元高官「君の「吉田茂観」は昔からこんなだったの?」
私「実は昔は騙されていました(笑)中学生の頃、もう亡くなられましたが京都大学の国際政治学の教授、高坂正堯さんの、「宰相吉田茂」を読んで興味を覚えました。」
元高官「生前お会いしたことが有るよ。リアル・ポリティーク(現実主義政治学)の旗手だった学者だね。」
私「当時は、社会党や左翼全盛時代でしたから、戦後日米同盟の基盤を作った吉田茂の「再評価」は新鮮でしたね。
しかし、大学生だった1980年代に、アメリカ人のMITの政治学者、ジョン・ダワーの「吉田茂とその時代」を読むとまた印象が変わりました。
「反軍」で「リベラルで自由主義者」の吉田茂像を否定して「帝国主義者」の本性を暴いたのは圧巻でしたね。ダワーの著書は、日本人でも知らないような
吉田のパーソナルデータを駆使してよくここまで調べ上げたなと感心しました。ただ従来と違い「予定調和」の吉田礼賛ではなかったですね。
この本で、今思えば収穫だと思ったのは、吉田の生母の「情報」が全く不明だという事実ですね。
公式発表では、実父は土佐の民権活動家の竹内綱の庶子(非嫡出子)だということはわかっています。しかし、この竹内綱自身も全く無名な男で
当然、日本史の教科書には載らないし、「売り」は板垣退助の子分だったという話です。
生母の氏名、出自が全く不明な総理大臣と言うのは、「憲政史上」吉田ただ一人です。
加えて、私が感ずるのは、実父とされる竹内綱自身が、無名の人物で、養子に出した五男坊が、偶々総理大臣になったから、「著名人」になったのではないか?と言う疑惑です。
今、竹内のWikiを見ると、「これでもか!」と言うぐらいに、業績「てんこ盛り」です。恐らく竹内の生地の高知県の宿毛の人達が「地元お越し」でやっているのでしょうが、
以前、正田美智子の実母の正田富美(旧姓、副島を自称)の佐賀の実家について調べてみたことが有りましたが、多久市には「副島家文書」と言う記念館のようなものが有る
と地元の人が豪語していましたが、後で佐賀県の他地区のかたが、教えてくれましたが、正田富美は、美智子入内後に多久市に来て、副島家に「戸籍を売ってくれ」と頼み断られたそうです。
富美は顔立ちとスタイルですぐわかりますが、生まれも育ちも戦前の「魔都」上海の英国租界地区。解体された旧正田邸は英国のチュウーダー朝風の様式で清水組(現;清水建設)が建築したものですから
実父は高い確率で、租界のイギリス人、母親は日本人以外のアジア人で間違いないと思います。極端な色白、同年代の日本女性と比べれば異様に高すぎる身長。おまけに実母の名前は戸籍上「空欄」です。
これは吉田にも言えることで、いくら実父が外に作った子供にしても、産ませた女性の名前ぐらいは覚えているはずです。吉田は生後すぐ、竹内の友人で豪商の吉田健三に養子に出されますが
この養父も茂の生母の名前を知らない。結局めんどくさいので、周囲の大人は聞かれたら「生母は芸者だよ」と口をそろえるようになった。
★名前の無い「芸者」っているでしょうか?明治の元勲、長州の木戸孝允の妻は「松子」、志士時代からの恋人で、当時は有名芸者の幾松(いくまつ)です。
初代総理大臣、伊藤博文の正妻の梅子も元芸者です。
★ここまで来ると、吉田の生母は、芸者ではなく、世間に言えない階層、部落民の女性ではなかったかと思わざるを得ません。
恐らく実父の竹内も、養父の吉田健三も生母の名前を知っていたはずだが敢えて、本人に教えなかったのだと思います。
★そう考えると、吉田茂が皇太子妃に「正田美智子」に拘った理由も、「同族的親和性」とすれば納得できます。
美智子の実父の堤康次郎も、半島系部落民ですから、符合が合います。
★ともかくも、1980年代の歴史書、伝記等は、「自虐史観オンパレード」でした。先ほどのダワー以外の日本人の政治学者は「吉田茂礼賛一色」でした。
GHQ占領時代の事実上の日本総督長官(サンフランシスコ講和条約までは日本は独立していません)の吉田茂礼賛は、イコール「アメリカ賛美」であり、裏は「戦前の日本は全て悪い自虐史観」です。
★またこの時代に目立ったのは「ケネディ王朝」礼賛本の多さでした。「アメリカは移民でも努力すれば大統領になれるんだよ」と言うメッセージで、日本人に「アメリカンドリームやアメリカ信仰」を
植え付けるものでした。若かった私もかなり洗脳されましたけど。
しかし、時代が変われば新しい資料や「証言」も出てきて「史観」も変わります。ケネディ家は理想のファミリーではなくて、大統領の父、ジョセフ・ケネディが「禁酒法時代」にマフィアと組んで密造酒で
大儲けしたり、株の「インサイダー取引」で儲けたり、息子たちを大統領にするために「違法行為」で蓄財しました。
また、当時「アイルランド系移民」と言えば、日本でいう「在日朝鮮人」並みの扱いでした。
日本は日露戦争後、アメリカにとっては「仮想敵国」となり、西海岸で、「日系移民排斥運動」が始まります。その先頭に立ったのが何と、アイルランド系移民たちでした。
勤勉で働き者の日系移民に、自分たちの仕事が奪われると危機感を抱いたのでしょう。
*写真は志士時代の木戸を命がけで助け、めでたく結婚した木戸松子(幾松)
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