伏見様及び読者の皆様:
標題の「英語教師に出会う!」の切欠は、今年の6月に遡及(retroactive)します。
現在も継続している二人の家庭教師のうち、女子中学生のエピソードがその発端。
この中学生は私立中学・高校の一貫進学校に通っていて、毎週その学校で「英単語・英熟語」の小テストがある。
それも、週2回程度の提出義務がある英単語・熟語練習帳から出題される。このへんが非常に「私立」っぽい。
私の昔の記憶でも「公立」中学にはこのような試験はなかった。
ある日、その週に「練習帳」を2回提出しなければならなかったけど彼女はその提出し忘れた。
一方、テストは満点だった(私が教えているから?)。しかし、英語教諭(オンナ)が採点後の答案用紙を返却する際、
実に厭味たらしくこう云ったらしい。
「この中に練習帳を出さないのに、満点の生徒がいます。私はその生徒にこう言います。『恥を知りなさい!』これは英語では、
(Shame on You!)と、云うの。皆も覚えて置くように」
そこで、彼女(私の生徒)は、このイヤミな女教師にキレてしまったらしい。話を聞くと、
どうやら出会った頃からキライだったらしい。彼女は、ほぼネイティブの発音と仰揚でこう捲し立てた。
彼女の反論は、国連安保理事会での中国や韓国や北朝鮮のオンナ外交官に対しての罵詈雑言を想起させる。
「図に乗るなよ、このアバズレ女!」(Don’t Push, You Bitch!)
「オマエは人生の破綻者、最低の負け犬なのに!」(You’re a strung-out, washed-up, has-been, jerk, snitch!)
「テメエはチョー最低のアマだ!」(You’re a real stinker!)
そしたら、英語教諭は終始無言で、教室自体が3分近く「凍結」(freeze-up)したらしい(笑)。
その後、彼女のニックネームは、「かおたん」(彼女の名前が由来)から「ネイティブ」(英語が上手いから)に変わったらしい。
正に、北朝鮮のミサイル発射実験顔負け。金正恩も今度は、英語でスピーチしたら?
その日の放課後、彼女はその英語教師から職員室に呼ばれ、こう云われたらしい。
「コレは先生との内緒話。アナタは誰に英語を教わっているの?正直に話してくれないかしら」と。
それで、この生徒からこのオンナ教師に「会って頂きたい」旨のリクエストを受けたのが、今年の6月中旬。
でも、私はその当時―新規ビジネスのアテンド等で超多忙の日々。時間的にも物理的にもヒトに会う(遭うほうが正確)のは、無理。
それで、先週―また、彼女(生徒)からのリクエスト。「声美人」(この英語教師のアダ名。ブスだけど、取り敢えず、声だけは微妙にフツーらしい)
が私に会いたがっているとか。
年齢を聞くと、43歳で、バツ1を経て独身とか。小柄で地味。「う~ん」私より、10歳下。それで、先生の学校は何処なのと、
訊くと「明治」とか。「ウヒャー!」「センセイ、どうかされました?」と、彼女(生徒)。
実は、学生時代のガールフレンドも明治大学の学生。この年上の娘には麻雀で負けて、お金を借りたことがあった
(勿論、その負けを取り返し、四日後に返済)し、サラリーマン時代の上司も明治出身。この方のお陰で、
私は在日大使館のパーティーやレセプションに出入りすることになるし、現在の取引先の社長がこれまた、全員明治出身。
そして、『でれでれ草の英語塾』第四回目で登場した「田中氏」(仮名)も明治出身。「オレの周りは明治だらけ」これは、
「♪オレにはコミック雑誌なんて要らない。オレ周りはマンガだから♪」のパクリ。
この楽曲―あの内田裕也がさも自分の作詞・作曲のようにホザイているけど、日本の伝説的・破滅的・破壊的ロックバンドの
「頭脳警察」のパンタが本当の創作者。個人的には、日本で一番「ジミ・ヘン」に近かったオトコ。
あと、「さようなら世界婦人」も名曲の部類に入る。この歌は是非とも都はるみに歌って頂きたい。
きっと、売れるハズ!何しろ、世は世紀末に向かっているから。なお、このパンタの出身高校の海城高校は、
亡き父親が役人に成る前に数学を教えていた高校。
それで、43歳のご婦人に会いました。待ち合わせ場所は、銀座の山野楽器の入口付近。
丁度、私は来年から練習するサックス(saxophone)の楽器売場を見たかったので。欲しくなったのは、3百万円以上のサックス。
やっぱり、高いのネ。ちなみに、私は家内にどうやって説明しようかと、ばかり考えていた。ネコの避妊代は、以前使ったから無理。
かおたん(生徒のニックネーム)の指摘通り、地味で小柄の方だった。私のサラリーマン時代、一世を風靡した蛯原友里を
「エビチャン」と評すると、この方は「カニチャン」だった。ご容姿は、そのへんから察して下さい。
会談場所は、銀座風月堂。本物の教師から「先生」と呼ばれ、こっちも他に呼び名がなかったから「先生」。
正に、先生同士の奇妙な会話。そう言えば、昔の学校も教師同士で先生と、呼び合っていた。
やっぱり、教育界は実社会にない「歪さ」が存在する。
「先生、XXXさん(かおたんの本名)にはどうやって英語を教えているのですか?」
「先ず、原則ありきです。先生もご承知の通り、日本語の発音は常に母音で終る(come to an end in vowels)。
一方、英語の発音は常に子音で終わる(come to an end in consonants)。これを英語で『考える』『読む』『話す』際に何度も言います」
「それから、放置プレイ(この時、彼女は笑わなかった)ではなく、ロールプレイ(役割演技)を最優先にします」
「と、言いますと?」
「外国語、特に英語ですが。一番大切なコトは、もう一人の自分を的確に演じられるかどうかです。つまり、別人を演じることです」
「何となく判ります。それで、そのご指導はどうやって?」
ここで、私はハンティング・ワールドのバックからPCを取り出し、ワードに格納されている「テクスト」を先生に見せた。
主に学校の教科書がメインだが、英米の主要新聞の見出し記事をその「ネタ」にするときもある。
そして、二人が言い合う「台詞」は私が作り、それを朗読し合うだけ。本物の先生はしきりに感心している。
「先生は何年ぐらい英語圏にいらしたのですか?」
「海外留学を含め、海外で就労したことはありません。但し、パスポートに余白の紙を貼る位の海外出張はしましたが」と、私。
「それで、英語はどうやってマスターされたのですか?」と、本物の先生。
ここで、私は手短に小学校時代の米軍立川横田基地の通訳と中年女のアメリカ人との苦い思い出から中学校時代に同級生と競い合って
ロックの歌詞を訳したこと。そして、何となく英語が判り始めたのが高校一年生の時。
時報と共に始まるFENのAPネットワークのニュース(1~2分ぐらい・当時)がアタマの中で、
翻訳化・具現化・再現化された時を説明した。これは、十代で一番印象に残っている思い出。
先生は、小さいファイロファックス(手帳)にしきりに「メモ」を取っている。こんな時、便利な表現があり―
「メモは差し控えて下さい」(Easy on your memos) でも、私の話なんてたいしたことでもないのに。
それより、サックスの価格をどうやって家内に持ち出すか否かが問題。飼いネコを音楽通にするために大枚を払う。
これで効くか?それともダメか?後で、ネコに聞いてみよう。
「先生、お願いがあります。もう一度、会って頂けませんか?その時はウチの英語科主任教諭も交えて。如何でしょうか?」
「別段、構いません。それから、今後の連絡係もXXXさん(かおたんの本名)にして下さい。直接連絡し合うより、安全ですから」
「先生、その根拠があれば教えて下さい」
「クッション・マンを置くのが諜報界の鉄則だからです」
では、片目のダヤン
次回は、私とサックスの思い出を綴ります。
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