前回、7年前のこのシリーズをやった時に、この人の情報がどうしても欲しかった。しかし、SMAPを、最初から面倒を見て、「国民的アイドル」
に育て上げた敏腕マネージャーとあるだけで、生年月日はおろか、顔写真すら見つけられませんでした。
しかし、今回はしっかり、Wikiまでできて、顔写真もアップされていました。この7年間のブランクの間に、SMAPが
「国民的アイドルグープ」になり、その功労者の彼女の存在が世間で無視しえないものとなったからでしょう。
木村と中居は最初、「欽ちゃん(萩本欽一)」の弟子でした。ただ、コントの練習の合間の休憩時間に、踊ったり、歌ったりばかりしている
二人を見て、欽ちゃんは「こりゃ駄目だ」と思い、二人を解雇すると同時に、ジャニーさんに引き取ってもらったそうです。
ちゃんとしたジャニーズのオーディションを合格したわけではなく、当時の芸能界の実力者からの依頼で断れなかったのでしょう。
案の定、当時ジャニーズ事務所の事務員だった、飯島女史の所に、メリーが「この子たち売れないと思うけど面倒見てやって」
と丸投げしました。残りのメンバーはおいおい参加していきます。イケメンとは言えず、個性が全員バラバラのグループの良さを引出、
それまで、「帝国の掟」でご法度だったTVのバラエティにも出演させ、着実に世間の認知度を上げて、人気もついてきました。
SMAP以前のジャニーズのトップアイドルは、年齢25歳で、表舞台から消えるというのがお約束でした。
バブルの時代が近づいたころに売れた「少年隊」
バブルの崩壊とともに消えた「光Genji」いずれも、活躍期間は5年ほどでした。
「光Genji」がフェイドアウトした後、しばらくジャニーズ系の「アイドル不在時代」が続きます。
「光Genji」の大沢樹生は当時を振り返って、「絶対バラエティーには出してもらえなかった、僕もコントをやってみたかった」と述壊しています。
次に控えるアイドルは何かと調べると「スマップ」と言うグループらしい。名前を聞いた途端私は不覚にも、似た言葉を連想してしまいました。
「スワップ」です。「日韓通貨スワップ」の「スワップ」ではありません。SEXで言うところの「夫婦交換」のスワップでした(笑)
どんな連中かと、TVで見てみても、どなたも、アイドルとは思えない御面相、「こりゃだめだ」と思いました。
ところが、飯島女史の大運が絶好調の10年間、爆発的に売れ出し、全国でも認知され始めます。
35歳(1993年)~45歳(2003年)庚戌―食神―墓・・・食神の大運です。彼女は戌亥空亡なので、
庚戌の戌が空亡されて大運空亡されていますが、大運が吉星の食神なので、食神が空亡されると、何もかもうまくいき、緊張感のない10年間となります。
この十年間で、1994年に「オリジナルスマイル」が大ヒットします。私も良い曲だなと実感しましたし、当時職場で、若い女子社員が
家に帰ったら、この曲ばかり、繰り返し聞いていると言っていました。当時私は転勤で山梨の甲府市に居ましたが、「オリジナルスマイル」は
全国通津浦々に、彼らが、ジャニーズのトップアイドルとして、認知されるようになったヒット曲でしょう。
その後、ヒット曲を量産し、木村は、数々のドラマに出演して視聴率の取れる男として、評価を得て、そのピークのドラマが
「HERO」(2001年)でしょう。
★要するに、敏腕プロデューサーの飯島女史は、このわずか10年で、SMAPの「トップアイドル」としての「地位を固め」
「必ず売れる「勝ちパターン」」の基礎を気づいたのです。今年で「25周年」ですが、2003年以降の15年間は
「勝ちパターン」と言う「芸能インフラ」に載って、「惰性」で売れ続けたという事でしょう。
★その後「嵐」に追い上げられましたが、「国民的アイドルグループ」の地位は微動だにしませんでした。
★経営学や「マーケティング」の「ケーススタディ」に使えそうな「成功事例」です。
続く
*写真は飯島三智女史
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