≪読者の皆様へ≫
当記事は、一昨日届いていましたが、X女史の質問を優先したので、順番が不同となっています。御承知の上お読みください。
伏見顕正様
御世話になります。それと、以下の内容が「でれでれ草」さんと「lavina」さんの回答になり得ると信じます。
実は、マネロンや脱税の歴史も古く、前回言及したイギリスの東インド会社設立時の17世紀後半に遡ります。その当時、
イギリスの血気盛んな若者がアジアやアフリカに繰り出して、塩の代わりになる調味料(胡椒や辛子・胡麻等)や新しい飲み物(紅茶)
を見つけて来ると叫んでも、誰も相手にする者はいませんでした。勿論、会社も銀行も保険会社も。
しかし、非合法賭博や売春で儲けた連中(マフィア。彼らの出身は隣国のアイルランドやユダヤ系が多かった。
日本ではヤクザ。従って、ヤクザに朝鮮人が多いのは、歴史の必然)は、別の視点を持っていました。
昔のイギリスの金融機関では、その紙幣やコインに刻まれた番号で、容易に出所が判明してしまう。だから、その出所をゴマ化す手立てが必要だった。
これが、マネロンの始まりです。それで、その血気盛んな若者の中でも飛びきり優秀な男がいた。その名がサッスーン。
現在もサッスーン財閥があります。彼は、やがて植民地化するインドで、そのインド人から徴収する「人頭税」を
イギリス・ポンドに限定することを発案した。これで、洗浄完了。
この名残は、つい此間まで続いていました。その首謀者は、あのオサマ・ビン・ラディン。彼も凄く優秀で、
アフガニスタン等で得た阿片の代金をマネロンするために、アラブ諸国に移民とし、その各国で働いているパレスチナ難民からの
「愛国労働税」と「給料」に焦点を当てた。彼らに支払われるドル札の出所は勿論、阿片の売買代金。これで、洗浄完了。
それで、「lavia」さんのコメント。『~寄港地に経由するたびに、積み荷の値段が釣り上がる。理由は正規でない方法で得たお金を
「商品の対価として支払った」という形をとって、キレイなお金、流通可能なお金にするため。そのために、指南役と口の堅い関係者がいて、
積み荷が何であるか、何のために運ばれているかは知られているけど、まずばれることはない』
私の考えは、そのような複雑怪奇で面倒な船積を行って、誰が一番得をするのか?既に、お判りのように、後退氏でも2人の指南役でもない。
そうです、脱税やマネロンのため数億円や数十億をATM代わりに送金で利用している「主要企業の財務担当役員とその会社」。
それで、このマージンは後退氏や小和田父には、払われることはないと、思います。このマージンの大部分は、世界の影のプランナーに直行するのが、私の考えです。
「lavina」さんへの結論は、マネロンの主目的は、出所を合法的(法の網を使って)に消すこと。そして、専門的に言う「出所混同(しゅっしょこんどう)」
を起こして、「特定」から「不特定」にすることです。それから、「でれでれ草」さんへのコメント。クローン技術や整形技術は、
あの東欧の「ルーマニア」が世界一とされています。皇室の方の写真は、おまり拝見しないので、存じませんが、あの朝鮮半島系のお笑い芸人こと北野武。
家内によく言うことは、「ヨーロッパに行く(2~3週間程)度に顔が変わっている」。私の直観は、顔を特定から不特定にヅラしている。
その理由は、顔のマネロンが有力理由かも。従って、皇室の方のヨーロッパ歴訪の「ビフォー」「アフター」を検証して下さい。
顔のマネロンの新事実発見の可能性があります。では。
≪補足≫
①「英国のマフィアには隣国のアイルランド人が多かった」・・・イギリスとアイルランドの関係は、日本と朝鮮との関係によく似ています。
アイルランドは、1171年以降イギリスの植民地でした。1922年、第一次大戦後「民族自決」の国際的風潮により、対イギリス独立戦争を戦い、「アイルランド自由国」
として、独立しました。その刺激を受けて、当時日本領であった朝鮮半島でも独立分子が決起して反乱を起こしましたが、朝鮮総督府によって鎮圧されました。(三一独立運動)
アイルランド人と朝鮮人は民族の気質が意外と似ています。他国、隣国のイギリス人や、アメリカ人から見ると、彼らは、「朝から酒飲んで酔っ払っている怠け者」
朝鮮人との共通点は、「暴力性」と「レイプ」、今でも、アイルランドは、統計的に見ても、レイプ事件の発生率がずば抜けて高く、韓国並みです。
従って、イギリス本土に移住しても、差別、軽蔑されて、マフィアになり、犯罪組織に身を沈めるものが多いです。日本における在日朝鮮人のイメージとよく似ています。
アイルランドは19世紀に有名な「じゃがいも飢饉=主要食料のジャガイモが疫病で枯れ大不作となった」で100万人が餓死しました。
それをきっかけとして、アメリカ合衆国に渡ったアイルランド人移民はアメリカ社会で大きなグループを形成し、
経済界や特に政治の世界で大きな影響力を持つようになった。
この時代のアメリカへの移民の中には、ケネディ家の先祖も含まれていた。何か日本に大量密航してきた在日朝鮮人に似ていますね。
アメリカでも支配階級のWASP(ホワイト、アングロサクソン、プロテスタント)のイギリス系アメリカ人からは蔑視と差別を受けました。
彼らは、戦後の日本での朝鮮人のように、非合法の仕事に手を染めます。その良い例が、アメリカで今でも人気の元大統領、
ジョン・F・ケネディの実父ジョー・ケネディです。
彼は、禁酒法時代のアメリカで、マフィアと組み密造酒の輸出で巨万の富を築きました。
日本でも朝鮮人のソフトバンク会長の孫正義の実父も密造酒の製造でひと財産築きました。
私が好感を持っている、現駐日アメリカ大使のキャロライン・ケネディさんは、アイルランド系アメリカ人の5世だそうです。
日本の在日が4世の時代を迎えるのと似てますね。
明治以降、アメリカ本土への日本人の移民が増えました。1924年にアメリカで「排日移民法」が成立します。
この差別法の立法を促したのが、多くのアイルランド系移民の白人貧困層でした。
「勤勉で良く働く日系移民」の高い評価が、アイルランド移民に「自分たちの仕事を奪われる」と言う危機感を持たせたからでした。
しかし、戦後日本人が、アイルランドへ行くと、現地の人から熱い歓迎を受けるそうです。何故なら、先の大戦で、
大英帝国のアジア植民地支配の象徴、シンガポールを陥落させ、マレー、ビルマを開放し、結果的にインドも独立させ、
大英帝国を解体させたのは、日本軍ですから。アイルランド国民には、長年の恨みから「反英感情」が有ります。
戦後の韓国の「反日感情」と同じですね。
②【サッスーン財閥】
★サッスーン財閥は、18世紀にメソポタミアに台頭したユダヤの富豪家族で、オスマントルコ治世には財務大臣を務めるほどの政商となっていました。
この一族に生まれたデヴィッド・サッスーンは、バグダッドに生まれ、インドに進出、1832年に阿片の利権を求めて、ボンベイに移住しました。
彼は、上海を中心に中国北部を支配したフリーメーソン組織「イングランド系北支地区大結社」の首脳の一人でありました。
当時は、イギリスが1773年からインドでのアヘン専売権を武力で獲得し、東インド会社の貿易を通じて、中国にアヘンを売りつけ、
アジアから銀を巻き上げる麻薬貿易により、ロンドンのシティに莫大な富をもたらしていた時代でした。
そして、1842年のアヘン戦争に敗北した中国は、香港をイギリスの植民地とする敗戦条約に署名をしなければならなくなり、
同時に上海などいくつかの港を開き、イギリス領事館を置くことに同意させられました。
イギリス最大の銀行である HSBC(香港上海銀行)は、こうしてアヘン貿易で得たお金で、1868年に創られたものであります。
「阿片王」 デヴィッド・サッスーンは、1864年にこの世を去っており、HSBCはデヴィッドの5男のアーサー・サッスーンが最大の株主となり、
香港上海銀行は設立されました。その出資者は、サッスーン一族がリーダーとなり、ベアリング商会、ジャーディン・マセソン商会、
ロスチャイドに関係する役員で構成されていました。
デヴィッドの長男は、アルバート・アブダラ・サッスーンといいますが、彼はインド西岸にはじめてドッグを建設し、
その名も「サッスーン・ドッグ」を足場に海運事業を興しており、当時イギリスの風刺画に彼は、「インドのロスチャイルド」と称されていました。
しかし偶然と言うものは恐ろしいもので、アブダラの息子エドワード・サッスーンの妻の名はアリーン・ロスチャイルド、
何と本当のロスチャイルド家の娘と結婚したのです。その後も、この両家は複雑に婚姻関係を結び、中国とインドで悪いことばかりしていたのです。
サッスーン一族は、アヘンで莫大な富を築く一方で、わが国の片岡物産が代理店となっているイギリス紅茶の総元締めとしても知られました。
紅茶と麻薬は、同じ場所の畑で栽培されていたのです。我々が呑気に飲んでいるイギリス紅茶の裏側では、人権を無視され家畜の如くムチ打たれるインドの人々と、
アヘンで廃人同然にされた多くの中国の人々がいた事を忘れてはなりません。
日本でなじみのあるサッスーンといえば、神戸市北野町にある異人館、サッスーン邸がありますが、これは実際に居住していたユダヤ系シリア人のデヴィッド・サッスーン
の名をとったもので、現在は結婚式場になっています。名前は同じですが、最初にお見せした写真のデヴィッドではありません。
女性の方なら、サッスーンと聞けば、安室奈美恵が宣伝する、ファッション界でヘアースタイリストとして有名な
ヴィダル・サッスーンを思い起こすと思いますが、ヴィダルの息子が神戸のサッスーン邸に住んでいた
デヴィッド・サッスーンで、先祖は「阿片王」のデヴィッド・サッスーンです。
≪サッスーン財閥の影響力≫
戦後1950年に朝鮮戦争が勃発し、中国の人民解放軍に苦戦したマッカーサーは、人民解放軍の根拠地である中国満洲への「原爆投下」をトルーマン大統領に進言しました。
しかし、逆にマッカーサーは、トルーマンにより、解任されてしまいました。元外交官の馬淵睦夫氏の著書によると、イギリスのサッスーン財閥が、英国外務省を通じて
アメリカのトルーマン大統領に圧力をかけて、「マッカーサーの解任」に持っていきました。理由は、第二次大戦も終わったので、サッスーン財閥は、「一日も早く
中国での商売を再開したい」が、原爆投下→朝鮮戦争の長期化を目指す、連合軍総司令官のマッカーサーが邪魔だったという事です。
戦後、植民地をすべて失い「斜陽の帝国」となったイギリスですが、ロンドンシティと言う国際金融資本の根拠地であるがゆえに、軍事超大国アメリカも逆らえなかったという事でした。
今でも、ロンドンシティの影響力は、ロスチャイルド家も健在だし、決して侮れません。
③【HSBC(香港上海銀行)】
HSBCホールディングス(エイチエスビーシーホールディングス、HSBC Holdings plc)は、イギリス、ロンドン、カナリー・ワーフに
本社を置く世界最大級の金融(商業銀行を主体とする)グループである。1865年に香港で創設された香港上海銀行を母体として1991年に設立。
イギリス部門の収益源に占める比率は20%であり、最大の収益源は香港部門の22%となっている。
HSBCの事業部門は4つに分かれており、商業銀行、投資銀行、リテール銀行、グローバル・プライベートバンキングである。
HSBCグループが預かる総資産額は、全世界で4番目に大きい(中国工商銀行,中国建設銀行,中国農業銀行に次ぐ)。
HSBCは2008年度に、米経済誌フォーブスの世界有力企業2000社番付で1位を獲得。米国系以外の企業が
この調査で首位になったのは2004年にこの番付が開始されて以来、初めてである。
麻薬取引による不正利得を資金洗浄していたことが2012年7月に報告された。2015年にはスイスリークス事件により、
顧客の租税回避を補助していたとしてスキャンダルとなり、別件で貴金属取引における価格カルテルの疑いにより多くのメガバンクと共に捜査された。
さらに同年、やはりメガバンクと共に為替相場の不正操作をめぐる民事訴訟を提起されている。関係性が疑われているメガバンクの内訳は、
JPモルガン・チェースを初めとする世界勢力であり、FRB から揃ってベイルアウトを受けるほどの規模である。
日本とも取引が多い企業群で、一部は日本国債の流動化にも関わった。
全世界の店舗数は2006年末で1万店舗を超えており、時価総額では上位のシティグループの約5千店舗の
2倍近くの拠点数を誇る状態である。しかし、2015年6月、リストラの一環として、最大5万人の人員を削減する方針を明らかにした[4]。
HSBCはサブプライム問題の深刻化を世界の金融業界の中でも「最も早い」と言えるレベルで分析予想をしており、
2006年度の決算で日本円で1兆円以上の損失引当金を北米子会社のために用意していた。
そのため、2007年上期の業績は業界の予想を上回る前年度比約25%の増益で、自らの上期過去最高益を更新した。
*写真は、HSBC、旧香港上海銀行上海支店ビル
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当記事は、一昨日届いていましたが、X女史の質問を優先したので、順番が不同となっています。御承知の上お読みください。
伏見顕正様
御世話になります。それと、以下の内容が「でれでれ草」さんと「lavina」さんの回答になり得ると信じます。
実は、マネロンや脱税の歴史も古く、前回言及したイギリスの東インド会社設立時の17世紀後半に遡ります。その当時、
イギリスの血気盛んな若者がアジアやアフリカに繰り出して、塩の代わりになる調味料(胡椒や辛子・胡麻等)や新しい飲み物(紅茶)
を見つけて来ると叫んでも、誰も相手にする者はいませんでした。勿論、会社も銀行も保険会社も。
しかし、非合法賭博や売春で儲けた連中(マフィア。彼らの出身は隣国のアイルランドやユダヤ系が多かった。
日本ではヤクザ。従って、ヤクザに朝鮮人が多いのは、歴史の必然)は、別の視点を持っていました。
昔のイギリスの金融機関では、その紙幣やコインに刻まれた番号で、容易に出所が判明してしまう。だから、その出所をゴマ化す手立てが必要だった。
これが、マネロンの始まりです。それで、その血気盛んな若者の中でも飛びきり優秀な男がいた。その名がサッスーン。
現在もサッスーン財閥があります。彼は、やがて植民地化するインドで、そのインド人から徴収する「人頭税」を
イギリス・ポンドに限定することを発案した。これで、洗浄完了。
この名残は、つい此間まで続いていました。その首謀者は、あのオサマ・ビン・ラディン。彼も凄く優秀で、
アフガニスタン等で得た阿片の代金をマネロンするために、アラブ諸国に移民とし、その各国で働いているパレスチナ難民からの
「愛国労働税」と「給料」に焦点を当てた。彼らに支払われるドル札の出所は勿論、阿片の売買代金。これで、洗浄完了。
それで、「lavia」さんのコメント。『~寄港地に経由するたびに、積み荷の値段が釣り上がる。理由は正規でない方法で得たお金を
「商品の対価として支払った」という形をとって、キレイなお金、流通可能なお金にするため。そのために、指南役と口の堅い関係者がいて、
積み荷が何であるか、何のために運ばれているかは知られているけど、まずばれることはない』
私の考えは、そのような複雑怪奇で面倒な船積を行って、誰が一番得をするのか?既に、お判りのように、後退氏でも2人の指南役でもない。
そうです、脱税やマネロンのため数億円や数十億をATM代わりに送金で利用している「主要企業の財務担当役員とその会社」。
それで、このマージンは後退氏や小和田父には、払われることはないと、思います。このマージンの大部分は、世界の影のプランナーに直行するのが、私の考えです。
「lavina」さんへの結論は、マネロンの主目的は、出所を合法的(法の網を使って)に消すこと。そして、専門的に言う「出所混同(しゅっしょこんどう)」
を起こして、「特定」から「不特定」にすることです。それから、「でれでれ草」さんへのコメント。クローン技術や整形技術は、
あの東欧の「ルーマニア」が世界一とされています。皇室の方の写真は、おまり拝見しないので、存じませんが、あの朝鮮半島系のお笑い芸人こと北野武。
家内によく言うことは、「ヨーロッパに行く(2~3週間程)度に顔が変わっている」。私の直観は、顔を特定から不特定にヅラしている。
その理由は、顔のマネロンが有力理由かも。従って、皇室の方のヨーロッパ歴訪の「ビフォー」「アフター」を検証して下さい。
顔のマネロンの新事実発見の可能性があります。では。
≪補足≫
①「英国のマフィアには隣国のアイルランド人が多かった」・・・イギリスとアイルランドの関係は、日本と朝鮮との関係によく似ています。
アイルランドは、1171年以降イギリスの植民地でした。1922年、第一次大戦後「民族自決」の国際的風潮により、対イギリス独立戦争を戦い、「アイルランド自由国」
として、独立しました。その刺激を受けて、当時日本領であった朝鮮半島でも独立分子が決起して反乱を起こしましたが、朝鮮総督府によって鎮圧されました。(三一独立運動)
アイルランド人と朝鮮人は民族の気質が意外と似ています。他国、隣国のイギリス人や、アメリカ人から見ると、彼らは、「朝から酒飲んで酔っ払っている怠け者」
朝鮮人との共通点は、「暴力性」と「レイプ」、今でも、アイルランドは、統計的に見ても、レイプ事件の発生率がずば抜けて高く、韓国並みです。
従って、イギリス本土に移住しても、差別、軽蔑されて、マフィアになり、犯罪組織に身を沈めるものが多いです。日本における在日朝鮮人のイメージとよく似ています。
アイルランドは19世紀に有名な「じゃがいも飢饉=主要食料のジャガイモが疫病で枯れ大不作となった」で100万人が餓死しました。
それをきっかけとして、アメリカ合衆国に渡ったアイルランド人移民はアメリカ社会で大きなグループを形成し、
経済界や特に政治の世界で大きな影響力を持つようになった。
この時代のアメリカへの移民の中には、ケネディ家の先祖も含まれていた。何か日本に大量密航してきた在日朝鮮人に似ていますね。
アメリカでも支配階級のWASP(ホワイト、アングロサクソン、プロテスタント)のイギリス系アメリカ人からは蔑視と差別を受けました。
彼らは、戦後の日本での朝鮮人のように、非合法の仕事に手を染めます。その良い例が、アメリカで今でも人気の元大統領、
ジョン・F・ケネディの実父ジョー・ケネディです。
彼は、禁酒法時代のアメリカで、マフィアと組み密造酒の輸出で巨万の富を築きました。
日本でも朝鮮人のソフトバンク会長の孫正義の実父も密造酒の製造でひと財産築きました。
私が好感を持っている、現駐日アメリカ大使のキャロライン・ケネディさんは、アイルランド系アメリカ人の5世だそうです。
日本の在日が4世の時代を迎えるのと似てますね。
明治以降、アメリカ本土への日本人の移民が増えました。1924年にアメリカで「排日移民法」が成立します。
この差別法の立法を促したのが、多くのアイルランド系移民の白人貧困層でした。
「勤勉で良く働く日系移民」の高い評価が、アイルランド移民に「自分たちの仕事を奪われる」と言う危機感を持たせたからでした。
しかし、戦後日本人が、アイルランドへ行くと、現地の人から熱い歓迎を受けるそうです。何故なら、先の大戦で、
大英帝国のアジア植民地支配の象徴、シンガポールを陥落させ、マレー、ビルマを開放し、結果的にインドも独立させ、
大英帝国を解体させたのは、日本軍ですから。アイルランド国民には、長年の恨みから「反英感情」が有ります。
戦後の韓国の「反日感情」と同じですね。
②【サッスーン財閥】
★サッスーン財閥は、18世紀にメソポタミアに台頭したユダヤの富豪家族で、オスマントルコ治世には財務大臣を務めるほどの政商となっていました。
この一族に生まれたデヴィッド・サッスーンは、バグダッドに生まれ、インドに進出、1832年に阿片の利権を求めて、ボンベイに移住しました。
彼は、上海を中心に中国北部を支配したフリーメーソン組織「イングランド系北支地区大結社」の首脳の一人でありました。
当時は、イギリスが1773年からインドでのアヘン専売権を武力で獲得し、東インド会社の貿易を通じて、中国にアヘンを売りつけ、
アジアから銀を巻き上げる麻薬貿易により、ロンドンのシティに莫大な富をもたらしていた時代でした。
そして、1842年のアヘン戦争に敗北した中国は、香港をイギリスの植民地とする敗戦条約に署名をしなければならなくなり、
同時に上海などいくつかの港を開き、イギリス領事館を置くことに同意させられました。
イギリス最大の銀行である HSBC(香港上海銀行)は、こうしてアヘン貿易で得たお金で、1868年に創られたものであります。
「阿片王」 デヴィッド・サッスーンは、1864年にこの世を去っており、HSBCはデヴィッドの5男のアーサー・サッスーンが最大の株主となり、
香港上海銀行は設立されました。その出資者は、サッスーン一族がリーダーとなり、ベアリング商会、ジャーディン・マセソン商会、
ロスチャイドに関係する役員で構成されていました。
デヴィッドの長男は、アルバート・アブダラ・サッスーンといいますが、彼はインド西岸にはじめてドッグを建設し、
その名も「サッスーン・ドッグ」を足場に海運事業を興しており、当時イギリスの風刺画に彼は、「インドのロスチャイルド」と称されていました。
しかし偶然と言うものは恐ろしいもので、アブダラの息子エドワード・サッスーンの妻の名はアリーン・ロスチャイルド、
何と本当のロスチャイルド家の娘と結婚したのです。その後も、この両家は複雑に婚姻関係を結び、中国とインドで悪いことばかりしていたのです。
サッスーン一族は、アヘンで莫大な富を築く一方で、わが国の片岡物産が代理店となっているイギリス紅茶の総元締めとしても知られました。
紅茶と麻薬は、同じ場所の畑で栽培されていたのです。我々が呑気に飲んでいるイギリス紅茶の裏側では、人権を無視され家畜の如くムチ打たれるインドの人々と、
アヘンで廃人同然にされた多くの中国の人々がいた事を忘れてはなりません。
日本でなじみのあるサッスーンといえば、神戸市北野町にある異人館、サッスーン邸がありますが、これは実際に居住していたユダヤ系シリア人のデヴィッド・サッスーン
の名をとったもので、現在は結婚式場になっています。名前は同じですが、最初にお見せした写真のデヴィッドではありません。
女性の方なら、サッスーンと聞けば、安室奈美恵が宣伝する、ファッション界でヘアースタイリストとして有名な
ヴィダル・サッスーンを思い起こすと思いますが、ヴィダルの息子が神戸のサッスーン邸に住んでいた
デヴィッド・サッスーンで、先祖は「阿片王」のデヴィッド・サッスーンです。
≪サッスーン財閥の影響力≫
戦後1950年に朝鮮戦争が勃発し、中国の人民解放軍に苦戦したマッカーサーは、人民解放軍の根拠地である中国満洲への「原爆投下」をトルーマン大統領に進言しました。
しかし、逆にマッカーサーは、トルーマンにより、解任されてしまいました。元外交官の馬淵睦夫氏の著書によると、イギリスのサッスーン財閥が、英国外務省を通じて
アメリカのトルーマン大統領に圧力をかけて、「マッカーサーの解任」に持っていきました。理由は、第二次大戦も終わったので、サッスーン財閥は、「一日も早く
中国での商売を再開したい」が、原爆投下→朝鮮戦争の長期化を目指す、連合軍総司令官のマッカーサーが邪魔だったという事です。
戦後、植民地をすべて失い「斜陽の帝国」となったイギリスですが、ロンドンシティと言う国際金融資本の根拠地であるがゆえに、軍事超大国アメリカも逆らえなかったという事でした。
今でも、ロンドンシティの影響力は、ロスチャイルド家も健在だし、決して侮れません。
③【HSBC(香港上海銀行)】
HSBCホールディングス(エイチエスビーシーホールディングス、HSBC Holdings plc)は、イギリス、ロンドン、カナリー・ワーフに
本社を置く世界最大級の金融(商業銀行を主体とする)グループである。1865年に香港で創設された香港上海銀行を母体として1991年に設立。
イギリス部門の収益源に占める比率は20%であり、最大の収益源は香港部門の22%となっている。
HSBCの事業部門は4つに分かれており、商業銀行、投資銀行、リテール銀行、グローバル・プライベートバンキングである。
HSBCグループが預かる総資産額は、全世界で4番目に大きい(中国工商銀行,中国建設銀行,中国農業銀行に次ぐ)。
HSBCは2008年度に、米経済誌フォーブスの世界有力企業2000社番付で1位を獲得。米国系以外の企業が
この調査で首位になったのは2004年にこの番付が開始されて以来、初めてである。
麻薬取引による不正利得を資金洗浄していたことが2012年7月に報告された。2015年にはスイスリークス事件により、
顧客の租税回避を補助していたとしてスキャンダルとなり、別件で貴金属取引における価格カルテルの疑いにより多くのメガバンクと共に捜査された。
さらに同年、やはりメガバンクと共に為替相場の不正操作をめぐる民事訴訟を提起されている。関係性が疑われているメガバンクの内訳は、
JPモルガン・チェースを初めとする世界勢力であり、FRB から揃ってベイルアウトを受けるほどの規模である。
日本とも取引が多い企業群で、一部は日本国債の流動化にも関わった。
全世界の店舗数は2006年末で1万店舗を超えており、時価総額では上位のシティグループの約5千店舗の
2倍近くの拠点数を誇る状態である。しかし、2015年6月、リストラの一環として、最大5万人の人員を削減する方針を明らかにした[4]。
HSBCはサブプライム問題の深刻化を世界の金融業界の中でも「最も早い」と言えるレベルで分析予想をしており、
2006年度の決算で日本円で1兆円以上の損失引当金を北米子会社のために用意していた。
そのため、2007年上期の業績は業界の予想を上回る前年度比約25%の増益で、自らの上期過去最高益を更新した。
*写真は、HSBC、旧香港上海銀行上海支店ビル
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