横須賀の高倉健こと三階菱
今回、伏見様より私から見た横須賀の実情を主題にしたコラムの執筆依頼を頂きましたので稚拙ながら投稿させていただく事となりました。
必ずしも一般論とは言えませんが、原則事実に基づいた事象のみを執筆していきますので宜しくお願い申し上げます。
まず横須賀の基本的なお話と私のちょっとした自己紹介をさせていただこうと思います。
横須賀と言えばベース(米軍基地)を思い描く方が多いのではないでしょうか。
古くは鎌倉幕府の時代に遡りますが、そこまで掘り下げますと私も勉強不足ですので…明治時代からの横須賀をご説明します。
軍港として帝都、東京を守護する要地であり目ぼしい名産物などもなかったこの地はそれなりに栄えていたようです。ペリーの来航なども静岡と横須賀の浦賀が有名でしょう。
明治時代にはペリーの影響もあり浦賀沖に帝都防衛の為、海堡が数段構えで築かれ猿島と呼ばれる東京湾内唯一の島も要塞化されていました、敗戦までは海軍の一大拠点でありましたが敗戦により今度は米海軍太平洋艦隊が駐留する事になりました。
私が生まれた頃には既に横須賀=米軍基地が定着していました。
故に横須賀ベース周辺地域には外国人がとても多かった、白人黒人はもとよりフィリピン人や朝鮮人など様々でした、まさに人種の坩堝。
また私の実家は米軍基地へ徒歩で行ける距離にあり母方の実家も旧海軍士官の家々が並ぶ小高い丘の上にありました。
そんな環境だった為、外国人に対するアレルギーなどはなく言葉が通じなくともスケボーやバスケで遊んだり私自身が悪ガキだった事もありゲームセンターで横柄な同年代の黒人を椅子でぶん殴り取っ組み合いの喧嘩になり乱闘の末、揃ってゲームセンターから出入り禁止になり、なぜかそのまま遊び友達になったりと外国人とは結構交流もありました。
それ故に私や近所の友達は肌の色や生まれによる差別的な意識は根本的に持ち合わせてはいませんでした。差別とは無知から来る偏見と思い込みが生み出すものですから。
ただし母方の家では戦後財産税と呼ばれる課税にて所有財産の総額8割もの税を納める事を命じられ財産、土地や蔵などGHQに家以外全て接収された実害もあって曾祖父や伯父は相当アメリカを恨んでいました。
父方も東北の農家であったようですが同じく農地を接収され上京せざるを得なかったと聞いてます。
戦後は母方の家は大層苦労したようで曾祖父、祖母が商売をし(祖父はレイテで戦死)ながら伯父や母を含む子供6人を育てたとの事。
米兵による婦女暴行、闇市、朝鮮人らの犯罪など様々な災難が横須賀でも繰り広げられていたんだそうです。都心部と同じように駅前一等地にはパチンコ、焼肉屋、消費者金融などが並んでおり漏れなく朝鮮人がオーナーです。
母が中学、高校生ほどまで治安の悪さは続いていたようです、通学中に米兵のジープで横付けされちょっかいを出される事は日常茶飯事、現在どぶ板通りと呼ばれる飲み屋街一帯は治安がすこぶる悪く夜に女性が歩けば無事では済まなかった、そんな時代だったと。
その様な過去を経て現在の横須賀は米軍基地に対しては沖縄とは違い庶民の評判は悪くありません。勿論、たまに米兵による事件や事故(外国人の自殺は頻発してますが不思議と記事やニュースでは見た事がない)はありますが。
米軍基地がある事による恩恵も当然ありますし、たまに基地へ入りましたが完全に異国の町並みである為、妙に高揚したものです。
遠征共産主義者らが稀に小規デモをしてますが地元の人間からは異端者扱いされています。
米軍基地があり、またそこで働く人が身内にいる場合ニュースに流れないアメリカの政治的な動きをたまに感じる事があるのです。
例えば、オウムのテロ事件、911後の厳戒態勢から今に続く不穏分子排除。
身内、おそらく3親等かそれ以上の範囲に左翼関係者(在日やムスリムも不穏分子扱いされている可能性もあるようです)がいた場合解雇、パス停止がされます。ここで云う左翼とは基本的に共産主義者及びそれに与する反国家的思想の人物らを指します。
知人から2例ほど聞いた話ですと基地勤務20年以上で数年おきの審査(身辺調査をされているらしい)で突然解雇を言い渡されたと、前回の審査から違いがあるのは娘が結婚した事のみ。結婚相手の実家が極左御用達弁護士らしくそれが審査に引っ掛かったのだろうと。
同じくもう1つの例も子供の結婚が影響したと思われたため独自に義娘の実家を調べたところ、在日3世だか2世だかであったとかで義娘本人は帰化日本人だったと。
要するに工作員が身内にいると判断されたのではないかと私は思っています。
米軍基地に関わらずある特定の企業や公職でも同様でしょうがアメリカはこれら反政府、反国家、共産主義者らに対しては完全に排除の方向で徹底してます。日本も見習わないとならないでしょう。
横須賀は最早米軍基地の存在なくして成り立っていない、それぐらいの土地です。地位協定の理不尽さや不良外国人や外国人売春婦も集まって来たりする為にデメリットも当然ありますが広大な米軍基地が返還されたとしても結局海上自衛隊がまた活用するだけの話で庶民にはあまり関係のない話、そんな風に私も横須賀住民も考えています(主流な意見)
横須賀と戦後、米軍との繋がりなどをざっとご紹介しました。勿論、別の主張をされる人々もおられるでしょうが横須賀住民の一般的な認識はこれとそう離れたものではないと思います。
次稿ではそこに住む多様な国籍の人々に焦点をあててみたいと思います。
ご拝覧いただきありがとうございました。
以上
← この記事に興味をもたれた方はクリックお願い致します!!!
【一般読者様へ】
鑑定の御相談は下記メアドまでご連絡ください。
harunohi807@gmail.com
今回、伏見様より私から見た横須賀の実情を主題にしたコラムの執筆依頼を頂きましたので稚拙ながら投稿させていただく事となりました。
必ずしも一般論とは言えませんが、原則事実に基づいた事象のみを執筆していきますので宜しくお願い申し上げます。
まず横須賀の基本的なお話と私のちょっとした自己紹介をさせていただこうと思います。
横須賀と言えばベース(米軍基地)を思い描く方が多いのではないでしょうか。
古くは鎌倉幕府の時代に遡りますが、そこまで掘り下げますと私も勉強不足ですので…明治時代からの横須賀をご説明します。
軍港として帝都、東京を守護する要地であり目ぼしい名産物などもなかったこの地はそれなりに栄えていたようです。ペリーの来航なども静岡と横須賀の浦賀が有名でしょう。
明治時代にはペリーの影響もあり浦賀沖に帝都防衛の為、海堡が数段構えで築かれ猿島と呼ばれる東京湾内唯一の島も要塞化されていました、敗戦までは海軍の一大拠点でありましたが敗戦により今度は米海軍太平洋艦隊が駐留する事になりました。
私が生まれた頃には既に横須賀=米軍基地が定着していました。
故に横須賀ベース周辺地域には外国人がとても多かった、白人黒人はもとよりフィリピン人や朝鮮人など様々でした、まさに人種の坩堝。
また私の実家は米軍基地へ徒歩で行ける距離にあり母方の実家も旧海軍士官の家々が並ぶ小高い丘の上にありました。
そんな環境だった為、外国人に対するアレルギーなどはなく言葉が通じなくともスケボーやバスケで遊んだり私自身が悪ガキだった事もありゲームセンターで横柄な同年代の黒人を椅子でぶん殴り取っ組み合いの喧嘩になり乱闘の末、揃ってゲームセンターから出入り禁止になり、なぜかそのまま遊び友達になったりと外国人とは結構交流もありました。
それ故に私や近所の友達は肌の色や生まれによる差別的な意識は根本的に持ち合わせてはいませんでした。差別とは無知から来る偏見と思い込みが生み出すものですから。
ただし母方の家では戦後財産税と呼ばれる課税にて所有財産の総額8割もの税を納める事を命じられ財産、土地や蔵などGHQに家以外全て接収された実害もあって曾祖父や伯父は相当アメリカを恨んでいました。
父方も東北の農家であったようですが同じく農地を接収され上京せざるを得なかったと聞いてます。
戦後は母方の家は大層苦労したようで曾祖父、祖母が商売をし(祖父はレイテで戦死)ながら伯父や母を含む子供6人を育てたとの事。
米兵による婦女暴行、闇市、朝鮮人らの犯罪など様々な災難が横須賀でも繰り広げられていたんだそうです。都心部と同じように駅前一等地にはパチンコ、焼肉屋、消費者金融などが並んでおり漏れなく朝鮮人がオーナーです。
母が中学、高校生ほどまで治安の悪さは続いていたようです、通学中に米兵のジープで横付けされちょっかいを出される事は日常茶飯事、現在どぶ板通りと呼ばれる飲み屋街一帯は治安がすこぶる悪く夜に女性が歩けば無事では済まなかった、そんな時代だったと。
その様な過去を経て現在の横須賀は米軍基地に対しては沖縄とは違い庶民の評判は悪くありません。勿論、たまに米兵による事件や事故(外国人の自殺は頻発してますが不思議と記事やニュースでは見た事がない)はありますが。
米軍基地がある事による恩恵も当然ありますし、たまに基地へ入りましたが完全に異国の町並みである為、妙に高揚したものです。
遠征共産主義者らが稀に小規デモをしてますが地元の人間からは異端者扱いされています。
米軍基地があり、またそこで働く人が身内にいる場合ニュースに流れないアメリカの政治的な動きをたまに感じる事があるのです。
例えば、オウムのテロ事件、911後の厳戒態勢から今に続く不穏分子排除。
身内、おそらく3親等かそれ以上の範囲に左翼関係者(在日やムスリムも不穏分子扱いされている可能性もあるようです)がいた場合解雇、パス停止がされます。ここで云う左翼とは基本的に共産主義者及びそれに与する反国家的思想の人物らを指します。
知人から2例ほど聞いた話ですと基地勤務20年以上で数年おきの審査(身辺調査をされているらしい)で突然解雇を言い渡されたと、前回の審査から違いがあるのは娘が結婚した事のみ。結婚相手の実家が極左御用達弁護士らしくそれが審査に引っ掛かったのだろうと。
同じくもう1つの例も子供の結婚が影響したと思われたため独自に義娘の実家を調べたところ、在日3世だか2世だかであったとかで義娘本人は帰化日本人だったと。
要するに工作員が身内にいると判断されたのではないかと私は思っています。
米軍基地に関わらずある特定の企業や公職でも同様でしょうがアメリカはこれら反政府、反国家、共産主義者らに対しては完全に排除の方向で徹底してます。日本も見習わないとならないでしょう。
横須賀は最早米軍基地の存在なくして成り立っていない、それぐらいの土地です。地位協定の理不尽さや不良外国人や外国人売春婦も集まって来たりする為にデメリットも当然ありますが広大な米軍基地が返還されたとしても結局海上自衛隊がまた活用するだけの話で庶民にはあまり関係のない話、そんな風に私も横須賀住民も考えています(主流な意見)
横須賀と戦後、米軍との繋がりなどをざっとご紹介しました。勿論、別の主張をされる人々もおられるでしょうが横須賀住民の一般的な認識はこれとそう離れたものではないと思います。
次稿ではそこに住む多様な国籍の人々に焦点をあててみたいと思います。
ご拝覧いただきありがとうございました。
以上
← この記事に興味をもたれた方はクリックお願い致します!!!
【一般読者様へ】
鑑定の御相談は下記メアドまでご連絡ください。
harunohi807@gmail.com