。
すると、2月23日、有名な「名古屋アベック殺人事件」が起きる。別名「大高緑地殺人事件」という。
もう、28年前の「凶悪少年犯罪」だが、地元の人は覚えているだろう。 男女6人の不良グループが二人のアベックに
凄惨な暴行を繰り返した挙句。残忍な方法で殺害した。
同年11月、足立区綾瀬で「女子高生コンクリート詰め殺人事件」が発生した。もう文章にしたくないが、被害者の女性は1984年1月4日に死亡した。
その三日後に昭和天皇崩御。 ★私は、この忌まわしい2事件は、昭和天皇が、今まで国民を守ってきた「パワー」が無くなることにより発生した事件だと思っている。
★逆に言えば、昭和天皇がもう数年健康であれば、おきなかった事件だと思っている。
私の生活では平和だった「昭和の時代」、「凄惨な凶悪殺人」と「鬼畜の少年犯罪」は記憶にないだけに、正直トラウマとなった。
しかも、両事件とも、「人間性を超える鬼畜犯罪」にもかかわらず、「少年法」と言う理不尽な壁に阻まれて、死刑とならず、
今は全員出所して 「コンクリート事件」の主犯宮野は「振り込め詐欺」で再犯、No2 の神作譲二は、監禁傷害で有罪再び4年の実刑を受けた。
★しかし、平成になると、「酒鬼薔薇事件」「光母子殺害事件」などが、多すぎて、逆に鈍感になってしまった。
≪昭和天皇は「今城追放事件」で祭祀の簡素化には同意したが、放棄したわけではなくお倒れになるまで続けられた。≫
≪平成は「凶悪事件」「自然災害」の起きない年は無い≫
★先帝様は終戦後、自ら、マッカーサーを訪問し「自分の身はどうなっても良いから、国民を救ってほしい」と毅然と訴えた。
今上陛下は、戦争中、日光に疎開し、イタリアが降伏し、ムッソリーニが国民に吊るされたニュースを聞くと、
恐怖の余り、机の下にもぐり号泣した。戦後は、エリザベス・ヴァイニングと言う図書館司書の女に洗脳教育を受け
「私が天皇になったら、9時から5時までだけ働きたい」と発言した。
現在3億2千万円の内廷費を血税からもらいながら、9時―5時の仕事は放棄し、夜間に妾と二人で、SPをぞろぞろ引き連れて「徘徊鑑賞」で国民にアピールしている。・・・「仕事してるふり」
*写真は「コンクリート詰め殺人事件」のNo2の神作譲 被害者に暴行した数では、事実上の「主犯」と見られている。
この朝鮮糞餓鬼の母親は「逆恨み」して、被害女性のお墓を壊したキチガイ。 「自分の息子は悪くない」と言い続けている。
この婆だけ、遺族への賠償支払いを拒否して、埼玉県三郷市のスナックを閉鎖して、茨城県取手市に逃亡したらしい。
神作は出所後、知人男性を拉致監禁して暴行し、傷害罪の実刑でまた、4年のブタ箱行きとなる。
被害男性には「もう人を殺しているんだから何人殺しても同じなんだぞ」と脅す。
裁判では、被害男性は怖くて出廷せず、逃亡。 神作は、日本では働けないので、中国で働くために中国人女性と結婚するも離婚。
結局、ヤクザになる。浅草三社祭にはよく参加するらしい。 180cm以上の巨漢。事件後現地に居座っているのはこいつだけ。日本人は注意しよう。 以上
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