伏見様及び読者の皆様:
私がロアビル(六本木にある歓楽雑居ビル)に頻繁に通うようになったのは、アフリカ航路・ヨーロッパ航路を経て、
北米航路及び他船社とのコンソーシャム等の担当になった時。役職は、マネージャー(課長職)からゼネラル・マネージャー(部長職)になっていた。
その当時、面喰ったコトは、前者のアフリカ・ヨーロッパ航路の顧客層の大半が、中小・中堅企業だったのに対し、
北米航路は兎に角、大企業が多かった。その割合を率で示すと、80㌫弱。
その中でも建設機械大手のあの会社の御礼接待は、凄かった。大型建設機械150台を北米に輸出するため、私が行ったコト―
三分の一をフラット・ベット・コンテナ(特殊コンテナの一つ/special equipment)で船積して、残りの100台を自動車専用船(*PCTC)で輸送。
*Pure Car Truck Carrierの略。なお、巨人軍とヤンキーズで活躍したマツイがこの会社の広告塔だった。
これは、海運業界で働いていれば、誰でも思い付くアイディア。一方、この会社の貿易担当者には、極めて「斬新」に映ったらしい。
今だから白状すると、私が設定した海上運賃は、コンテナ船も自動車専用船も同一料金にした。
このお陰で、建設機械1台の海上輸送で、60万円強の荒利益が出でしまった。だから、9000万円以上の儲け。
両船舶が日本を出港して4日後に私の携帯に連絡が入った。「XXX(取引先の担当者の名前)でございます。明日の5時(17:00)、
六本木のアマンドでお会いできませんでしょうか?」それで、当日の約束時間にアマンドに行くと、総勢5名のお歴々の出迎え。
この時、店内のお客さんは「奇異」な光景を見たに違いない。何しろ、男どもがお辞儀をしながら名刺交換をしているのだから。
おまけに、この会社のアメリカの社長(日系アメリカ人)から日本の専務取締役までいたから、ビックリ。
この船積担当者は、隅にチョコンと立ち、頻りにメガネの縁を押さえていた。会社のエライ方の前で緊張していたのかしら。
この晩のルートは、「シーフード兼ステーキレストラン」→「カラオケがある外人バー」→「バニークラブ」で、
お開きは12:30AM。帰りには、ご丁寧にタクシーチケットをくれた。そして、そのバニークラブがロアビルの6階にあった。
何しろ、私はカラオケバーでディープ・パープルとエアロスミスの合計12曲を歌ったもんだから、声は完全に擦れている。
おまけに、ワイルドターキーをストレートでガンガン飲んでいたから、今にも「嘔吐」する気配。サルトルの嘔吐とは、ちょっと違う。
そんな時、フランスの女優ドミニク・サンダを彷彿とさせるバニーホステスに出会った。
この方、実際はミャンマー人(旧ビルマ人)とイギリス人とのハーフで、東工大の博士課程(大学院)に留学している学生。
年齢は、20代後半。当たり前だけど、英語は滅茶苦茶上手かった。なお、ドミニク・サンダは私が中学校時代にパルコのCMに出演していた。
かなり奇麗な方だった。
これから、このバニークラブに週一回、多い時は週三回通うことになる。ある時はお客さんと一緒に。ある時は一人で。
これもすべて、会社の経費で処理できた。だから、経理の女子社員によくこう云われた。「XXXさん(私の名前)、またウサギちゃんですか?」
もっとも、私は「それがどうした!個人のコトを詮索するな!」とは言えず、「そうです。ハマっていますから」と、云っていました。
会社で、オンナを敵に廻したら、何を謂われるか判らないでしょ?なお、「ハマル」を英語で言うと、(be into)。
だから、「俺はかなり、バニークラブにハマっている」は、(I’m definitely into the bunny club)。
私がこのホステスの気を惹くためにやったこと―指名料金の他にチップを会計伝票に付けさせた。
何のことはない、毎回2~3万円をこの娘専用のチップにした。必然的に毎晩(ホステスは通常、日払い)彼女は、その金額をゲットできる。
だから、店に行く度、朝の山手線顔負けの異常接近遭遇。当時、JRも私鉄も女性専用列車がなかった。
そして、帰り際によく、こう云われた。「アタシとエッチがしたくなったら、躊躇することなく要求して」
(When you feel like making love with me, Please do not hesitate to ask me)勿論、
こんなシリアスな話は、単独で行った時のみに耳元で囁かれたけど。
一方、そんな甘いムードをブチ壊したが隣のテーブル客。この男―白いブリーフ姿(半裸状態)で、何やら喚いていた。
正に、村西とおる(AV監督)の降臨。「プリーズ・タッチ・マイ・ボディー」始めのうちは、
日本に来て間もない小柄なベトナム人やカンボジア人と思ったけど、顔を凝視すると、あの歌手の松崎しげるだった。
だって、全身が黒いんだもん。ちなみに、村西とおるは、「ナイスですネ。ナイス過ぎます」。
そして、その隣には伝説の一発屋芸人ことせんだみつおが鎮座していた。私が中学校時代、彼は、「銀座NOW」のMC*だった。
番組はTBS提供で、実にツマラナかったけど。*Master of Ceremonyの略。「ナハ・ナハ・ナハ」が彼の瞬間的一発芸。知らない方も多いかも?
「オイ、せんだ!バカヤロー!ボディーはオレの息子の意味じゃないだろう!ムスコは英語で何て云うんだ!」
「松崎さん、そんな殺生な。駒澤のボクに訊かないで下さいヨ」「バカヤロー日大も駒澤も同じだ!」だから、
受験界では日東駒専で云うんでしょうネ。
また、英語でムスコのことは、(prick)か(cock)の何れか。そして、嫌なヤツのことは、(prick fellow)。
この言葉も最近、アメリカでは女性も使っているのが、ちょっと吃驚。
次は、お客さんとこのバニークラブに行った帰りのエピソード。ロアビルの前にタクシー乗り場(当時)があり、
お客さんは渋谷方面だから反対車線。私は、人形町(当時)だからロアビルの目の前。すると、近くからカン高い声が聞こえてきた。
「そこのブルックス君(当時、私はブルックス・ブラザーズのスーツを着用していた)、ボクたちと飲み直さないか?日本の将来のために!」
その声の主の顔を一瞥すると、あの内田裕也。おまけに、彼のパシリで数少ない側近の安岡力也とジョニー大倉(共に故人)がいた。
私は兎に角、家に帰って爆睡したかったので、「結構です。疲れているので、ウチに帰ります」と、告げた。
すると、凄んで来たのが安岡力也。「テメエ、裕也さんのプロポーズを断るとは、イイ度胸してんジャン。名前と会社名を言え!」
今度は私が、キレテしまった。「バカヤロー!テメエラのような低能どもに私のアイデンティティーを開示する必要が何処にあるんだ!」
正に、一触触発で力也が私に殴りかかろうとしている。かなり、酔っていたけど。この時、酔客が集まってきた。
これも六本木らしい。だから、叔父は「六本木心中」を処女作にしたかもしれない。彼の名前は笹沢佐保。
そんな時、在日朝鮮人のジョニー大倉の一言。「力也、やめとけ。このヒト、インテリに見えるから、あとでどんな仕返しをされるか判らない」
そしたら、内田裕也のドドメの一発。「エリートのブルックス君、大変失礼しました。これでもボクたち、毎日漢字ドリルで勉強しているから」本当かよ?
この内田裕也―ロックを歌っても「イマイチ」だし、映画を撮っても「日光の手前」(現在、今市は合併で存在しないとか)。
そして、コメントを聞く度に、バーバリーのトレンチコートを用意しなければならない。これは、橋下徹も同じ。でも、別の才能は評価できる。
それは、永遠の「ヒモ」体質。私の知る限り、複数のオンナに寄生して、永遠に財政的援助を勝ち取ること。
こんなオトコは有史以来、コイツが最初で最後なのでは?個人的には、ギネスブックに申請したい。
これって、ロッケンロールでしょ?私のお勧めは、あの「マック赤坂」に弟子入りすること。老人特別割引があるかもしれない。
そして、小説家を目指すなら、「老人とゲイ」を執筆して頂きたい。これで、アーネスト・ヘミングウェイも凌駕するし、
伊集院静が推薦文を書いてくれるかもしれない。『万人必読の書。特に、後期高齢者の方にはお勧め』、と。
お客さんと先週「スタバ」で耳にした話。「アタシ、昔ロアビルで働いていたのヨ」この方、60代後半から70代前半のご婦人だったけれど。
私のカンでは、一階の花屋さんそれとも骨董屋若しくは三階以降のゴルフ会員権の会社や怪しげな不動産屋にお勤めになっていた?
ヒトの話から自分の過去に遡る。この小説手法―作家のギ・ド・モーパッサンが最初に用いましたネ。
何しろ、ロアビル自体を知らない若者が増えているから。時代は変わる。(Times they’re changing)。
ボブ・ディランは、哲学者並のコトを云いますネ。
では、片目のダヤン
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