【今城誼子(いまきよしこ)氏とは】
旧堂上家(公家の家格の一つ)のご出身で、香淳皇后の女官。それ以前は貞明皇太后の女官で、宮中祭祀に厳格な皇太后の薫陶を受け
それを、香淳皇后に伝え影響を与えた。
香淳皇后は「祭祀の厳格化」を先帝様に訴え、「賢所」の冷暖房設置に反対した。
「日本の国がいろいろをかしいのでそれにはやはりお祭りをしつかり遊ばさないといけない」「(賢所の冷暖房工事に反対して)
神聖な賢所には釘一本、打つことは許されません。そのくらい我慢おできにならぬお上ではない」
★当時71歳の先帝様にはきついかもしれないが、「国家と国民を守る祭祀王の有るべき祭祀」としては、筋が通っている。
明治天皇は真冬、御所の中で「火鉢」を抱きしめて極寒に耐えていたのだから。
★後に香淳皇后は、「自分の考えとして言った」と述べているが、今城と天敵であった侍従長の入江相政は日記に、
「今城が、皇后様を洗脳させ過激化させた」と書いている。・・・入江相政日記
★入江は、私の歴史観としては、「陰湿極まりない公家」の典型で、昭和天皇の寵愛と権勢を独占しようとする「君側の奸(君主の傍に控える悪人)」
に他ならない。加えて、入江は、神道と相いれないクリスチャンである。入江のバカ息子の為年は、平成になり、今上に頼まれて、小和田雅子と佐伯徳仁の仲を取り持っている。
為年は、小和田恒の子分の柳谷謙介元外務次官につないで、有名な「鴨場デート」をさせた。
★親子そろって「君側の奸」である。
≪入江の根拠なき今城への誹謗中傷≫
「今城は「新興宗教」にはまり、香淳皇后を入信させようとしている」と日記に記載しているが、後に、「新興宗教」自体事実無根であることが確認されている。
要するに、入江の「事実無根の讒言(ざんげん)」だったのだ。
★1192年、頼朝が鎌倉に幕府を開き「武家政権」を確立して以来、天皇と公家勢力は実権を失い、経済的にも困窮化し始めた。
従って、「公家の仕事」は、毎日「日記」をつけるだけのことになり、それが、或る意味公式記録となった。
しかし、「日記」は、自分の死後「他人が読むことを前提」に書くものであり、自分のミスや他人との争いは、自分の正当性を印象付けるように、書くのは必然である。
★公家でもないのに、同じ手を使ったのは、麻生太郎の外祖父、大久保利通である。大久保は「佐賀の乱」で、政敵、江藤新平を逮捕した後、「裁判で死刑を宣告された
江藤が、怯えて腰を抜かした」と江藤を貶め、矮小化する悪意の表現で日記をつけた。目撃者によると江藤は反論しようとして、腰を上げた所、刑吏に腰縄引かれ転んだだけだった。
★要するに「入江日記」は史料として、非常に低レベル悪質のものであり、【皇室内クリスチャン勢力の策動の正当化と天皇祭祀の廃絶活動を隠蔽】したものである。
★現に入江は、有りもしない「香淳皇后の美智子苛め」をマスコミにリークし、平成まで30年間、「姑たちに苛められるお可哀そうな美智子像」を国民に定着させた。
現在、政権内で、旧皇族、華族の復帰が議論に挙がっているが、竹田と入江は絶対除外しなければならない。
≪背後には大きな「闇」が有った≫
★入江は「オク」=天皇の最側近の侍従、反対語は「オモテ」宮内庁長官のこと、の実権を握るために香淳皇后の影響力を弱める必要があった。
皇室で「孤立」する美智子は、男女の関係にある入江を応援して、昭和天皇と香淳皇后を離反させ、舅と姑の力を全体的に弱めたかった。
美智子と入江の情事は当時皇宮警察官に目撃者もおり「公然の秘密」だった。少なくとも三流女性誌「女性自身」よりかは信憑性が高い。
≪最終目標は、天皇祭祀の簡素化→形骸化ゴールは廃止を狙う宮中クリスチャン勢力の戦略であった≫
それが証拠に、今城、香淳皇后、高松宮喜久子妃らと、入江、美智子の対立を、クリスチャンの宮内庁長官の宇佐美毅が、天皇に直訴して、今城を解雇させた。
宇佐美は「正田美智子入内」に奔走した勢力であり。「部落民の美智子入内グランドプラン」のプロデューサーで同じ部落民の吉田茂に請われて、史上最長期間宮内庁長官を務めた。
★クリスチャン勢力の「戦略目標」は今現在、思惑通り成功していることがわかるであろう。
何故なら、今上天皇は数年前から「天皇祭祀」を全て儀典長(汚和田派外務官僚)に「丸投げ」して「祭祀放棄」している。
≪皇室や宮内庁の「隠れキリシタン」勢力は、「神道」と「祭祀」を認めず「天皇の上にキリストを置く」立場なので、「最終目標」は「皇室の廃絶」で共産党と同じである≫
入江に至っては、今城を日記で「魔女」と罵っている。「隠れキリシタン」の証拠である。神道や仏教徒なら「悪女」と言うはずである。
≪「今城追放事件」はその後の内廷皇族にどういう影響を与えたか?≫
最も信頼する側近の女官を失った香淳皇后は気落ちしたためか、その後心身の衰えが一際目立つようになったという。
逆に「オク」の実権を握った入江は、勤務時間中の飲酒をしゃあしゃあと日記に書くようになり、優秀な侍従を苛めて退職に追い込むほどの専横を極めた。
しかし、80歳で定年を決めた1985年、予定の10月末を待たずに急死した。家族が発見したときは、意識不明となっていたというから一番匂うケースである。
★用済みになり、作文好きの入江に余計なことを書かれては困るので、美智子に殺されたのだろう。或る意味自業自得だった。死後も入江の人となりを評価する人は少ない。
*写真は、「君側の奸」入江相政元侍従長、美智子と男女の中であり、「宮中クリスチャンチーム」の首領として「天皇祭祀廃絶」→「皇室根絶」を
旧堂上家(公家の家格の一つ)のご出身で、香淳皇后の女官。それ以前は貞明皇太后の女官で、宮中祭祀に厳格な皇太后の薫陶を受け
それを、香淳皇后に伝え影響を与えた。
香淳皇后は「祭祀の厳格化」を先帝様に訴え、「賢所」の冷暖房設置に反対した。
「日本の国がいろいろをかしいのでそれにはやはりお祭りをしつかり遊ばさないといけない」「(賢所の冷暖房工事に反対して)
神聖な賢所には釘一本、打つことは許されません。そのくらい我慢おできにならぬお上ではない」
★当時71歳の先帝様にはきついかもしれないが、「国家と国民を守る祭祀王の有るべき祭祀」としては、筋が通っている。
明治天皇は真冬、御所の中で「火鉢」を抱きしめて極寒に耐えていたのだから。
★後に香淳皇后は、「自分の考えとして言った」と述べているが、今城と天敵であった侍従長の入江相政は日記に、
「今城が、皇后様を洗脳させ過激化させた」と書いている。・・・入江相政日記
★入江は、私の歴史観としては、「陰湿極まりない公家」の典型で、昭和天皇の寵愛と権勢を独占しようとする「君側の奸(君主の傍に控える悪人)」
に他ならない。加えて、入江は、神道と相いれないクリスチャンである。入江のバカ息子の為年は、平成になり、今上に頼まれて、小和田雅子と佐伯徳仁の仲を取り持っている。
為年は、小和田恒の子分の柳谷謙介元外務次官につないで、有名な「鴨場デート」をさせた。
★親子そろって「君側の奸」である。
≪入江の根拠なき今城への誹謗中傷≫
「今城は「新興宗教」にはまり、香淳皇后を入信させようとしている」と日記に記載しているが、後に、「新興宗教」自体事実無根であることが確認されている。
要するに、入江の「事実無根の讒言(ざんげん)」だったのだ。
★1192年、頼朝が鎌倉に幕府を開き「武家政権」を確立して以来、天皇と公家勢力は実権を失い、経済的にも困窮化し始めた。
従って、「公家の仕事」は、毎日「日記」をつけるだけのことになり、それが、或る意味公式記録となった。
しかし、「日記」は、自分の死後「他人が読むことを前提」に書くものであり、自分のミスや他人との争いは、自分の正当性を印象付けるように、書くのは必然である。
★公家でもないのに、同じ手を使ったのは、麻生太郎の外祖父、大久保利通である。大久保は「佐賀の乱」で、政敵、江藤新平を逮捕した後、「裁判で死刑を宣告された
江藤が、怯えて腰を抜かした」と江藤を貶め、矮小化する悪意の表現で日記をつけた。目撃者によると江藤は反論しようとして、腰を上げた所、刑吏に腰縄引かれ転んだだけだった。
★要するに「入江日記」は史料として、非常に低レベル悪質のものであり、【皇室内クリスチャン勢力の策動の正当化と天皇祭祀の廃絶活動を隠蔽】したものである。
★現に入江は、有りもしない「香淳皇后の美智子苛め」をマスコミにリークし、平成まで30年間、「姑たちに苛められるお可哀そうな美智子像」を国民に定着させた。
現在、政権内で、旧皇族、華族の復帰が議論に挙がっているが、竹田と入江は絶対除外しなければならない。
≪背後には大きな「闇」が有った≫
★入江は「オク」=天皇の最側近の侍従、反対語は「オモテ」宮内庁長官のこと、の実権を握るために香淳皇后の影響力を弱める必要があった。
皇室で「孤立」する美智子は、男女の関係にある入江を応援して、昭和天皇と香淳皇后を離反させ、舅と姑の力を全体的に弱めたかった。
美智子と入江の情事は当時皇宮警察官に目撃者もおり「公然の秘密」だった。少なくとも三流女性誌「女性自身」よりかは信憑性が高い。
≪最終目標は、天皇祭祀の簡素化→形骸化ゴールは廃止を狙う宮中クリスチャン勢力の戦略であった≫
それが証拠に、今城、香淳皇后、高松宮喜久子妃らと、入江、美智子の対立を、クリスチャンの宮内庁長官の宇佐美毅が、天皇に直訴して、今城を解雇させた。
宇佐美は「正田美智子入内」に奔走した勢力であり。「部落民の美智子入内グランドプラン」のプロデューサーで同じ部落民の吉田茂に請われて、史上最長期間宮内庁長官を務めた。
★クリスチャン勢力の「戦略目標」は今現在、思惑通り成功していることがわかるであろう。
何故なら、今上天皇は数年前から「天皇祭祀」を全て儀典長(汚和田派外務官僚)に「丸投げ」して「祭祀放棄」している。
≪皇室や宮内庁の「隠れキリシタン」勢力は、「神道」と「祭祀」を認めず「天皇の上にキリストを置く」立場なので、「最終目標」は「皇室の廃絶」で共産党と同じである≫
入江に至っては、今城を日記で「魔女」と罵っている。「隠れキリシタン」の証拠である。神道や仏教徒なら「悪女」と言うはずである。
≪「今城追放事件」はその後の内廷皇族にどういう影響を与えたか?≫
最も信頼する側近の女官を失った香淳皇后は気落ちしたためか、その後心身の衰えが一際目立つようになったという。
逆に「オク」の実権を握った入江は、勤務時間中の飲酒をしゃあしゃあと日記に書くようになり、優秀な侍従を苛めて退職に追い込むほどの専横を極めた。
しかし、80歳で定年を決めた1985年、予定の10月末を待たずに急死した。家族が発見したときは、意識不明となっていたというから一番匂うケースである。
★用済みになり、作文好きの入江に余計なことを書かれては困るので、美智子に殺されたのだろう。或る意味自業自得だった。死後も入江の人となりを評価する人は少ない。
*写真は、「君側の奸」入江相政元侍従長、美智子と男女の中であり、「宮中クリスチャンチーム」の首領として「天皇祭祀廃絶」→「皇室根絶」を