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Channel: 伏見顕正(あきまさ)の「時を斬るブログ」
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【モサド(ダヤン)③】閨閥と吸盤女、美智子は吸盤女か?転載フリー

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伏見顕正様



お久しぶりです。片目のダヤンです。標題につき、前者は、「妻の親類を中心に結ばれた勢力・党派」。例:閨閥政治。後者は、

「物に吸いつくための器官。小さいさかずきのような形をしている」と、三省堂の国語辞典より。



前回のメールでは、ヘンリー・キッシンジャー博士との会合を一部列挙しました。その会合が縁になったのか、

在日イスラエル大使館職員(その正体は勿論、モサドエージェント)と定期的に日本外国特派員協会に近い、

某ホテルのバーで接触することになりました。時間帯は週末の夜で、時代は1990年代後半。勿論、料金は割り勘。



そんな時、一等書記官の質問が、「歴史は誰が媒介すると思う?」。私の回答は、教科書通りで、「政治家でしょ。もっとも、日本だとそのシナリオを書くのは役人だけど」。

すると、今度は薄笑いを浮かべた二等書記官。彼曰く、「キミ、象牙の塔(大学卒業)から離れて何年になるんだい?」とか。



彼ら二人の結論は、吸盤女こそがその歴史を媒介する。英語はSucker Girl。二人の属する諜報界では、オーラル・セックス行為を専門又は得意或いはセックス依存症の女性を意味する隠語。

その一等書記官曰く、「日本は吸盤女が容易に調達できる稀有な国。皇室からマスコミ・芸能界のあちらこちらで。

だから、ターゲットの男たち(狙いを定めた各界の有力者)のスキャンダルの宝庫」とか。常に、事欠かないかも。



それで、臍の下の人格が問われなかったのは、昔の話。それより、生物界で君臨する女王蜂や女王蟻よりも、

その中を自由自在に駆け抜ける「吸盤蜂」や「吸盤蟻」に着眼したモサドの指針には、驚愕。もっとも、映画007でも難攻不落の敵地に乗り込む前に

、ジェームズ・ボンドはその悪党のオンナを必ず、誘惑して掌中に収める場面が出てきます。スパイ映画の鉄板。



ちなみに、これらのファイル(フロッピーディスクで保存)は、超成人向きのファイル(Super X-Rated File)と称呼され、

原本はイスラエルのモサド本部に。コピーは、在日イスラエル大使館に保管とか。だから、道理で日本。


その各界の有力者の中で、在日も同和も創価も左翼も右翼も声高にイスラエルやユダヤ人を非難する輩は、ほとんどいないのが現状。


これは、ハリウッドを凌ぐモサド演出の「賜物」や「怪我の功名」かもしれません。その中で個人的に興味があるのは、


存命中の小泉純一郎と小沢一郎のファイル。共に、半島出身者ですが。



今後は個人的に、マイケル・ジャクソンの日本の母と定義できる正田美智子こと堤美智子を「元祖吸盤女」。小和田雅子を「筋金入りの吸盤蟻」と、


称呼させて頂きます。貴殿でも読者の方でも「吸盤3号」「吸盤4号」や「吸盤5号」を命名して下さい。ちなみに、


6号はサンダーバードでも「影が薄い」ので、なしと云うことで。今年は、『トナリの吸盤女を探せ!』が流行語になりかもしれません。



最後に、筆者が外資系海運会社在籍時に薫陶を受けたイスラエル人女性(故人)の名言をご披露。


『歴史は偶然の産物ではなく、皮肉の連鎖の塊にすぎない』とか。これは、悪党一味にカネを賭ける・出す(保険金・迂回融資等を含む)輩が存在する以上、


その皮肉の連鎖は幸運にも途切れることなく続くことを意味します。従って、元祖吸盤女と筋金入りの吸盤蟻の二人の猛毒女が、


夫や子供・親族に対し、「どこの金融機関」を使って、その保険金や迂回融資を受けているのか?これが急務の調査と、思料します。


もっとも、私の脳裏には日系やアジア系企業ではなく、欧米系の「あの国際保険会社」と「あの国際投資銀行」の名前がチラチラ点滅するのですが。では。


*写真は「イスラエルの鷹」隻眼の英雄、ダヤン将軍です。

≪補足≫「あの国際保険会社」=ロイズ保険、「あの国際投資銀行」=ゴールドマンサックスかな?

ダヤン将軍について、Wikiより

モーシェ・ダヤン(モーシュ・ダイアン, משה דיין, Moshe Dayan, 1915年5月20日 - 1981年10月16日)は、イスラエルの軍人、政治家。

第4代イスラエル国防軍参謀総長、第4代農業農村開発大臣(英語版)、第5代国防大臣、第4代外務大臣。

ヘブライ語の彼の名前 משה דיין は「裁判官(ダヤン)・モーゼ」という意味になる。第二次世界大戦で失明し眼帯を付けていたことから「片目のダヤン」と称された。

軍司令官として

1948年5月15日のイスラエル建国を受け勃発した第一次中東戦争で、ダヤンはヨルダン渓谷の防衛を指揮し多くの重要拠点を防御し、


イスラエルの勝利に大きく貢献した。1953年に参謀総長に就任し、1956年の第二次中東戦争でも指揮を執った。1958年まで参謀総長を務めた後、政界に転身した。

1981年没、66歳



























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