さて、読者の皆さんに「押さえておいてもらいたい中国の権力者」の最後の二人の一人目です。
太子党、「江沢民一派」の巨頭です。No2と言っても良いでしょう。
≪天安門事件で民主化運動を鎮圧した実績で出世の道が開ける≫
1989年の天安門事件では、民主化を求める学生や市民を鎮圧するために、上司の江沢民の指示を受けて、
「改革開放の急先鋒」だった新聞の「世界経済導報」を停刊に追い込みました。
これが、学生・市民の「民主化エネルギー」を委縮させ、武力鎮圧で事件を収束させたのでした。
このことが、最高実力者鄧小平に評価され、親分の江沢民は、鄧小平の次の国家主席に指名されました。
★すなわち、曾慶江は、親分の江沢民に「最高権力者への道」を開いたのです。
≪江沢民の権力基盤を固めるために八面六臂(はちめんろっぴ)の大活躍≫
江沢民の国家主席就任後は、側近として党内の人事権を握ります。
1992年、軍に強大な影響力を持つ長老・楊尚昆(ヨウショウコン)・楊白冰(ヨウハクヒョウ)兄弟を軍内から追放して、江沢民の「軍の掌握」を実現させました。
北京市党書記の陳希同も「汚職事件」を摘発して、失脚させました。やっていることが習近平の「反腐敗運動」と一緒ですね。
鄧小平が軍部における江沢民の補佐役として指名していた中国人民解放軍の長老・劉華清(リュウカセイ)の影響力を削ぐなど、江の権力強化に貢献しました。
★「補佐役」とは都合の良い言葉で、鄧小平が、江沢民に付けた「監視役」だったのです。
≪江沢民の政敵を倒すためなら党の人事ルールも都合よく変える≫
★かつて、鄧小平が華国峰(かこくほう)国家主席を倒して実権を握った時に、今後は「党内で権力抗争を起こさないようにしよう」と言う合意のもとに
「党内の人事ルール」を作りました。それが「70歳定年制」です。
そのルールを、曾慶江は、勝手に変えてしまいました。それを「7上8下」と言います。
その意味するところは、7→67歳まではOK、8→68歳は定年と言う意味です。
★この手前勝手なルールで、江沢民の政敵の李瑞環(リズイカン)を引退に追い込みました。
≪習近平との出世争いに敗れる≫
習近平と国家副主席の座を争いましたが、「横紙破りの人事ルール」で長老達の恨みを買っていた曾慶江は、国家副主席になれませんでした。
★ここから習近平VS曾慶江の遺恨が生まれます。当時は「反江沢民」で、習近平と胡錦濤は利害が一致していましたから
胡錦濤VS曾慶江の対立も生まれました。
≪太子党のまとめ役であり、資金源は「石油利権」≫
元々は、専門学校卒のエンジニアであり、「石油利権」の総元締めです。また両親ともは八路軍(はちろぐん;人民解放軍の前身)
の幹部であることから、「太子党のまとめ役」です。「石油利権」での人脈を中国では「石油閥」とも呼び、後輩には、習近平に粛清された
周永康がいます。
*写真は訪中した橋本龍太郎元総理と曾慶江(右)
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