この中でもビートルズの他、クイーン・キッス・エアロスミス・ピンクフロイド・キングクリムゾン好きの方に焦点を合わせて、
文通の開始。私が、日本語を言うと、二人の同級生が辞書なしでルーズリーフに筆記体でその英訳文を書いてくれます。
そして、その原稿を私がオリベッティのタイプライターで打ち込み、近所の郵便局で投函。そんなある日、自宅に届いたのはやや厚めの封筒。
勿論、韓国のソウル市内からでした。注意深くその封筒を開けると、出てきたのは潰された大きなゴキブリ。日本では生息していないような。
そして、朝鮮語新聞の上には、黒のサインペンでこう記されていました。(WE KILL THE JAPS LIKE YOU「韓国人はお前らジャップを皆殺しにする」と。
この切欠は、二人の英語の天才がこのキムチ女の文章を添削したことが始まりです。文法上の誤りから単語のスペルまで。
彼らは、英語で表現上の誤りを指摘し、赤ペンで小さく記入したにも関わらず。恩をアダで返された。早速、3名は報復します。
先ず、一人は三人のウンコ付きの検便シートを入れて、送り返すことを提案。でも、相手が警戒して開封しない場合が予想される(これは私の意見)。
もう一人は、私の自宅からそのキムチ女の家に国際電話を入れ、直接罵詈雑言を吐く。でも、この女の行動範囲が読めないので、
無意味(これも私の意見)。じゃ、どうすんだよ!XX(私の名前)。このようなご経験は、その後社会人でタップリ。読者の方もそうでしょうに。
私は、映画ゴットファーザーの場面を思い出しました。影響力のあるハリウッド・プロデューサー(ユダヤ系)を威すべく、コルレオーネは、
彼の愛馬の首を切り落としたモノを彼のダブルベットの中にいれる。これを言うと、二人は私の想像力は天下無敵とか。
それで、私は別の方法を考えました。下手でも取り敢えずは、英語を操れるんだから英字新聞は全く読まないのではなく、
読む機会はあるに違いない、と。それで、韓国ヘラルド・トリビューン紙にこのキムチ女の死亡記事を載せることにしました。
勿論、訃報記事欄に。この海外新聞社との交渉を行ったのは、二人の友人。そして、シナリオを書き、資金を出したのが私。
その金額は当時60㌦ぐらいだったと、記憶しています。これが朝鮮征伐のすべて。如何でしたでしょうか。
その後、三人は三多摩地区の都立上位校(4高)に入学します。この当時、都立の受験科目は英語・数学・国語の3つだけ。
二人は、完璧な英語の予想試験問題を作り上げます。そして、数学は私の担当。このお陰か、私は三教科満点を取ることができました。
高校は、三人とも別々になりましたが、二人の自宅から近い吉祥寺でもその後、よく会うことになります。
場所は、私の自宅からロック喫茶の「*赤毛とソバカス」やサンロード入口にある「**マクドナルド」。
この時期、読者の方でも私たち三人をその場所で見かけたかもしれません。
時代は、1970年代後半。それも三人の私服の高校生が、三省堂のチャート式数学の参考書をテーブルに広げながら、勉強をしているのですから。
かなり、シュールな世界。*著者注意書き。この喫茶店でオールマン・ブラザーズ・バンドやレイナード・スキナード
(アメリカ南部出身のバンド)を知ることになります。**マクドナルド初と云われる東大卒が店長になった店舗。
そして、高校と同じく大学も別々になります。後に、レコード会社に勤務する友人は、青学の英米文学部へ。
洋画配給会社で働くことになる友人は、東京外語の英米語学科へ。そして、私は早稲田の理工に進みます。
その大学入学後、三人でよく飲んで話していたことは、「周囲に浪人が多すぎる。だから、みんな地アタマが悪過ぎる。
それと、オマエ(私)に云うことは、一つだけ。英語の勉強は続けろヨ」とか。この影響か、大学入学後はよく映画を観るようになりました。
安い3本立て。今でも映画の字幕スーパーは、ほとんど見ません。それと、三者共通しているのは、大学時代の友人がほとんどいないこと。
そして、配偶者が全員女子大出身者で子供がいないこと。この理由は、判りません。なお、英語の勉強の継続(友人の一言)があったからこそ
私は卒業後、英文学とフランス語主体の比較言語を学び直します。どうもありがとう。
それと、青春時代の女性の話をちょっと。不思議と、三人とも女性にはよくもてました。ちなみに、私は当時、吉祥寺の力石徹と云われていました。
それも、黒のダッフルコートが良く似合って。しかし、現在では腹が出た只のオヤジ。これは、サラリーマン時代の接待からくる
暴飲暴食がその主原因。何しろ、若い時は65㌔前後の体重が88㌔まで上昇した時期がありましたから。そこで、普遍である女性にもてる秘訣を。
「話が面白いこと」「楽器ができること」「英語や欧州語を話すこと」これで、パーフェクト。
友人の一人が指摘した「大学時代の話」は、書こうとすれば、書けるのですが。読むだけで、その内情が把握されてしまうし、
その当時の当事者(直接・間接を含む)に迷惑を掛けることになるので、少しだけ。第三者が事前に大学入試問題を入手して、
裏口献金入学者のためにその正確無比な模範解答を作成した。そして、この三人が関与したのは、紛れもない事実。
では。読者のみなさん。さようなら。合計11530字
*写真はクィーン
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文通の開始。私が、日本語を言うと、二人の同級生が辞書なしでルーズリーフに筆記体でその英訳文を書いてくれます。
そして、その原稿を私がオリベッティのタイプライターで打ち込み、近所の郵便局で投函。そんなある日、自宅に届いたのはやや厚めの封筒。
勿論、韓国のソウル市内からでした。注意深くその封筒を開けると、出てきたのは潰された大きなゴキブリ。日本では生息していないような。
そして、朝鮮語新聞の上には、黒のサインペンでこう記されていました。(WE KILL THE JAPS LIKE YOU「韓国人はお前らジャップを皆殺しにする」と。
この切欠は、二人の英語の天才がこのキムチ女の文章を添削したことが始まりです。文法上の誤りから単語のスペルまで。
彼らは、英語で表現上の誤りを指摘し、赤ペンで小さく記入したにも関わらず。恩をアダで返された。早速、3名は報復します。
先ず、一人は三人のウンコ付きの検便シートを入れて、送り返すことを提案。でも、相手が警戒して開封しない場合が予想される(これは私の意見)。
もう一人は、私の自宅からそのキムチ女の家に国際電話を入れ、直接罵詈雑言を吐く。でも、この女の行動範囲が読めないので、
無意味(これも私の意見)。じゃ、どうすんだよ!XX(私の名前)。このようなご経験は、その後社会人でタップリ。読者の方もそうでしょうに。
私は、映画ゴットファーザーの場面を思い出しました。影響力のあるハリウッド・プロデューサー(ユダヤ系)を威すべく、コルレオーネは、
彼の愛馬の首を切り落としたモノを彼のダブルベットの中にいれる。これを言うと、二人は私の想像力は天下無敵とか。
それで、私は別の方法を考えました。下手でも取り敢えずは、英語を操れるんだから英字新聞は全く読まないのではなく、
読む機会はあるに違いない、と。それで、韓国ヘラルド・トリビューン紙にこのキムチ女の死亡記事を載せることにしました。
勿論、訃報記事欄に。この海外新聞社との交渉を行ったのは、二人の友人。そして、シナリオを書き、資金を出したのが私。
その金額は当時60㌦ぐらいだったと、記憶しています。これが朝鮮征伐のすべて。如何でしたでしょうか。
その後、三人は三多摩地区の都立上位校(4高)に入学します。この当時、都立の受験科目は英語・数学・国語の3つだけ。
二人は、完璧な英語の予想試験問題を作り上げます。そして、数学は私の担当。このお陰か、私は三教科満点を取ることができました。
高校は、三人とも別々になりましたが、二人の自宅から近い吉祥寺でもその後、よく会うことになります。
場所は、私の自宅からロック喫茶の「*赤毛とソバカス」やサンロード入口にある「**マクドナルド」。
この時期、読者の方でも私たち三人をその場所で見かけたかもしれません。
時代は、1970年代後半。それも三人の私服の高校生が、三省堂のチャート式数学の参考書をテーブルに広げながら、勉強をしているのですから。
かなり、シュールな世界。*著者注意書き。この喫茶店でオールマン・ブラザーズ・バンドやレイナード・スキナード
(アメリカ南部出身のバンド)を知ることになります。**マクドナルド初と云われる東大卒が店長になった店舗。
そして、高校と同じく大学も別々になります。後に、レコード会社に勤務する友人は、青学の英米文学部へ。
洋画配給会社で働くことになる友人は、東京外語の英米語学科へ。そして、私は早稲田の理工に進みます。
その大学入学後、三人でよく飲んで話していたことは、「周囲に浪人が多すぎる。だから、みんな地アタマが悪過ぎる。
それと、オマエ(私)に云うことは、一つだけ。英語の勉強は続けろヨ」とか。この影響か、大学入学後はよく映画を観るようになりました。
安い3本立て。今でも映画の字幕スーパーは、ほとんど見ません。それと、三者共通しているのは、大学時代の友人がほとんどいないこと。
そして、配偶者が全員女子大出身者で子供がいないこと。この理由は、判りません。なお、英語の勉強の継続(友人の一言)があったからこそ
私は卒業後、英文学とフランス語主体の比較言語を学び直します。どうもありがとう。
それと、青春時代の女性の話をちょっと。不思議と、三人とも女性にはよくもてました。ちなみに、私は当時、吉祥寺の力石徹と云われていました。
それも、黒のダッフルコートが良く似合って。しかし、現在では腹が出た只のオヤジ。これは、サラリーマン時代の接待からくる
暴飲暴食がその主原因。何しろ、若い時は65㌔前後の体重が88㌔まで上昇した時期がありましたから。そこで、普遍である女性にもてる秘訣を。
「話が面白いこと」「楽器ができること」「英語や欧州語を話すこと」これで、パーフェクト。
友人の一人が指摘した「大学時代の話」は、書こうとすれば、書けるのですが。読むだけで、その内情が把握されてしまうし、
その当時の当事者(直接・間接を含む)に迷惑を掛けることになるので、少しだけ。第三者が事前に大学入試問題を入手して、
裏口献金入学者のためにその正確無比な模範解答を作成した。そして、この三人が関与したのは、紛れもない事実。
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*写真はクィーン

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