でれでれ草さん、のブログに、再検証として、「カッコー企画」として久々に、佐伯晋とおぼしき人物の一連の写真と、参照動画があったので、熟考の末、私は確定を打ちたいと思います。尚、でれでれ草さん自身は、未だ判断を保留しています。
動物園の柵の前にたたずむ美智子と、ナル、嬉しさを隠せない佐伯晋、「全く不自然さを感じない親子三人」です。
特に、佐伯と美智子の絶妙の距離感、「全てを許しあった、男女の雰囲気を超えて、初めての子供を授かった祝福感あふれる夫婦」のようです。
この頃から、ナルは全く、今上陛下に似ていません。美智子にも似ていません。ほとんど、この写真の佐伯のコピーです。
佐伯も、自分の種だという事は、顔を見ればわかるので、幸福感を隠せないようです。
私は、彼女が、最初に、この動物園の写真を見つけたときに、直感で、この男に間違いないと確信していました。ただ、彼女がまだ一生懸命に、写真を探していたので、余計な口は挟まないでいました。
そこに、乱れ飛ぶように、飛び込んできたのが「動物園の園長説」です(笑)私は内心笑いながら、経緯を見守っていました。何枚かの「園長」と称する写真が彼女のもとに飛び込んできました。
★「園長説」を執拗に主張する輩は、明らかに工作員です。
私が、確定を打つ根拠は
①この写真の男が、いわゆる「ブン屋(新聞記者に対する蔑称)」臭をプンプンと発するオーラを持っていること。ストレートに言うと「アクの強さ」です。何故かと言うと、新聞記者と言うのは、スクープを取ってなんぼの商売で、それ
で、出世も決まります。また、社会部記者の佐伯にとっては、皇太子妃と徳仁と言う、朝日新聞購読層の喜ぶ「取材対象」を独占的に囲い込んでいることが、自分の評価をあげ、出世にもつながります。
ある意味、狩猟民族的であり、「肉食」的な職業です。「ガツガツした獲物を狙う職業気質」です。それのほぼ対極にあるのが、有名動物園の園長さんです。彼らは生物学者であり基本「理系の人間」です。ガツガツした出世欲や利権と
は無縁の人々です。純粋に「動物が好きなんだよ」と言う人々です。
ですから、でれでれ草さんのブログの「お猿の電車」の動画を見ると、良くわかります。美智子の真後ろに座っているのが園長でしょう。向かって右の男性です。まったく「アク」が有りません。屈託のない笑顔です。
その反対に、ナルの後ろの向かって左側の男、横柄な佇まいと不敵な笑み、「釣り目」がナルにそっくりの朝鮮顔です。張本勲から暴力性を抜いて、知的にした感じ(笑)
佐伯晋とは、恐らく「通名」でしょう。何も、「通名」は金本や、金山、ばかりとは限りません。良く考えて、さも日本古来の地名から名前を取る在日は結構います。ちなみに、佐伯と言う地名は広島県と大分県に有りますが、
彼は、当然、どちらとも関係ないでしょう。朝日新聞と言う会社は、社内にうようよと在日朝鮮人の記者を抱えています。有名どころでは、朝日ジャーナル編集長からニュースキャスターになった筑紫哲也(朴三寿)南京大虐殺を捏造し
た本多勝一(上智大学名誉教授、渡部昇一氏の調査)帰化朝鮮人も多いし、韓国名のまま記事を書いている記者もいます。
その中に、佐伯晋君が一匹ぐらい、紛れ込んでいても何の不思議もありません。朝鮮人が多いだけに当然、報道姿勢は反日媚韓になります。
後は、彼女のブログのコメ欄に有りましたが、独特の腕章、これは、朝日や読売など大新聞の記者に独特のものです。どういう意味で付けていたかは詳しくは知りませんが、彼ら特に朝日は独特のエリート意識でしょう。
あの、腕章をつけて、高級な社用車に載って、社旗(旭日旗)を掲げて、威張って乗り込んでいくのです。
★動物園の園長さんが腕章をすることはないし、する必然性は全くないと思います。
②「カバにまたがる男」の写真、
★工作員による、悪質な「印象操作写真」です。今回私が確定を打った佐伯の写真を、どうしても園長にこじつけようとする、首を挿げ替えた写真です。
しかも、この男は、頭髪に「緩い天然パーマ」がかかっているし、目も普通に大きく、釣り目ではありません。単なる「下駄顔」です(笑)
兎に角、動物園の佐伯に似た男の顔写真を探しまくって、首を挿げ替えたのでしょう。ご苦労なことです(笑)後で、詳しく説明しますが、唯一、消し忘れた佐伯の本当の顔の写真は、この一枚しか残っていないと思うからです。
写真の説明に「当社社会部記者、佐伯晋」と言うクレジット(署名)が無いのでばれないと思ったのでしょう(笑)
≪実は今回が初めてではない美智子托卵疑惑≫
今から、50年前にも【美智子托卵疑惑】が有ったんです。昭和40年代前半、私が小学校低学年の頃、「皇室アルバム」と言う番組が有りました。亡くなった母がそれを見ながら、怪訝な顔をしながらつぶやいていました。
「似てないわ~似てないわ~」私が「何が似てないの?」と聞くと母は「浩宮=徳仁が皇太子さまに似ていないのよ」と言ったのを覚えています。
ある晩、兄弟で寝ていたところ、眠りが浅くなって目が覚めました。起きると母が父と何か話していました。母は「美智子さんが、浩宮が」と盛んに口角泡を飛ばして喋っていました。父はと言うと、面白そうに笑いながら聞いていまし
た。私が、「何を話してるの?」と聞くと、父は「子供は知らなくていんだ」と言いました。男女のSEXの話ですからね。
それ以来、その時の記憶は私の中では、眠っていました。しかし、今回、色々と調べていくうちに、亡霊のようによみがえってきました。
最初に、この「美智子 托卵」の記事を書いたきっかけは、コメント欄に、私の母と同年代、昭和6年生まれ前後の戦中派と思われる女性の書き込み「あの人に似てるのよ、ほら、「浩宮番」だった朝日の記者にそっくりなのよ」がヒン
トでした。
「BBの覚醒記録」様が、記事にしているように、「ミッチーブーム」とは、労働者大衆と社会党が大賛成して、起こしたブームでした。社会党は戦後政権も取り(片山内閣)、今の民主党より力が有りました。
逆に、自民党の福岡選出の某議員は国会で追及しています。「25回も見合いしても実らず、現在、波多野某という男性と婚約中の女性が果たして皇太子妃としてふさわしいのか」と。
ここでいう波多野某とは、前学習院院長の、波多野敬雄と言う「学習院を朝鮮学校化」した外務省出身で小和田の子分ではありません。波多野は「美智子さんと見合いした」と言ってるんです。婚約したとは言ってないんです。
三島の様に美智子を断った人の一人ですよ。国会で、「皇太子妃最有力候補」に強い疑問を呈した勇敢な議員は、後に「不審死」しています。
★アメリカが殺したという人もいますが、私は、母の正田富美が、愛人の部落ヤクザ堤康次郎の配下を使って、見せしめとして始末したのだと思います。
美智子を廃妃しようとした昭和天皇を電話で恫喝して、阻止したような「朝鮮女ヤクザ」です。十分やりかねないと思います。
話しはだいぶそれましたが、「ミッチーブーム」と言うのは当時売れ始めたテレビ受像機とマスゴミ(朝日新聞、NHK等)の作り出した幻影であり、左翼ではない保守の知識層、一定以上の家柄でちゃんと教育を受けた家庭の主婦やお
ばあちゃんクラスの女性は、女性特有の感で、「いかがわしいフェイクの令嬢」だと思っていたと思います。九州の最南端の中産階級でもそうなんですから、私が、大学時代に下宿した旧家の様に、東京23区内の昔から続く旧家の昭和
一桁生まれの、戦中派の奥様方は、昭和天皇の初孫として生まれた男児が、どう見ても皇族の顔ではなく、特に父である皇太子に全く似ずに、「浩宮番」の朝日の記者に瓜二つという事は、一目瞭然でしたから、特に人口の多い東京では
「人の口に戸は建てられなかった」はずです。
当時、スキャンダル雑誌の「噂の真相」が有れば、絶対に暴露していたでしょう。
丁度、この動物園の「家族写真」の頃から、母の正田富美と朝日新聞は「まずい」と思い出したんでしょう。富美の圧力で、朝日は、佐伯に整形手術を命じて、新入社員の頃からの佐伯の写真を全て社内にあるものは抹消したのだと思い
ます。
実は、私は昨年末に、東京の朝日新聞本社に電話して、率直に確認しています。「今上陛下ご成婚の頃と皇太子が幼少の頃の古いアサヒグラフが有れば譲ってほしい、なければ電子データーでもよいから譲ってほしい」と。担当者の男性
は、対応は非常に丁寧だったです。聞くところによるとアサヒグラフはもう絶版になっていて、電子データとして媒体に保存してあるそうです。「浩宮番だった佐伯記者の写真は有りますか?」率直に聞くと、時間をかけて検索してくれ
ました。しばらくして「一件だけありました」とのこと。
写真は、相当昔、何年か忘れましたが、現ソフトバンク監督の、工藤公康が高校時代、愛工大名電が、夏の愛知県大会で優勝したときに、当時名古屋支局長だった佐伯が、首相の工藤に優勝旗を渡すところの写真だそうです。「でも、顔
が写ってませんね~」「何でですか?」「優勝旗が丁度顔に掛かってて見えないんですよ。」「どうも、長いこと有難うございました」
朝日新聞が、如何に「佐伯の顔写真」に神経を使っているのかがわかりました。要は整形前の写真は全て抹消しているのです。恐らく50年前の「美智子 托卵」騒動の時にすべて処理したのだと思います。
ある意味「朝日新聞会社ぐるみの犯行」です。東大しか出世できない朝日で一橋大での彼を専務まで出世させたのも、やめて余計なことをしゃべらせない為だったのだと思います。
それにしても、皇太子妃を寝取っておいて、「避妊」もしないとはいい根性ですし、避妊も求めなかった美智子と言う女も凄い女です。日本の女性の倫理観とは違いますね。
ネットで検索すると、有名な写真が出てきます。美智子がナルを出産して、病院から車で退院するときの写真です。ナルを抱いて、車の窓を開けて、白狐のような顔で微笑む不気味な写真です。
写真を撮ったのは、佐伯で、美智子は佐伯に対して微笑んだのでしょう。それと対照的な隣の牧野女官長の厳しい表情とまなざし、この時牧野女史は、「寒いのに窓を閉めなさい」と注意したそうですが、私には女官長の目がナルを凝視
しているように見えます。この時すでに「皇太子に似ていない」と直感したのではないでしょうか?これは、私の推測です。
気の毒に牧野女官長と言う人は、正田富美の女性誌(特に女性自身、別名、「美智子自身」)への工作や、朝日の印象操作により、【美智子妃苛めの虚構】が世間に流布され、その中心人物に仕立て上げられてしまいました。
最後は、香淳皇后の力を削ぎたい、入江侍従長が美智子と結託して、有ることない事昭和天皇に告げ口して、宮中から、追い出してしまいました。常磐会の推薦で当時の東宮女官長として送り込まれた彼女は、強い使命感と責任感で
美智子に厳しく臨んだと思います。あの勝気な美智子がへこんだぐらいですから、教育者として厳しい方だったんだろうと思います。「適性の無い女を将来の立派な皇后にする」為に誠心誠意、指導したのですが、「悪役に仕立てられ」
て、社会的に抹殺されてしまいました。牧野女史も三流女性誌と朝日新聞の気の毒な犠牲者です。
侍従長の入江相政(すけまさ)は、公家特有の陰湿な側近でした。美智子と男女の仲だったことも、皇宮警察などで根強い噂として語り継がれていますが私は、事実だったと思います。
この噂は「反秋篠宮派」から、うまく利用され、「秋篠宮を貶めるときに入江実父説」として必ず浮上します。しかし、殿下と入江は似ても似つかないし、美智子はナル出産後は、胞状奇胎で流産し、「妊娠不能」になっています。
その後、入江と美智子は、香淳皇后の影響力を削ぐのに二人三脚の関係になります。有名な香淳皇后の側近の「今城(いまき)女官長追放事件」と言うのが有ります。これも、入江と美智子が組んで策謀したものです。
もし、機会が有れば記事にしてみたいと思っています。今城(いまき)女官長は、入江に「魔女」と言う烙印を押されて追放されました。しかし、現在の研究では、「冤罪(えんざい)」だったという評価が支配的です。
昭和時代、皇室で、美智子が権力を握っていく過程で、多くの支援者がいました。母の富美、入江、三流女性誌(皇室ネタを扱わなかった明星は廃刊しました)、朝日新聞です。
その入江も昭和60年、80歳を期に9月30日で、退職を決めました。ところが2日前の9月28日に突然急死します。私はこれも不審死だと思います。
未だ、「朝鮮女ヤクザ」の母の富美が健在です。正田富美は、小和田恒と同じように、娘が不適切な関係を持った男を丁寧に消して行く、恐ろしい習性を持っています。
引退後の入江が、娘との親密な関係を、ぽろっと漏らすのを恐れたのでしょう。
研究のために、Amazonで、「ゴミ価格」の1円になっていた「入江相政」日記を美智子入内以来の、昭和33年から、6巻購入しましたが、取り寄せて、歴史研究の史料価値が全くないことがわかり、腹が立ちました。
古来から、天皇側近の日記は、将来、他人に見られることを前提に書きます。天皇側近に限らず大久保利通や有名政治家の日記もそうです。従って、先ず自分に都合の悪いことは書きません。更に驚いたのは、日記の監修を実の息子の為
年が監修しています。利害関係のない、公正な第三者、例えば、東大の歴史学の教授などが監修するなら信用できますけど、利害関係ありありの倅の監修ですからね(笑)親爺にとって不都合な記述は先ずその段階で削除しています。
そして、出版社が朝日新聞社と言うのにも驚きました。入内以来一貫して美智子を擁護してきた入江の日記を朝日が出版。朝日新聞と言うのは、御妃候補以来の美智子のサポーターで、皇室を美智子中心に取材することで、莫大な利益を
あげてきました。美智子はキリスト教左翼で「反安倍」です。朝日も「反日」かつ「反安倍」です。
昭和天皇が没して、平成になって以来、三流女性誌「美智子自身」ともども、朝日は「香淳皇后バッシング」を主導しました。
朝日新聞は正確には「ちょうにちしんぶん」と読むそうです。朝鮮日報の日本版ですね。母から朝鮮人の血をひき、皇室の血を一滴も受けていない徳仁が即位したら、「朝鮮人の宿願」の達成です。
佐伯の写真も確定したし、後はDNA鑑定を実施するだけで、「朝鮮人による日本乗っ取り計画」を阻止できます。皆さん、根気よく官邸メールを続けましょう。
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鑑定の御相談は下記メアドまでご連絡ください。 尚、携帯電話からメールする人は必ずドメイン設定を解除してください。
harunohi807@gmail.com
動物園の柵の前にたたずむ美智子と、ナル、嬉しさを隠せない佐伯晋、「全く不自然さを感じない親子三人」です。
特に、佐伯と美智子の絶妙の距離感、「全てを許しあった、男女の雰囲気を超えて、初めての子供を授かった祝福感あふれる夫婦」のようです。
この頃から、ナルは全く、今上陛下に似ていません。美智子にも似ていません。ほとんど、この写真の佐伯のコピーです。
佐伯も、自分の種だという事は、顔を見ればわかるので、幸福感を隠せないようです。
私は、彼女が、最初に、この動物園の写真を見つけたときに、直感で、この男に間違いないと確信していました。ただ、彼女がまだ一生懸命に、写真を探していたので、余計な口は挟まないでいました。
そこに、乱れ飛ぶように、飛び込んできたのが「動物園の園長説」です(笑)私は内心笑いながら、経緯を見守っていました。何枚かの「園長」と称する写真が彼女のもとに飛び込んできました。
★「園長説」を執拗に主張する輩は、明らかに工作員です。
私が、確定を打つ根拠は
①この写真の男が、いわゆる「ブン屋(新聞記者に対する蔑称)」臭をプンプンと発するオーラを持っていること。ストレートに言うと「アクの強さ」です。何故かと言うと、新聞記者と言うのは、スクープを取ってなんぼの商売で、それ
で、出世も決まります。また、社会部記者の佐伯にとっては、皇太子妃と徳仁と言う、朝日新聞購読層の喜ぶ「取材対象」を独占的に囲い込んでいることが、自分の評価をあげ、出世にもつながります。
ある意味、狩猟民族的であり、「肉食」的な職業です。「ガツガツした獲物を狙う職業気質」です。それのほぼ対極にあるのが、有名動物園の園長さんです。彼らは生物学者であり基本「理系の人間」です。ガツガツした出世欲や利権と
は無縁の人々です。純粋に「動物が好きなんだよ」と言う人々です。
ですから、でれでれ草さんのブログの「お猿の電車」の動画を見ると、良くわかります。美智子の真後ろに座っているのが園長でしょう。向かって右の男性です。まったく「アク」が有りません。屈託のない笑顔です。
その反対に、ナルの後ろの向かって左側の男、横柄な佇まいと不敵な笑み、「釣り目」がナルにそっくりの朝鮮顔です。張本勲から暴力性を抜いて、知的にした感じ(笑)
佐伯晋とは、恐らく「通名」でしょう。何も、「通名」は金本や、金山、ばかりとは限りません。良く考えて、さも日本古来の地名から名前を取る在日は結構います。ちなみに、佐伯と言う地名は広島県と大分県に有りますが、
彼は、当然、どちらとも関係ないでしょう。朝日新聞と言う会社は、社内にうようよと在日朝鮮人の記者を抱えています。有名どころでは、朝日ジャーナル編集長からニュースキャスターになった筑紫哲也(朴三寿)南京大虐殺を捏造し
た本多勝一(上智大学名誉教授、渡部昇一氏の調査)帰化朝鮮人も多いし、韓国名のまま記事を書いている記者もいます。
その中に、佐伯晋君が一匹ぐらい、紛れ込んでいても何の不思議もありません。朝鮮人が多いだけに当然、報道姿勢は反日媚韓になります。
後は、彼女のブログのコメ欄に有りましたが、独特の腕章、これは、朝日や読売など大新聞の記者に独特のものです。どういう意味で付けていたかは詳しくは知りませんが、彼ら特に朝日は独特のエリート意識でしょう。
あの、腕章をつけて、高級な社用車に載って、社旗(旭日旗)を掲げて、威張って乗り込んでいくのです。
★動物園の園長さんが腕章をすることはないし、する必然性は全くないと思います。
②「カバにまたがる男」の写真、
★工作員による、悪質な「印象操作写真」です。今回私が確定を打った佐伯の写真を、どうしても園長にこじつけようとする、首を挿げ替えた写真です。
しかも、この男は、頭髪に「緩い天然パーマ」がかかっているし、目も普通に大きく、釣り目ではありません。単なる「下駄顔」です(笑)
兎に角、動物園の佐伯に似た男の顔写真を探しまくって、首を挿げ替えたのでしょう。ご苦労なことです(笑)後で、詳しく説明しますが、唯一、消し忘れた佐伯の本当の顔の写真は、この一枚しか残っていないと思うからです。
写真の説明に「当社社会部記者、佐伯晋」と言うクレジット(署名)が無いのでばれないと思ったのでしょう(笑)
≪実は今回が初めてではない美智子托卵疑惑≫
今から、50年前にも【美智子托卵疑惑】が有ったんです。昭和40年代前半、私が小学校低学年の頃、「皇室アルバム」と言う番組が有りました。亡くなった母がそれを見ながら、怪訝な顔をしながらつぶやいていました。
「似てないわ~似てないわ~」私が「何が似てないの?」と聞くと母は「浩宮=徳仁が皇太子さまに似ていないのよ」と言ったのを覚えています。
ある晩、兄弟で寝ていたところ、眠りが浅くなって目が覚めました。起きると母が父と何か話していました。母は「美智子さんが、浩宮が」と盛んに口角泡を飛ばして喋っていました。父はと言うと、面白そうに笑いながら聞いていまし
た。私が、「何を話してるの?」と聞くと、父は「子供は知らなくていんだ」と言いました。男女のSEXの話ですからね。
それ以来、その時の記憶は私の中では、眠っていました。しかし、今回、色々と調べていくうちに、亡霊のようによみがえってきました。
最初に、この「美智子 托卵」の記事を書いたきっかけは、コメント欄に、私の母と同年代、昭和6年生まれ前後の戦中派と思われる女性の書き込み「あの人に似てるのよ、ほら、「浩宮番」だった朝日の記者にそっくりなのよ」がヒン
トでした。
「BBの覚醒記録」様が、記事にしているように、「ミッチーブーム」とは、労働者大衆と社会党が大賛成して、起こしたブームでした。社会党は戦後政権も取り(片山内閣)、今の民主党より力が有りました。
逆に、自民党の福岡選出の某議員は国会で追及しています。「25回も見合いしても実らず、現在、波多野某という男性と婚約中の女性が果たして皇太子妃としてふさわしいのか」と。
ここでいう波多野某とは、前学習院院長の、波多野敬雄と言う「学習院を朝鮮学校化」した外務省出身で小和田の子分ではありません。波多野は「美智子さんと見合いした」と言ってるんです。婚約したとは言ってないんです。
三島の様に美智子を断った人の一人ですよ。国会で、「皇太子妃最有力候補」に強い疑問を呈した勇敢な議員は、後に「不審死」しています。
★アメリカが殺したという人もいますが、私は、母の正田富美が、愛人の部落ヤクザ堤康次郎の配下を使って、見せしめとして始末したのだと思います。
美智子を廃妃しようとした昭和天皇を電話で恫喝して、阻止したような「朝鮮女ヤクザ」です。十分やりかねないと思います。
話しはだいぶそれましたが、「ミッチーブーム」と言うのは当時売れ始めたテレビ受像機とマスゴミ(朝日新聞、NHK等)の作り出した幻影であり、左翼ではない保守の知識層、一定以上の家柄でちゃんと教育を受けた家庭の主婦やお
ばあちゃんクラスの女性は、女性特有の感で、「いかがわしいフェイクの令嬢」だと思っていたと思います。九州の最南端の中産階級でもそうなんですから、私が、大学時代に下宿した旧家の様に、東京23区内の昔から続く旧家の昭和
一桁生まれの、戦中派の奥様方は、昭和天皇の初孫として生まれた男児が、どう見ても皇族の顔ではなく、特に父である皇太子に全く似ずに、「浩宮番」の朝日の記者に瓜二つという事は、一目瞭然でしたから、特に人口の多い東京では
「人の口に戸は建てられなかった」はずです。
当時、スキャンダル雑誌の「噂の真相」が有れば、絶対に暴露していたでしょう。
丁度、この動物園の「家族写真」の頃から、母の正田富美と朝日新聞は「まずい」と思い出したんでしょう。富美の圧力で、朝日は、佐伯に整形手術を命じて、新入社員の頃からの佐伯の写真を全て社内にあるものは抹消したのだと思い
ます。
実は、私は昨年末に、東京の朝日新聞本社に電話して、率直に確認しています。「今上陛下ご成婚の頃と皇太子が幼少の頃の古いアサヒグラフが有れば譲ってほしい、なければ電子データーでもよいから譲ってほしい」と。担当者の男性
は、対応は非常に丁寧だったです。聞くところによるとアサヒグラフはもう絶版になっていて、電子データとして媒体に保存してあるそうです。「浩宮番だった佐伯記者の写真は有りますか?」率直に聞くと、時間をかけて検索してくれ
ました。しばらくして「一件だけありました」とのこと。
写真は、相当昔、何年か忘れましたが、現ソフトバンク監督の、工藤公康が高校時代、愛工大名電が、夏の愛知県大会で優勝したときに、当時名古屋支局長だった佐伯が、首相の工藤に優勝旗を渡すところの写真だそうです。「でも、顔
が写ってませんね~」「何でですか?」「優勝旗が丁度顔に掛かってて見えないんですよ。」「どうも、長いこと有難うございました」
朝日新聞が、如何に「佐伯の顔写真」に神経を使っているのかがわかりました。要は整形前の写真は全て抹消しているのです。恐らく50年前の「美智子 托卵」騒動の時にすべて処理したのだと思います。
ある意味「朝日新聞会社ぐるみの犯行」です。東大しか出世できない朝日で一橋大での彼を専務まで出世させたのも、やめて余計なことをしゃべらせない為だったのだと思います。
それにしても、皇太子妃を寝取っておいて、「避妊」もしないとはいい根性ですし、避妊も求めなかった美智子と言う女も凄い女です。日本の女性の倫理観とは違いますね。
ネットで検索すると、有名な写真が出てきます。美智子がナルを出産して、病院から車で退院するときの写真です。ナルを抱いて、車の窓を開けて、白狐のような顔で微笑む不気味な写真です。
写真を撮ったのは、佐伯で、美智子は佐伯に対して微笑んだのでしょう。それと対照的な隣の牧野女官長の厳しい表情とまなざし、この時牧野女史は、「寒いのに窓を閉めなさい」と注意したそうですが、私には女官長の目がナルを凝視
しているように見えます。この時すでに「皇太子に似ていない」と直感したのではないでしょうか?これは、私の推測です。
気の毒に牧野女官長と言う人は、正田富美の女性誌(特に女性自身、別名、「美智子自身」)への工作や、朝日の印象操作により、【美智子妃苛めの虚構】が世間に流布され、その中心人物に仕立て上げられてしまいました。
最後は、香淳皇后の力を削ぎたい、入江侍従長が美智子と結託して、有ることない事昭和天皇に告げ口して、宮中から、追い出してしまいました。常磐会の推薦で当時の東宮女官長として送り込まれた彼女は、強い使命感と責任感で
美智子に厳しく臨んだと思います。あの勝気な美智子がへこんだぐらいですから、教育者として厳しい方だったんだろうと思います。「適性の無い女を将来の立派な皇后にする」為に誠心誠意、指導したのですが、「悪役に仕立てられ」
て、社会的に抹殺されてしまいました。牧野女史も三流女性誌と朝日新聞の気の毒な犠牲者です。
侍従長の入江相政(すけまさ)は、公家特有の陰湿な側近でした。美智子と男女の仲だったことも、皇宮警察などで根強い噂として語り継がれていますが私は、事実だったと思います。
この噂は「反秋篠宮派」から、うまく利用され、「秋篠宮を貶めるときに入江実父説」として必ず浮上します。しかし、殿下と入江は似ても似つかないし、美智子はナル出産後は、胞状奇胎で流産し、「妊娠不能」になっています。
その後、入江と美智子は、香淳皇后の影響力を削ぐのに二人三脚の関係になります。有名な香淳皇后の側近の「今城(いまき)女官長追放事件」と言うのが有ります。これも、入江と美智子が組んで策謀したものです。
もし、機会が有れば記事にしてみたいと思っています。今城(いまき)女官長は、入江に「魔女」と言う烙印を押されて追放されました。しかし、現在の研究では、「冤罪(えんざい)」だったという評価が支配的です。
昭和時代、皇室で、美智子が権力を握っていく過程で、多くの支援者がいました。母の富美、入江、三流女性誌(皇室ネタを扱わなかった明星は廃刊しました)、朝日新聞です。
その入江も昭和60年、80歳を期に9月30日で、退職を決めました。ところが2日前の9月28日に突然急死します。私はこれも不審死だと思います。
未だ、「朝鮮女ヤクザ」の母の富美が健在です。正田富美は、小和田恒と同じように、娘が不適切な関係を持った男を丁寧に消して行く、恐ろしい習性を持っています。
引退後の入江が、娘との親密な関係を、ぽろっと漏らすのを恐れたのでしょう。
研究のために、Amazonで、「ゴミ価格」の1円になっていた「入江相政」日記を美智子入内以来の、昭和33年から、6巻購入しましたが、取り寄せて、歴史研究の史料価値が全くないことがわかり、腹が立ちました。
古来から、天皇側近の日記は、将来、他人に見られることを前提に書きます。天皇側近に限らず大久保利通や有名政治家の日記もそうです。従って、先ず自分に都合の悪いことは書きません。更に驚いたのは、日記の監修を実の息子の為
年が監修しています。利害関係のない、公正な第三者、例えば、東大の歴史学の教授などが監修するなら信用できますけど、利害関係ありありの倅の監修ですからね(笑)親爺にとって不都合な記述は先ずその段階で削除しています。
そして、出版社が朝日新聞社と言うのにも驚きました。入内以来一貫して美智子を擁護してきた入江の日記を朝日が出版。朝日新聞と言うのは、御妃候補以来の美智子のサポーターで、皇室を美智子中心に取材することで、莫大な利益を
あげてきました。美智子はキリスト教左翼で「反安倍」です。朝日も「反日」かつ「反安倍」です。
昭和天皇が没して、平成になって以来、三流女性誌「美智子自身」ともども、朝日は「香淳皇后バッシング」を主導しました。
朝日新聞は正確には「ちょうにちしんぶん」と読むそうです。朝鮮日報の日本版ですね。母から朝鮮人の血をひき、皇室の血を一滴も受けていない徳仁が即位したら、「朝鮮人の宿願」の達成です。
佐伯の写真も確定したし、後はDNA鑑定を実施するだけで、「朝鮮人による日本乗っ取り計画」を阻止できます。皆さん、根気よく官邸メールを続けましょう。
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