私は7月9日以降に予想されることが、杞憂に終わればよいと思っています。しかし、どうも自体は悪い方向に向かっていく予兆が出始めています。
東京都庁のHPから、
報道発表資料 [2015年6月掲載]
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都庁舎における手荷物検査(試行)の実施について
平成27年6月19日
総務局
東京都では、都庁舎のセキュリティ充実策について検討するため、執務室フロア入場時の手荷物検査を試行実施することとしました。
都庁舎をご利用の皆様には、ご不便等おかけいたしますが、ご理解とご協力をお願いいたします。
1 実施期間
平成27年6月29日(月曜)から7月31日(金曜)まで
2 場所
第一本庁舎1階・2階各エレベーター・バンク前
第一本庁舎・第二本庁舎連絡通路(3階)
議会棟1階・2階出入口
3 方法
目視による手荷物検査及び金属探知機による所持品検査
※展望室は、現在実施している手荷物検査に加え、金属探知機による所持品検査を実施します。
また、本庁舎内の要所での定点警備や各フロアの巡回警備を強化し、不審者・ 不審物等の早期発見や迅速な対応に努めていきます。
問い合わせ先
総務局総務部総務課
電話 03-5388-2319
★なぜこの時期に?私は現在の新都庁舎が完成した時期に、東京にいましたが、それ以降も、セキュリティ強化などの話は、一度も聞いたことが有りません。
それに期間が意味深です。6月29日から~7月30日まで、見事に7月9日のXデーをカバーしています。
間違いなく、公安筋から、かなり、確度の高い情報と、警備強化の指示が出ているのでしょう。目的はズバリ【朝鮮人大規模テロと、都庁舎の乗っ取り】です。
連中は、過去に実績が有ります。戦後1948年に起こった【阪神教育事件】です。歴史は繰り返すし、朝鮮人は学習能力が無いので、第二の【阪神教育事件】を引き起こす可能性が大です。
ご存知の方も多いかとは思いますが、知らなかった方はこれを機会に、戦後に数々勃発した【在日韓国朝鮮人達のテロ事件】について、学習し、正しい歴史観を持ってください。
私は、【戦後の朝鮮人達のテロ事件】は日本史の教科書に記載し、中学校の社会、高校の日本史の授業で教えるべきだと思っています。
【阪神教育事件】とは、1948年(昭和23年)に、GHQのマッカーサー司令官が、朝鮮人による民族教育を禁止したことに火病を起こした【朝鮮人による大規模テロ事件】で、いずれも、大阪府庁舎と兵庫県庁に侵入し、破壊活動を思う
ままにして、神戸では、あろうことか、県知事や占領軍軍司令官まで拉致して、自分たちの要求を飲ませた事件です。詳細は以下です。
阪神教育事件(はんしんきょういくじけん)は、1948年(昭和23年)4月14日から4月26日にかけて大阪府と兵庫県で発生した在日朝鮮人と日本共産党による民族教育闘争、大規模テロ、逮捕監禁・騒乱事件で、GHQは、戦後唯一
の非常事態宣言を布告した
事件の発端
当時の民族教育
1947年(昭和22年)10月、GHQ総司令官マッカーサーは、日本政府に対して、「在日朝鮮人を日本の教育基本法、学校教育法に従わせるよう」に指令した。
このころ在日朝鮮人の子供たちは、日本内地の教育により、朝鮮語の読み書きが充分にできなかったため、日本各地で国語講習会が開催され、文字と言葉を知ったものが先生となり、在日朝鮮人の子供たちに朝鮮語を教えた。教材は独自に作成された。国語
講習会は在日朝鮮人連盟(略称は朝連)事務所や工場跡地、地元の小学校校舎などを借りて開かれた。その後、国語講習会は朝鮮人学校に改組され、学校は全国に500数十校、生徒数は6万余人を数えた。
1948年1月24日、文部省は各都道府県知事に対して、「朝鮮人設立学校の取扱いについて」という通達を出し、朝鮮人学校の閉鎖と生徒の日本人学校への編入を指示した【朝鮮学校閉鎖令】。
同年、1月27日朝連は第13回中央委員会を開催し、朝鮮学校閉鎖令に対し反対を表明した。さらに、彼らの主観における「民族教育を守る闘争」を全国で展開するように訴えた。
大阪府と兵庫県ではこの通達に基づき、朝鮮学校の閉鎖を命じた。阪神地区では、朝連の宋性が闘争、暴力事件の指導に当たった。在日朝鮮人・金太一が闘争中に警官に射殺されている。
事件の概要
大阪府
1948年4月23日9時、大阪城前の大手前公園で、朝鮮人学校弾圧反対人民大会が開催された。集会には在日朝鮮人や日本共産党日本人など7000人余が集結した。16人の代表が選出され、大阪府庁舎で大阪府知事との交渉を行うことになった。
12時30分、大阪府庁知事室において、副知事(知事は当日不在だった)と朝鮮人代表者16人との交渉が始まったが、合意には至らなかった。代表者はしばしば威圧的、脅迫的な言動を行った。
15時、在日朝鮮人や日本共産党の日本人など7000人余の中から、シュプレヒコールが起こった。50人余の青年が行動隊を編成し、スクラムを組んで大阪府庁前の阻止線を組織的な暴力を駆使して突破した。
15時30分、行動隊に続いて、在日朝鮮人や日本共産党関西地方委員会の日本人など7000人余も大阪府庁に暴力で突入し、3階までの廊下を暴力で占拠した。副知事は警察官の誘導により、戦時中に作られていた地下道を通って脱出した。
17時ごろ、群衆は知事室になだれ込み、ドアや調度品を破壊するといったテロ活動をした。
夜、大阪城周辺の各所で在日朝鮮人や日本共産党の日本人が篝火を焚いた。
アメリカ軍や武装警官が到着した。その後、在日朝鮮人や日本共産党の日本人らは、武装警官隊と乱闘となり、在日朝鮮人のうち1人が死亡、20人が負傷した。警官側の負傷者は、それを上回る31人だった。179人が騒擾罪で検挙された。
4月25日、朝連や日本人約300人が南警察署に押しかけ、逮捕者の釈放を要求、脅迫した。警官隊は、約300人に向けて威嚇射撃を行い追い返した。
4月26日、朝連は大阪東成区や旭区などで「朝鮮人学校弾圧反対人民大会」を開催した。
午後、朝鮮人代表者と大阪府知事との間で再度交渉が行われた。
15時40分、別室に待機していた大阪軍政部のクレーグ大佐が、交渉の中止と、大手前公園に集結していた在日朝鮮人2万人の解散を指示した。
在日朝鮮人1600人のデモ隊が再び大阪府庁に向かい、武装警官隊の阻止線で投石を開始する暴力行為を行った。武装警官隊は消防車に放水をさせ、デモ隊に突入し拳銃で発砲した。在日朝鮮人金太一が死亡した。
検挙者は軍事裁判にかけられ、日本人9人と在日朝鮮人8人が重労働4年以下の判決を受けた。
阪神教育闘争の指導者の一人であった朴柱範は逮捕・投獄され、釈放された直後に死亡した。
事件解決後、大阪市警察局は、アメリカ陸軍第25師団司令部より感謝状が贈呈された。
【兵庫県】
1948年4月、兵庫県知事・岸田幸雄は、朝鮮人学校に対して、封鎖命令を出した。
4月14日、朝連は兵庫県庁を訪れ、岸田との交渉を要求した。言動はしばしば威圧的、脅迫的になった。
4月23日、警官隊とMP(GHQの憲兵)は、朝鮮人学校灘校と東神戸校を封鎖した。
4月24日、朝鮮人学校灘校と東神戸校の封鎖に抗議する在日朝鮮人や日本人が、兵庫県庁前に集結した。
9時30分、兵庫県庁知事室で、岸田、神戸市長・小寺謙吉検事正ら15人は、朝鮮人学校閉鎖仮処分執行問題と、在日朝鮮人の抗議集会対策を協議した。朝連は兵庫県知事室での密談の情報を入手し、約100人の在日朝鮮人や日本人が兵庫県庁内に突入し、
知事応接室を占拠して備品などを破壊するテロ行為をした後、壁を打ち破って知事室になだれ込み、岸田幸雄やMPを拉致監禁した。在日朝鮮人や日本人約100人は、電話線を切断するテロ行為を行って外部との連絡を絶ち、「学校閉鎖令の撤回」「朝鮮人
学校閉鎖仮処分の取り消し」「朝鮮人学校存続の承認」「逮捕された朝鮮人の釈放」などを、自由を奪った状態の岸田幸雄に強要した。
17時、岸田は、暴力的な威圧の下で「学校閉鎖令の撤回」「朝鮮人学校閉鎖仮処分の取り消し」「朝鮮人学校存続の承認」「逮捕された朝鮮人の釈放」を誓約させられた。
22時、岸田、吉川兵庫県副知事、市丸検事正、田辺次席検事、出井兵庫県警察長、古山神戸市警察局長らは、占領軍兵庫県軍政部に集められた。
23時、兵庫県軍政部は「非常事態宣言」を発令した。これによって、全警察官はアメリカ軍憲兵司令官の指揮下に入った。兵庫県庁への乱入者の徹底検挙が命じられ、岸田幸雄が暴力的な威圧下で誓約させられた「学校閉鎖令の撤回」「朝鮮人学校閉鎖仮
処分の取り消し」「朝鮮人学校存続の承認」「逮捕された朝鮮人の釈放」などは、脅迫によるものであったこともありすべて無効とされた。
4月25日早朝、アメリカ軍憲兵や日本警察官は兵庫県庁への乱入する集団テロの関係者の検挙を開始。
4月28日、非常事態宣言解除。
4月25日から4月29日までに、1590人もしくは7295人が検挙された。日本共産党神戸市議会議員・堀川一知も検挙された。
検挙した者から主だった者を拘留し、23人を軍事裁判にかけた。日本人は堀川のみで、重労働10年の判決を受けた。在日朝鮮人には最高重労働15年の判決が出され、刑期終了後は本国に強制送還されることになった。
事件の決着
同年5月5日、朝連教育対策委員長と文部大臣との間で、「教育基本法と学校教育法を遵守する」「私立学校の自主性の範囲の中で朝鮮人独自の教育を認め、朝鮮人学校を私立学校として認可する」との覚書が交わされた。
【歴史的評価】朝鮮人反乱軍は鎮圧しましたが、最終的に最も得をしたのは、どっちでしょうか?言うまでもなく、【朝鮮人テロリスト達】です。何故なら、
「文部大臣との間で、「教育基本法と学校教育法を遵守する」「私立学校の自主性の範囲の中で朝鮮人独自の教育を認め、朝鮮人学校を私立学校として認可する」との覚書が交わされた。」という事は、占領軍総司令官マッカーサーが禁止した
【朝鮮人民族教育】の実施を日本政府に暴力と威圧によって、要求を飲ませたことを意味します。しかも、「覚書」とは、対等の立場での法令に準ずるものです。【朝連教育対策委員長と日本の文部大臣が対等の立場で覚書を結ばされた】ので
す。単なる【朝鮮人テロリストの親玉】と日本国の文部大臣が同格なんて、日本国民として情けないことだと思います。
それでは、朝鮮人たちは「教育基本法と学校教育法を遵守する」を誠実に守ったでしょうか?朝鮮人らしくものの見事に裏切りました。その良い例が朝鮮学校の小学生の算数の授業です。
問題「日本人が5人いました。3人殺しました。あと何人殺せば、全員殺したことになるでしょう」こう言った教育を戦後70年間続けています。
前の記事で、民団(韓国系民族組織)の担当者と話した時に、彼は、「やったのは北朝鮮人で、在日韓国人ではない」と言っていましたが、私は嘘だと思います。
何故なら、朝鮮戦争が起きたのがこの2年後の1950年で、在日朝鮮人たちは、組織的にも、在日韓国人と在日朝鮮人にはっきりと分かれていませんでした。今、民団の支配下にあり、韓国系を名乗っている在日一世も全員暴動に参加したに
違いありません。
それに、朝鮮人暴徒の鎮圧の仕方にも、不満が有ります。大阪市警は【威嚇射撃】で朝鮮人暴徒を追い帰しましたが、私は、実際に射撃して、一人でも多くの朝鮮人を射殺すべきだったと思います。
この時の鎮圧方法の甘さが、連中に【どんなに暴れても、殺されることはない】という悪しき学習効果を与えたのです。
それと注意すべきことは、連中は、世界最強の米軍が占領行政をしているにもかかわらず、平気でテロ活動をやったことです。群衆となり一斉に火病を起こすと、制止しようが、威嚇射撃しようが平気です。
機関銃による一斉射撃で、全員射殺して初めておとなしくなります。アメリカンジョーク風ですが、【良い朝鮮人とは死んだ朝鮮人である】です。
学習能力のない在日達は、また同じことをやらかすでしょうが、今度【阪神教育事件】並みの大規模テロを起こしたら、満を持した自衛隊と予備自衛官らにより、一気に殲滅されるでしょう。前回の様に7295人も検挙するような優しい処置
はあり得ません。
在日三世で反日歌手の桑田圭祐が「ピースとハイライト」の中で「教科書は現代史をやる前に時間切れ」と歌っています。彼としては「朝鮮の植民地支配や、中国への侵略をちゃんと教えろ」と言いたいのでしょうが、私に言わせれば、「それ
は、逆だろ?」と言いたいです。むしろ、「戦後の数えきれない【朝鮮人のテロ事件】こそ、現代史で教えるべきです。高校の日本史の授業で、コマ数が足りなければ「道徳」の事業ででも教えるべきです。
日本の中高の学校に通う、在日韓国朝鮮人の学生たちが、恥ずかしくて泣きだすまで、徹底的に教えるべきです。
そして、【阪神教育事件】に日本人として大量に参加した日本共産党を許してはなりません。当時から今に至るも共産党の党員には在日朝鮮人や、帰化朝鮮人が多いのです。コンクリ事件の加害者の親(犯行場所に家を提供した)の様に在日の
まま幹部になっていたものもいます。
それと、これは、話がそれますが、東京都民の読者様は知っておいてほしいことです。あの都庁の庁舎には建設に当たって、強力な発がん性をもつ【アスベスト】が大量に使用されています。私は当時から危惧していました。
設計したのは日本建築界の大御所、丹下健三ですが、愚かなことをしたものです。今後、日韓断交して、朝鮮人のテロリストが、【9・11】の様に、旅客機をハイジャックして、都庁ビルを突き抜けて崩壊したら、東京中の空気に
アスベストが飛散して、癌になり死亡者が大量に出ますよ。私が、都民だったら、都議会議員を動かして、都庁舎から、アスベストを除去する工事をやらせます。
以上
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