不動の「砂川判決」を嚆矢として、その後も、合憲判決は続き、集団的自衛権を合憲とする判例が、積み重ねられていきます。
①【長沼ナイキ事件】
長沼ナイキ事件(ながぬまナイキじけん)とは、自衛隊の合憲性が問われた事件である。長沼訴訟、長沼事件、長沼ナイキ基地訴訟とも呼ばれる。
概要
北海道夕張郡長沼町に航空自衛隊の「ナイキ地対空ミサイル基地」を建設するため、農林大臣が1969年、森林法に基づき国有保安林の指定を解除。これに対し反対住民が、基地に公益性はなく「自衛隊は違憲、保安林解除は違法」と主張して、処分の取
消しを求めて行政訴訟を起こした。
一審の札幌地裁は「平和的生存権」を認め、初の違憲判決で処分を取り消した。国の控訴で、二審の札幌高裁は「防衛施設庁による代替施設の完成によって補填される」として一審判決を破棄、「統治行為論」を判示。住民側・原告は上告したが、最高裁は
憲法に触れず、原告適格がないとして上告を棄却。
★ここでも、伝家の宝刀【統治行為論】が使われました。自衛隊の合憲性の有無について、最高裁が【統治行為論】を用いて、判断を回避したという事は、自衛隊という軍隊組織とその目的について、現状を追認したという事です。
突き詰めて言えば、「自衛隊が合憲か違憲かの裁判」については、今後最高裁は取り合わないよ」という意思表示です。
私の解釈では、最高裁は、【自衛隊という軍事力】については、日米両政府の交渉、合意に任せて、「ありのままと、その時代の変化に対応する憲法解釈の変更については、傍観しますよ」というのが本音だと思います。
②恵庭事件
恵庭事件(えにわじけん)とは、北海道千歳郡恵庭町(現恵庭市)に住む酪農家の兄弟2人が同町内の陸上自衛隊島松演習場で電話通信線を切断した刑事事件。
2人は自衛隊法第121条違反に問われたが、自衛隊法が日本国憲法第9条に照らし合わせて合憲か違憲かが争点となり注目された。
概要
北海道恵庭町で、自衛隊演習場の近隣で酪農を営む2人の兄弟が、演習場からの騒音により牛乳生産量が落ちたとして「境界付近での射撃訓練については事前に連絡する」と自衛隊と確約していた。しかし、自衛隊にその確約を破られたことから、1962
年12月に自衛隊の着弾地点との通信回線を切断した。
これに対し、検察は通信回線は自衛隊法第121条の「その他の防衛の用に供する物」に該当するとして防衛器物の損害(自衛隊法第121条)で起訴した。一方、被告人の弁護側は、自衛隊法とそれにより存在を認められている自衛隊が憲法9条に違反してお
り、自衛隊法第121条は違憲であり無効であると主張した。
第1審の札幌地方裁判所の1967年3月29日判決(辻三男裁判長)では通信回線は自衛隊法第121条の「その他の防衛の用に供する物」に該当しないとして、被告人に無罪を言い渡した。自衛隊の憲法判断に関しては、被告人の行為が無罪である以上、
憲法判断を行う必要はなく、また行うべきでもないとして、これを回避した。
検察は上訴をせず、また無罪となった被告人は訴えの利益がないとして上訴できないため、無罪が確定した。自衛隊の合憲性については判断がなされなかったため「肩すかし判決」とも呼ばれた。
補足【自衛隊法】
自衛隊法(じえいたいほう、昭和29年6がつ9日法律第165号)は、「自衛隊の任務、自衛隊の部隊の組織及び編成、自衛隊の行動及び権限、隊員の身分取扱等を定める」(第1条)日本の法律である。自衛隊内では「隊法」(たいほう)と略す。
★この裁判では、【自衛隊の存在そのものの、合憲、違憲】を掘り下げて、【自衛隊という軍隊を具体的に運用する法律】まで、違憲か、合憲かで争われました。自衛隊を会社に例えれば、社内の就業規則にまで、憲法判断が争われました。
一審の裁判長は、上手く逃げましたね。
(1)先ず、被告の酪農家兄弟2人を無罪にしてしまう。これで、被告側は上訴できなくなってしまいました。
(2)自衛隊法に関しては、被告が無罪になった以上、憲法判断はすべきではないとしました。これで、検察も、上訴を断念しました。
(3)仮に、一審で被告が有罪となり、最高裁まで争ったとしても、伝家の宝刀の【統治行為論】で自衛隊法の憲法判断は回避されたでしょう。
(4)憲法判断を問う訴訟が、一審で結審してしまった珍しい例です。裁判長も面倒な案件に関わりたくなかったのでしょう(笑)
(5)仮に最高裁まで行っても、過去の判例で、自衛隊は【事実上の軍隊】として、現状を認められている限りは、その組織運用を定めた【自衛隊法】も現状を認められるにすぎません。
③百里基地訴訟。
百里基地訴訟(ひゃくりきちそしょう)は、1977年に始まった、自衛隊の合憲性を争点とした訴訟である。百里裁判とも。
概要
茨城県小川町(現・小美玉市)に航空自衛隊の百里基地を設置する際、基地建設予定地を所有していた住民が、建設反対派の住民に売った土地の契約を解除して防衛庁(現・防衛省)にその土地を売った。このことで土地所有権の帰属に関連し、自衛隊の合
憲性が争点となった。
第一審の水戸地裁では統治行為論が適用され、自衛隊は裁判所の審査対象にならないとされた。第二審の東京高裁では自衛隊への憲法判断自体を本件に関しては不必要とし、最高裁も第二審を支持する判決を出した。
裁判の流れ
第一審
1977年2月17日、水戸地裁は、憲法第9条に関して、「第9条は自衛のための戦争までを放棄したものではない」とし、「自衛隊は一見明白に"戦力"だと断定できない」としたが、「自衛隊の違憲性は裁判所の審査対象とすることはできない」と判断、
統治行為論を適用し、自衛隊に関して合憲とも違憲ともしなかった。したがって、自衛隊の違憲性を求めた基地建設反対派の住民は敗訴となった。
第二審
1981年7月7日、東京高裁では、「本件は自衛隊が公序良俗違反かどうかを問題にしているに過ぎず、憲法判断の必要性自体が存在しない」とした。したがって、第二審においても基地反対派の住民は敗訴となった。
第三審
1989年6月20日、最高裁でも、第二審の判断を支持、憲法判断は不必要とし、基地反対派の住民の上告を棄却した。
★ポイント
(1)一審の判決は、明らかに【砂川判決の判例】に従っている。自衛隊の個別的自衛権を合憲としている。
(2)一審から最高裁まで【砂川判決】と【統治行為論】のオンパレードです。
重要な判例はほぼすべて検証して来ましたが、ここまで最高裁での判例が積みあがっている以上、今審議中の【平和安保法制の正統性】は不動です。
仮に【平和安保法制】が成立後、馬鹿憲法学者や、反日日弁連が違憲訴訟を起こしても
【砂川判決】&【統治行為論】の最強ペアが有る限り、【平和安保法制】は、最高裁によって、事実上、現状追認されるだけです。
次は第③編です。
以上
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①【長沼ナイキ事件】
長沼ナイキ事件(ながぬまナイキじけん)とは、自衛隊の合憲性が問われた事件である。長沼訴訟、長沼事件、長沼ナイキ基地訴訟とも呼ばれる。
概要
北海道夕張郡長沼町に航空自衛隊の「ナイキ地対空ミサイル基地」を建設するため、農林大臣が1969年、森林法に基づき国有保安林の指定を解除。これに対し反対住民が、基地に公益性はなく「自衛隊は違憲、保安林解除は違法」と主張して、処分の取
消しを求めて行政訴訟を起こした。
一審の札幌地裁は「平和的生存権」を認め、初の違憲判決で処分を取り消した。国の控訴で、二審の札幌高裁は「防衛施設庁による代替施設の完成によって補填される」として一審判決を破棄、「統治行為論」を判示。住民側・原告は上告したが、最高裁は
憲法に触れず、原告適格がないとして上告を棄却。
★ここでも、伝家の宝刀【統治行為論】が使われました。自衛隊の合憲性の有無について、最高裁が【統治行為論】を用いて、判断を回避したという事は、自衛隊という軍隊組織とその目的について、現状を追認したという事です。
突き詰めて言えば、「自衛隊が合憲か違憲かの裁判」については、今後最高裁は取り合わないよ」という意思表示です。
私の解釈では、最高裁は、【自衛隊という軍事力】については、日米両政府の交渉、合意に任せて、「ありのままと、その時代の変化に対応する憲法解釈の変更については、傍観しますよ」というのが本音だと思います。
②恵庭事件
恵庭事件(えにわじけん)とは、北海道千歳郡恵庭町(現恵庭市)に住む酪農家の兄弟2人が同町内の陸上自衛隊島松演習場で電話通信線を切断した刑事事件。
2人は自衛隊法第121条違反に問われたが、自衛隊法が日本国憲法第9条に照らし合わせて合憲か違憲かが争点となり注目された。
概要
北海道恵庭町で、自衛隊演習場の近隣で酪農を営む2人の兄弟が、演習場からの騒音により牛乳生産量が落ちたとして「境界付近での射撃訓練については事前に連絡する」と自衛隊と確約していた。しかし、自衛隊にその確約を破られたことから、1962
年12月に自衛隊の着弾地点との通信回線を切断した。
これに対し、検察は通信回線は自衛隊法第121条の「その他の防衛の用に供する物」に該当するとして防衛器物の損害(自衛隊法第121条)で起訴した。一方、被告人の弁護側は、自衛隊法とそれにより存在を認められている自衛隊が憲法9条に違反してお
り、自衛隊法第121条は違憲であり無効であると主張した。
第1審の札幌地方裁判所の1967年3月29日判決(辻三男裁判長)では通信回線は自衛隊法第121条の「その他の防衛の用に供する物」に該当しないとして、被告人に無罪を言い渡した。自衛隊の憲法判断に関しては、被告人の行為が無罪である以上、
憲法判断を行う必要はなく、また行うべきでもないとして、これを回避した。
検察は上訴をせず、また無罪となった被告人は訴えの利益がないとして上訴できないため、無罪が確定した。自衛隊の合憲性については判断がなされなかったため「肩すかし判決」とも呼ばれた。
補足【自衛隊法】
自衛隊法(じえいたいほう、昭和29年6がつ9日法律第165号)は、「自衛隊の任務、自衛隊の部隊の組織及び編成、自衛隊の行動及び権限、隊員の身分取扱等を定める」(第1条)日本の法律である。自衛隊内では「隊法」(たいほう)と略す。
★この裁判では、【自衛隊の存在そのものの、合憲、違憲】を掘り下げて、【自衛隊という軍隊を具体的に運用する法律】まで、違憲か、合憲かで争われました。自衛隊を会社に例えれば、社内の就業規則にまで、憲法判断が争われました。
一審の裁判長は、上手く逃げましたね。
(1)先ず、被告の酪農家兄弟2人を無罪にしてしまう。これで、被告側は上訴できなくなってしまいました。
(2)自衛隊法に関しては、被告が無罪になった以上、憲法判断はすべきではないとしました。これで、検察も、上訴を断念しました。
(3)仮に、一審で被告が有罪となり、最高裁まで争ったとしても、伝家の宝刀の【統治行為論】で自衛隊法の憲法判断は回避されたでしょう。
(4)憲法判断を問う訴訟が、一審で結審してしまった珍しい例です。裁判長も面倒な案件に関わりたくなかったのでしょう(笑)
(5)仮に最高裁まで行っても、過去の判例で、自衛隊は【事実上の軍隊】として、現状を認められている限りは、その組織運用を定めた【自衛隊法】も現状を認められるにすぎません。
③百里基地訴訟。
百里基地訴訟(ひゃくりきちそしょう)は、1977年に始まった、自衛隊の合憲性を争点とした訴訟である。百里裁判とも。
概要
茨城県小川町(現・小美玉市)に航空自衛隊の百里基地を設置する際、基地建設予定地を所有していた住民が、建設反対派の住民に売った土地の契約を解除して防衛庁(現・防衛省)にその土地を売った。このことで土地所有権の帰属に関連し、自衛隊の合
憲性が争点となった。
第一審の水戸地裁では統治行為論が適用され、自衛隊は裁判所の審査対象にならないとされた。第二審の東京高裁では自衛隊への憲法判断自体を本件に関しては不必要とし、最高裁も第二審を支持する判決を出した。
裁判の流れ
第一審
1977年2月17日、水戸地裁は、憲法第9条に関して、「第9条は自衛のための戦争までを放棄したものではない」とし、「自衛隊は一見明白に"戦力"だと断定できない」としたが、「自衛隊の違憲性は裁判所の審査対象とすることはできない」と判断、
統治行為論を適用し、自衛隊に関して合憲とも違憲ともしなかった。したがって、自衛隊の違憲性を求めた基地建設反対派の住民は敗訴となった。
第二審
1981年7月7日、東京高裁では、「本件は自衛隊が公序良俗違反かどうかを問題にしているに過ぎず、憲法判断の必要性自体が存在しない」とした。したがって、第二審においても基地反対派の住民は敗訴となった。
第三審
1989年6月20日、最高裁でも、第二審の判断を支持、憲法判断は不必要とし、基地反対派の住民の上告を棄却した。
★ポイント
(1)一審の判決は、明らかに【砂川判決の判例】に従っている。自衛隊の個別的自衛権を合憲としている。
(2)一審から最高裁まで【砂川判決】と【統治行為論】のオンパレードです。
重要な判例はほぼすべて検証して来ましたが、ここまで最高裁での判例が積みあがっている以上、今審議中の【平和安保法制の正統性】は不動です。
仮に【平和安保法制】が成立後、馬鹿憲法学者や、反日日弁連が違憲訴訟を起こしても
【砂川判決】&【統治行為論】の最強ペアが有る限り、【平和安保法制】は、最高裁によって、事実上、現状追認されるだけです。
次は第③編です。
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