最近、コメント数が急激に増えて、時間の関係で、全部に目を通すことができない読者様も多いでしょう。私は全部目を通し、日にちはずれても必ずお返事するように心がけています。
中にはお返事したご褒美に、素晴らしい情報提供を、プレゼントしてくれる方がいます。「珠玉の財宝」です。今日はその見落としている方のために、その一例を記事化しました。
提供者はH/N;新老人様です。美智子は提灯本「皇后の真実」で三島との見合いは嘘だった。とお抱えライターに書かせています。60年近くたったら誰も覚えていないはずと言う目論見と【托卵説】を必死で消したいのでしょう。
ところがどっこい、三島に直接確認した人で、存命中の人や、記録に残している人が大勢います。週刊誌の過去記事に残っている証言もあります。それを打ち消そうとするのは「老婆の浅知恵」で嘘の上塗りです。
小学校4年の時の11月の半ば、寒い日でした。昼休みに担任の先生が動揺していました。「どうしたんですか?」ときくと「三島由紀夫が自決した」と言いました。その日の大ニュースで、家に帰ると、ニュースで自衛隊市ヶ谷の駐屯地で、自衛隊員に決起を促す
三島の悲壮なポーズが何度も繰り返し流れます。当時は何を叫んでいるのか、わかりませんでした。祖父に「この人どういう人、なんて言ってるの?」と聞くと要するに凄い作家だと言い、最後に「惜しい男じゃった」と涙ぐんだのを覚えています。
当時1970年は、高度成長期で、物質的にはどんどん豊かになっていきました。父の給料も毎年コンスタントに上昇していたのを覚えています。しかし、一方で、戦前から日本の背骨を形成してきた、重要なものが気が付かないうちに、どんどん消えていきまし
た。「家族制度」「愛国心」など多数です。「美しい日本が失われ、アメリカの属国に甘んじている」のが、華族出身の三島には許せなかったのだと思います。残念ながら決起は45年早かったのでしょう。
三島はあのような行動に出なければ、数年後には確実にノーベル文学賞を取っていたでしょう。2年前の川端康成の時も、本命は三島だったと聞いています。
三島を突き動かしたものは「華族としてのノブレスオブリージュ(高貴なものの義務)です。俗世の栄誉をすてても「決起」の方が重要だったのでしょう。たとえ、命を捨てても。
「華族制度」と言うのは、戦後の自虐史観教育で「軍国主義を支えた悪しき制度」と日教組教育で、洗脳されましたが、【皇室の藩屏(はんぺい)】と呼ばれ、天皇家に、【下賤の血】が入るのを防ぐ、堅牢な城壁でした。
今でも学習院の常磐会では、「身を捨てて仁をなす」と言うそうです。それを平成になって果たそうとしたのが、小和田雅子入内の時、宮内庁と常磐会の最後の切り札として、競り合い、輿入れの準備までしていた久邇晃子さんです。
御妃候補と言われた女性たちが、何故か結婚を急ぎ、留学で海外に逃げていく中で、最後に残ったのが久邇さんです。残ったというよりは、【常磐会の命令は絶対】だそうです。
本人は、正直言って嫌だったそうです。ナルに男性としての魅力を感じる女性はまともな人ではいないと思います。女性は優秀で、ハンサムで、生活力が有り、身体能力の高い男のDNAを本能的に、残したがると思います。
ナルは男から見ても、そのすべてがかけている。特殊学級が妥当なレベルで、母親の評判はどこでも最悪と来ています。それでも久邇さんは「身を捨てて仁をなそう」と努力します。
学習院の先輩から、ナルの知能の低さは十分すぎるほど聞いていたと思います。我慢してあのナルと12回もデートしたそうです。しかし、昭和の時代から雅子と密会していたナルは、心は部落&朝鮮娘にしかありませんでした。
12回もデートして返事をもらえない久邇さんの屈辱は想像に余りあります。しかも相手は健常者と言えるか微妙な男なのです。それでも、常磐会は久邇さんに最後まで頑張るように指示します。
それは、正田美智子入内で懲りていたからです。「あの悪夢を繰り返したくない」当時、昭和帝没後、美智子の香淳皇后虐待と、女官苛めが最悪の状態となっていました。未だ正常だった女子週刊誌に載ったほどです。
覚悟を決めて、自宅で輿入れの準備をしていた久邇さんを襲ったのが、「ナルの緊急婚約記者会見」です。高円宮邸に身を書くし、タレントの様に車に乗り込み記者会見場まで車を運転したのは、雅子の母、優美子でした。
外国メディアのリークで、婚約が成立したのでした。その時外国メディアが一斉に報じたのは「日本で最も古い家に、江戸時代の最下層の家の娘が嫁いだ」と言うヘッドラインです。
では、何故、正田美智子の時は、そういう報道がされなかったのでしょうか?答えは、簡単です。【美智子入内はアメリカの国策=皇室を根っこから腐らせること】だったからです。
英国メディアは、美智子の出自を知りながら、敢えて同じ報道をしませんでした。それは、大戦後、覇権国の座から滑り落ち、アメリカを怒らせたくなかったからです。
★emmperor Akihito and michiko syouda【正田美智子は妾】の呼称の意味と妥当性について、外務省儀典室イギリス科に問い合わせてみました。担当のキャリア官僚は、その事実は知らなかったとしながらも「少なくとも正妻と言う意味ではない」と回答し、
根拠について聞くと「英国王室の独自の判断です」という事で、「こちらから抗議することは無い」という事でした。Masako Owada も同じだそうです。
★要するに「英国王室とエリザベス女王」は美智子について【奈良時代から続く犯罪者の子孫=部落民】とMI6の綿密な調査の結果、判断したのです。
★小泉信三の家系調査は、杜撰なもので、多くの秘密を隠蔽したものでした。クリスチャンで、GHQの工作員ですからね。この時、小泉の片腕として動いた黒木従達東宮侍従は、1984年(昭和59年)勤務時間中の昼休みに、職場を抜け出し、新宿のソープラ
ンドで腹上死しました。勤務怠慢の上の変死です。美智子入内の裏の裏まで知りすぎていた男、アメリカのCIA(GHQ、OSSの後継組織)との関係も否定できません。私は消された可能性が有るとみています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
伏見様
早々の御返事ありがとうございます。やはり今上の覚悟には期待できないようですね。
皇后が腕をつかまえて操縦している様は実に哀れです。
ただ皇后がどんな策略を企てたとしても皇統の「大御心」が東宮や愛子ちゃんの即位などを許すわけがありません。
おい美智子!日本の神様をなめるんじゃねえぞ!今の皇居に向かって叫びたい気持ちです。
すだち様のコメントで思い出したことがありましたので、
>元楯の会メンバー 村上健夫
川戸さんがニコニコ笑いながら、三島さんにとんでもないことを言い掛けました。
「『春の雪』を描いたのは妃殿下にフラれた腹いせって説もありますよ」
三島はこの質問に下を向きます。口をゆがめて黙ります。
「先生、見合いしたんですよね」
「正式のものではない。歌舞伎座で偶然隣り合わせになる形だ」
「先生、断ったの?断られたの?」
「君たちも知っているように、あそこのお母さんはああいう人だから」
三島はいつもの元気はどこへやら、がっくりと肩を落とし頭を垂れて、本当につらそうです。
「あそこのお母さん」が「ああいう人」なことなどメンバーは一人も知るはずがないのに、
「君たちも知っているように」とはおかしな枕詞です。
「殿下や妃殿下に会うことあるんでしょう?」
「子供のことで学校に行った時に、
このままではいけないと思って声をかけようとして近づいても
『あっ、また』とか言って向こうに行ってしまわれる。逃げるのが上手だよ」
と、半分感心するように、今半分は嘆くように語尾を下げて言います。
h ttp://vmugiv.exblog.jp/page/15/
>君たちも知っているように、あそこのお母さんはああいう人だから
すだち様のコメントにもあるように、「ご実家の家柄」に関わることだと思います。
三島氏が口をゆがめて黙ったのは、誤解されていることへの苛立ちだったのではないでしょうか。
*写真は久邇晃子さん(当時)向かって一番右側
← この記事に興味をもたれた方はクリックお願い致します!!!
【一般読者様へ】
鑑定の御相談は下記メアドまでご連絡ください。 尚、携帯電話からメールする人は必ずドメイン設定を解除してください。
harunohi807@gmail.com
中にはお返事したご褒美に、素晴らしい情報提供を、プレゼントしてくれる方がいます。「珠玉の財宝」です。今日はその見落としている方のために、その一例を記事化しました。
提供者はH/N;新老人様です。美智子は提灯本「皇后の真実」で三島との見合いは嘘だった。とお抱えライターに書かせています。60年近くたったら誰も覚えていないはずと言う目論見と【托卵説】を必死で消したいのでしょう。
ところがどっこい、三島に直接確認した人で、存命中の人や、記録に残している人が大勢います。週刊誌の過去記事に残っている証言もあります。それを打ち消そうとするのは「老婆の浅知恵」で嘘の上塗りです。
小学校4年の時の11月の半ば、寒い日でした。昼休みに担任の先生が動揺していました。「どうしたんですか?」ときくと「三島由紀夫が自決した」と言いました。その日の大ニュースで、家に帰ると、ニュースで自衛隊市ヶ谷の駐屯地で、自衛隊員に決起を促す
三島の悲壮なポーズが何度も繰り返し流れます。当時は何を叫んでいるのか、わかりませんでした。祖父に「この人どういう人、なんて言ってるの?」と聞くと要するに凄い作家だと言い、最後に「惜しい男じゃった」と涙ぐんだのを覚えています。
当時1970年は、高度成長期で、物質的にはどんどん豊かになっていきました。父の給料も毎年コンスタントに上昇していたのを覚えています。しかし、一方で、戦前から日本の背骨を形成してきた、重要なものが気が付かないうちに、どんどん消えていきまし
た。「家族制度」「愛国心」など多数です。「美しい日本が失われ、アメリカの属国に甘んじている」のが、華族出身の三島には許せなかったのだと思います。残念ながら決起は45年早かったのでしょう。
三島はあのような行動に出なければ、数年後には確実にノーベル文学賞を取っていたでしょう。2年前の川端康成の時も、本命は三島だったと聞いています。
三島を突き動かしたものは「華族としてのノブレスオブリージュ(高貴なものの義務)です。俗世の栄誉をすてても「決起」の方が重要だったのでしょう。たとえ、命を捨てても。
「華族制度」と言うのは、戦後の自虐史観教育で「軍国主義を支えた悪しき制度」と日教組教育で、洗脳されましたが、【皇室の藩屏(はんぺい)】と呼ばれ、天皇家に、【下賤の血】が入るのを防ぐ、堅牢な城壁でした。
今でも学習院の常磐会では、「身を捨てて仁をなす」と言うそうです。それを平成になって果たそうとしたのが、小和田雅子入内の時、宮内庁と常磐会の最後の切り札として、競り合い、輿入れの準備までしていた久邇晃子さんです。
御妃候補と言われた女性たちが、何故か結婚を急ぎ、留学で海外に逃げていく中で、最後に残ったのが久邇さんです。残ったというよりは、【常磐会の命令は絶対】だそうです。
本人は、正直言って嫌だったそうです。ナルに男性としての魅力を感じる女性はまともな人ではいないと思います。女性は優秀で、ハンサムで、生活力が有り、身体能力の高い男のDNAを本能的に、残したがると思います。
ナルは男から見ても、そのすべてがかけている。特殊学級が妥当なレベルで、母親の評判はどこでも最悪と来ています。それでも久邇さんは「身を捨てて仁をなそう」と努力します。
学習院の先輩から、ナルの知能の低さは十分すぎるほど聞いていたと思います。我慢してあのナルと12回もデートしたそうです。しかし、昭和の時代から雅子と密会していたナルは、心は部落&朝鮮娘にしかありませんでした。
12回もデートして返事をもらえない久邇さんの屈辱は想像に余りあります。しかも相手は健常者と言えるか微妙な男なのです。それでも、常磐会は久邇さんに最後まで頑張るように指示します。
それは、正田美智子入内で懲りていたからです。「あの悪夢を繰り返したくない」当時、昭和帝没後、美智子の香淳皇后虐待と、女官苛めが最悪の状態となっていました。未だ正常だった女子週刊誌に載ったほどです。
覚悟を決めて、自宅で輿入れの準備をしていた久邇さんを襲ったのが、「ナルの緊急婚約記者会見」です。高円宮邸に身を書くし、タレントの様に車に乗り込み記者会見場まで車を運転したのは、雅子の母、優美子でした。
外国メディアのリークで、婚約が成立したのでした。その時外国メディアが一斉に報じたのは「日本で最も古い家に、江戸時代の最下層の家の娘が嫁いだ」と言うヘッドラインです。
では、何故、正田美智子の時は、そういう報道がされなかったのでしょうか?答えは、簡単です。【美智子入内はアメリカの国策=皇室を根っこから腐らせること】だったからです。
英国メディアは、美智子の出自を知りながら、敢えて同じ報道をしませんでした。それは、大戦後、覇権国の座から滑り落ち、アメリカを怒らせたくなかったからです。
★emmperor Akihito and michiko syouda【正田美智子は妾】の呼称の意味と妥当性について、外務省儀典室イギリス科に問い合わせてみました。担当のキャリア官僚は、その事実は知らなかったとしながらも「少なくとも正妻と言う意味ではない」と回答し、
根拠について聞くと「英国王室の独自の判断です」という事で、「こちらから抗議することは無い」という事でした。Masako Owada も同じだそうです。
★要するに「英国王室とエリザベス女王」は美智子について【奈良時代から続く犯罪者の子孫=部落民】とMI6の綿密な調査の結果、判断したのです。
★小泉信三の家系調査は、杜撰なもので、多くの秘密を隠蔽したものでした。クリスチャンで、GHQの工作員ですからね。この時、小泉の片腕として動いた黒木従達東宮侍従は、1984年(昭和59年)勤務時間中の昼休みに、職場を抜け出し、新宿のソープラ
ンドで腹上死しました。勤務怠慢の上の変死です。美智子入内の裏の裏まで知りすぎていた男、アメリカのCIA(GHQ、OSSの後継組織)との関係も否定できません。私は消された可能性が有るとみています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
伏見様
早々の御返事ありがとうございます。やはり今上の覚悟には期待できないようですね。
皇后が腕をつかまえて操縦している様は実に哀れです。
ただ皇后がどんな策略を企てたとしても皇統の「大御心」が東宮や愛子ちゃんの即位などを許すわけがありません。
おい美智子!日本の神様をなめるんじゃねえぞ!今の皇居に向かって叫びたい気持ちです。
すだち様のコメントで思い出したことがありましたので、
>元楯の会メンバー 村上健夫
川戸さんがニコニコ笑いながら、三島さんにとんでもないことを言い掛けました。
「『春の雪』を描いたのは妃殿下にフラれた腹いせって説もありますよ」
三島はこの質問に下を向きます。口をゆがめて黙ります。
「先生、見合いしたんですよね」
「正式のものではない。歌舞伎座で偶然隣り合わせになる形だ」
「先生、断ったの?断られたの?」
「君たちも知っているように、あそこのお母さんはああいう人だから」
三島はいつもの元気はどこへやら、がっくりと肩を落とし頭を垂れて、本当につらそうです。
「あそこのお母さん」が「ああいう人」なことなどメンバーは一人も知るはずがないのに、
「君たちも知っているように」とはおかしな枕詞です。
「殿下や妃殿下に会うことあるんでしょう?」
「子供のことで学校に行った時に、
このままではいけないと思って声をかけようとして近づいても
『あっ、また』とか言って向こうに行ってしまわれる。逃げるのが上手だよ」
と、半分感心するように、今半分は嘆くように語尾を下げて言います。
h ttp://vmugiv.exblog.jp/page/15/
>君たちも知っているように、あそこのお母さんはああいう人だから
すだち様のコメントにもあるように、「ご実家の家柄」に関わることだと思います。
三島氏が口をゆがめて黙ったのは、誤解されていることへの苛立ちだったのではないでしょうか。
*写真は久邇晃子さん(当時)向かって一番右側
← この記事に興味をもたれた方はクリックお願い致します!!!
【一般読者様へ】
鑑定の御相談は下記メアドまでご連絡ください。 尚、携帯電話からメールする人は必ずドメイン設定を解除してください。
harunohi807@gmail.com