伊丹十三襲撃事件
1992年5月22日、暴力団を描いた映画『ミンボーの女』の監督伊丹十三を後藤組組員5人が襲撃。
犯行は現場は世田谷区内の伊丹さん宅前の駐車場で発生。伊丹監督はカッターナイフで切りつけられ、
顔や両腕に全治3カ月の重傷を負った。
警察は現場の車より後藤組の犯行であることを突き止め、12月3日、後藤組本部長・池田満(当時36)、幹部柏木一身(42)、
後藤組内石川組幹部、三国孝男(43)ら5人が傷害容疑で逮捕された。
5人は同月末に全員起訴され、その後、懲役4~6年の実刑判決を受けた。
翌4日、後藤組本部事務所、後藤忠政宅、不動産業「エム・プランニング」など約10カ所で捜査員270人、装甲車30台を動員し家宅捜索が行われる。
後藤組事務所には闘犬の他クマも飼育されていたため麻酔銃が用意された。
(毎日新聞92年12月4日東京夕刊より)
92年12月25日
警察庁は13都道府県の刑事部長を集め、東京・半蔵門会館で指定暴力団後藤組に対する「集中取締推進会議」を開いた。
会議の冒頭、国松考次刑事局長は後藤組を来年の最重要取り締まり対象とすることをなどを支持した。
その後も1993年5月には自称右翼の男が伊丹監督作品『大病人』公開中の映画館のスクリーンを切り裂く事件が起き、
伊丹への嫌がらせが耐えなかったという。
(伊丹は1997年に投身自殺をしているが、この自殺にも後藤組が関与していた、という説がある。)
1993年6月、建設会社に労働者を派遣させ、労働者派遣法違反容疑で後藤組員6人が逮捕。
1997年10月31日
ニセの賃貸契約署などで入札事務を遅らせたとして、競売妨害の疑いで後藤組幹部で右翼団体代表、松本英也(38)ら3人を逮捕。
調べによると95年9月、倒産した八潮市内の建築資材会社の土地建物(約900平方メートル)について、現状調査に訪れた浦和地裁執行官に、
「契約書を交わして政治結社などに転貸借している」などとニセの契約書を提示。自分が代表の右翼団体の看板を出したり、敷地内に凱旋車を止めたりして入札を妨害した疑い。
1997年12月31日
午前4時頃、埼玉県草加市氷川町で7、8発の銃声があったと住民から届け出があり、住吉会浅草高橋組草加事務所の東側窓ガラス2枚13カ所に銃弾が撃ち込まれていたのが確認される。
同5時半頃、同県三郷市三郷のマンション4階にある後藤組内浜脇組幹部の自宅ドアに8発の銃弾が撃ち込まれているのを、巡回中の吉川署員が発見する。
銃器取引
1998年6月15日、旧住宅金融専門会社の大口融資先の一つエスケージー(旧振興開発、本社宮城県松島町)所有ビルなどに政治結社
「天妙会」が機関銃など多数の銃器を隠し持っていた事件で、短銃の一部が後藤組から流れた疑いが強まり、埼玉、東京、宮城などで
後藤組事務所など20数カ所を一斉捜査、短銃3丁と実弾10数発を押収。信岡幸典(当時50)、高尾作一(当時48)、長岡栄司(当時32)を逮捕。
*写真は襲撃された映画監督の伊丹十三
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