コメ欄に貴重な情報を頂きました。恐怖さえ覚える驚愕の無いようです。しかし、私はこの情報を検証してみましょう。
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(さぽ)
今回の記事、諸外国での美智子皇后の称号について他ブログにも指摘があり、改めて本当なのだなとショックを受けました。
同時に気になり色々と検索いたしましたところ、鬼女のブログで以下のコメントを発見しました。
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「昭和天皇が美智子の隣で突然倒れ、①入院している隙に宮内庁長官と侍従長を 国事行為代行の夫(当時皇太子、現今上)に更迭させた。
手足をもがれた昭和天皇は翌年再び入院。そのまま崩御。
②昭和末期は昭和天皇と美智子の一騎打ちだったのだな。
③昭和60年ごろ昭和天皇は美智子を廃妃しようとしていた。
④シナ人美智子母が女性誌を通じて脅しをかけ それはそのまま流れた。
だが⑤先帝は崩御する前に美智子を立后しないように遺言したはずだ。
⑥美智子の立后会議は開催されなかったがドサクサにまぎれ勝手に立后宣言。
⑦美智子立后の後ろ盾となったのは朝日新聞。 云々…」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
このコメントが真実ならば、なんという恐ろしい事でしょう。
雅子様は単に美智子様のスケープゴートだったのではないでしょうか。
ところで伏見様、立后されていない場合、万が一、今上天皇崩御された際、美智子様はどのような扱いとなられるのでしょうね。
あぁ 、今夜も眠れない。
≪私の解説≫
私の予想どうりです。以前に「正田美智子」は「昭和天皇を早死にするために入内させた」と過去記事に、書いた記憶が有ります。根拠は、密教宿曜経で見ると。
昭和天皇は、翼宿;ワンマンで、気性の激しい星です。
美智子は、奎宿(けいしゅく);プライドの高いお坊ちゃん、お嬢ちゃん星です。
この二人の相性は、最悪です。【安・壊の関係】で破壊縁、しかも、美智子が昭和帝を破壊する方です。加えて、翼宿と言う星と奎宿(けいしゅく)と言う星は、遠距離ですから、破壊作用は、半端有りません。
私も、サラリーマン時代、何度も権力闘争をしてきましたが、破壊の関係で遠距離の相手とは、ほぼ「潰すか、潰されるか」の総力戦でした。
そして、破壊縁&遠距離の相手が近くにいるだけで、「物凄い不快感とストレス」を感じます。会社では自分の上司や、部下にこの破壊縁の奴が来たら大変です。上司なら涙をのんで「イエスマン」になる手もありますが、
管理職で、部下に破壊縁で逆縁(下剋上)の奴が来たら、最悪です。「反抗する」「上司の悪口を言い晴らす」「クーデターを画策する(笑)」散々な目に遭います。私も過去に苦しめられたことが有って、その部下は、最終的に
人事考課を思いっきり下げて、北海道の旭川に左遷しました。昭和天皇は、美智子入内以来、日々、ストレスに苦しめられてきたでしょう。美智子が、おとなしくしていれば、先帝もそう怒らなかったと思いますが、【美智子の皇室の伝
統、文化、破壊活動】は、入内直後から、露骨に始まっていましたから、先帝も気が気でなかったでしょう。
一例が、「どや顔」で映っている、エプロン付けての、料理姿。「開かれた皇室」「民主化された皇室」「身近にいる皇室」を演じて見せました。これを映したのは朝日新聞のカメラマンでしょう(笑)
★要は、【聖なる皇室のお食事処】を実家の「粉屋の台所レベル」まで、貶めただけです。大体、美智子は常識的な日本人の「花嫁修業」もしていないのに、料理なんかできるわけが有りません。どうせ、男でも作れるカレーライスでも作
ったんでしょう。
更によくないのは、今上も二十八宿が、美智子と全く同じ、奎宿(けいしゅく)です。即ち、先帝様を強力に破壊する星です。今日の逆縁です。
私が、大企業の管理職で、確信したことは、課長や、部長の時、人事異動で、新しい部下が来ると、土日に、自宅で全員の二十八宿を確認しました。特にマークしたのは、私を破壊する逆縁の部下です。私がとった方法は
①配属するとき、評価の低い課やグループに配属する。これで出世の目を断てます。
②反抗すると面倒なので、表面上は「ニコポン」で、適当におだてあげる。
③人事部に掛け合い、なるべく早い時期に他の、部署に放出する。受け入れる側の部長に「どんな人物か?」と聞かれたら「きわめて優秀な人物だ」と言い張ります。「内では目が出なかっただけなのでよろしく」で終わりです。
部長になって、警戒心を強めたのは、課長の時、散々な目にあったからです。逆縁の部下はいくら目をかけて可愛がってやっても、最後は反旗を翻すか、裏切ることが例外なく検証されたからです。
今上と美智子は、同じ奎宿(けいしゅく)、気質、価値観が、全く重なるので、【美智子にとっては洗脳しやすい相手】だったでしょう。
余談ですが、四柱推命や、宿曜経の本場、中国の、香港や広州では、子供が生まれたら、すぐ、占い師に占ってもらい、【逆縁の子(親を潰す子)】だったら、名前も付けないうちに養子に出して、手放すそうです。
数年前、近所に、祖母と親しい当時60代のお婆さんがいました。特に不満もなく、これから、息子夫婦の世話になって、悠々自適で暮らそうとしていた時に悲劇が起こりました。ボンクラ息子が、軽い気持ちで、友人の「連帯保証
人」になる。案の定、友人は倒産して夜逃げ。お婆さんは、家屋敷、身ぐる身はがれて、市営住宅へ引っ越し。このボンクラ息子が逆縁でした。怖いものです。
≪義宮御妃候補事件;昭和39年≫
弟の義宮(現常陸宮)の御妃候補が、津軽華子さんに決まりかけたときに、東宮(今上)が昭和帝に対して激しく反抗しました「妃は民間からいれるべきだ」昭和大帝にここまで言わせた黒幕は、誰かお判りでしょう。美智子しかいま
せん。れっきとした華族の出の、華子妃殿下は、今や女帝となった、美智子に対して、喧嘩を売ることはしませんが、毅然とした態度で接しています。さすがです。美智子にとっては、煙たい義妹でしょう。
今上は、昭和39年時点で、既に、骨がらみ、美智子に洗脳され、取り込まれていたんですね。知能が低いことは確かですね。
≪入内させては、行けなかった嫁と、生まれてきてはいけなかった息子≫
あくまでも、宿曜経で見る限り生まれてきてはいけない男児でした。男系の4人の姉上がそれぞれ、皇族や、華族から、婿を取ればよかった話ですから。
≪引用文下線部分の解説≫
①昭和天皇が最初にお倒れになったのは、昭和62年(1987年)にです。この年の同じ頃、先帝様より一歳上の私の祖父が同じ病気の膵臓がんで息を引き取りました。
吐血されたと記憶しています。不思議だ、膵臓がんの方は最初倒れるんですね。私の祖父も散歩中に、近くの公園で倒れているのを近所の人が発見して、救急車を呼んでくれました。
残念ながら時系列にずれが有ります。この時、更迭されたのは、富田朝彦宮内庁長官や、徳川義寛侍従長ですが、時期が違います。
徳川侍従長;1988年4月更迭
富田宮内庁長官;1988年6月更迭です。未だこの時昭和天皇は、ご存命です。1989年1月7日崩御、亡くなって、今上陛下が即位した後でもよかったと思います。特に徳川侍従長は、先帝様に52年仕えた方で、先帝様の最後を見届け
たかったと思います。
★徳川侍従長の後任は、山本悟で平民の官僚出身です。この後、華族出身の侍従が出ることは無くなりました。美智子の【華族コンプレックス】が露骨です。
しかも、富田長官は、小和田雅子御妃候補絶対反対派で、後任の、藤森昭一は逆に、【雅子推進派】でした。
★要するに、美智子や、今上陛下は、昭和天皇が亡くなるのを待ったのではなく、まだご存命中に、【雅子入内の布石】を打っていたのです。
もっと、露骨なのは、昭和天皇の入院中1987年に特に、徳仁と雅子の密会が頻繁になったことです。手引きしたのは美智子の意を受けた故高円宮憲仁と久子でしょう。
亭主が死に、3人の娘は不出来だらけの、超末端宮家の【高円宮家】は、贅沢な生活を維持するために【東宮費を横流し】してもらっているそうです。美智子の差配でしょう。
今、皇室内で、恐れられながら総スカンを食って、美智子の唯一の味方は、高円宮久子だけです。だから、園遊会をさぼって、金になる「京都賞」に行けたのでした。
兄嫁の三笠宮信子妃殿下が、杖を突きながらも皇族の義務を果たしたのと対照的です。久子と言う女はどこまで【下衆な女】なんでしょうか?
②【成功しなかった昭和天皇の美智子廃妃計画】と【昭和末期は昭和天皇と美智子の一騎打ち】は十分あり得たと思います。一騎打ちと言うよりは【昭和天皇VS正田フミ&美智子の総力戦】です。
美智子の廃妃を思い立つほど、先帝様を怒らせた兆候は、確実に見受けられます。
1984(昭和59年)年、9月にコルマールで、12月にメリベルで、徳仁と雅子が密会しています。情報は、昭和天皇の耳にも入っていたと思います。
「小和田の娘だけはだめだ(怒)」外遊に同行した外交官の小和田恒の卑しい人間性を陛下は完全に見抜いていました。また、当時の中曽根内閣の官房長官、後藤田正晴氏は「小和田雅子の母方の祖父は、チッソ水俣の元凶、江頭豊ですよ。
江頭の孫娘を入内させたら、皇居に莚旗(むしろばた)=水俣の漁民、農民の一揆、が立ちますよ」と言って、釘を刺しました。
この頃、ナルマサの逢引を直接取り持っていたのは、美智子でしょう。
1986年 4月29日 昭和天皇在位60周年記念式典・・・何故か美智子は欠席
③【シナ人美智子母が女性誌を通じて脅しをかけ それはそのまま流れた。】
正田富美が、脅しのネタに使ったのは、【美智子入内の条件】としての、【西武堤康次郎から天皇家への秘密の資金援助】の件でしょう。「この話、ばらしてもいいんですか~」
当時から、母親のお抱えライターがいて、娘美智子の提灯記事を書かせたり、脅しの道具として頻繁に使っていたんですね。この【暴力装置】が、富美死後、自然と美智子に相続され、気に入らない宮妃の「事実無根のスキャンダル記事」を書
かせて、嫌がらせをしていたため、誰も、美智子に関わらなくなったのでしょう。【美智子の週刊誌を使った嫌がらせ】を唯一、恐れなかったのが高松宮妃喜久子様、さすが、最後の将軍、徳川慶喜の孫だけあります。
【成金エタ非人】の正田屋のあばずれ娘ごときを恐れません。健在中は、鋭く今上陛下を問い詰めていました。特に、いつまでも、【継子苛め】して嫁にやらない、清子内親王について「どうして、お嫁におやりにならないの」と追及した結果
やっと、清子様は、黒田さんと結婚できて、生まれて初めて「自由の身」に成れたのです。美智子はサーヤに対して、学生の頃は、「お金がもったいないから、お風呂は週に一回だけ、水がもったいないから歯を磨くな」と言う児童虐待。
一緒に公務に出かけても、ホテルでは別々の部屋で休む。女親にとって娘は特別な存在、
★実の娘なら、こんな仕打ちはしなかったでしょう。学習院時代、消しゴムも買ってやらなかったそうですから。私は、父親は今上でも、母親は美智子ではないと確信しています。秋篠宮も同じです。
秋篠宮は紀子様と結婚直後、新居は築60年の職員住宅と言うボロアパートに、ぶち込まれました。血のつながった次男坊ならこんな仕打ちはしません。昭和天皇の実母の貞明皇后ですら、4男坊の三笠宮崇仁に、立派な御殿を作ってやったで
はないですか(怒)今の秋篠宮邸は、紀子様と同じ会津の血を引く、秩父宮勢津子妃殿下が、「あのままじゃ、可愛そうだから、私が死んだら、邸は譲ってあげて」と遺言して実現したものです。
今上も、普段優しそうな顔をしながらも、【冷酷な皇帝】です。いくら、美智子の尻に敷かれていると言っても、産みの親こそ違え、自分の息子で筆頭宮家なのに、自分たちは58億円もする無駄な御所を作って(怒)
⑥【美智子の立后会議は開催されなかったがドサクサにまぎれ勝手に立后宣言】
美智子と言う女は、【何でもアリの女】です。
★下手に「立后会議」を開いたら、【昭和天皇の遺言書】が出てくるのが怖かったのでしょう。自分で勝手に【立后宣言】しました。皇室典範の解釈は微妙ながらも、歴代の皇后で「立后会議」で認められていないのはこの人だけでしょう。
★【皇后を称する法的正当性が無い】(笑)結論は正当な手続きを踏んで立后してないんですよ。事実は【立后していない】です。
★【立后会議を開かなかった事実】は即座に、MI6によって、英国王室、エリザベス女王に伝えられたでしょう。情報は瞬時に欧州各国の王室で共有されたことは間違いありません。
⑦【美智子立后の後ろ盾となったのは朝日新聞】
これは、笑えますね。徳仁が、佐伯晋の種、【美智子 托卵】の動かぬ証拠ですよ。これ以上解りやすい証拠はないわ(笑)反日朝日は、部落民の皇后と、皇太子の誕生を全力でバックアップしたのです。
「国民は【立后会議】なんて知らないだろう、大丈夫ですよ」と東大出、左翼反日ばかりの傲慢記者たちが、国民をばかにして、目くらましをかませたのです。
⑧来年一月、厳寒の折に、心臓にカテーテルを入れている陛下を連れて、何故か、真夏のフィリピンに行きます。帰国後、極端な寒暖の差が、陛下の健康に打撃を与えるでしょう。
★これは、美智子が企んだ【陛下殺人計画】です。この女は、既に、沢山の皇族を計画的に殺してきています。①昭和天皇②香淳皇后③三笠宮仁殿下、【殺人に躊躇しない女】です。
★美智子は、何が有っても、【自分が陛下より先に死ぬわけにはいかないんです】
①自分が先に死んで、陛下が残れば、秋篠宮が摂政になります。
②陛下が先に死ねば、徳仁が即位できます。あの女は何でも有なので、自分が【天皇即位宣言】する危険性もあります。
さて、掲載する写真は題して【部落民の正田みっちゃん】です。目に罪人の子孫の凄味が有りますね。どこか雰囲気が、お笑い芸人「オセロ」の松嶋尚美に似てますね。
大阪の読者さんの情報によると、松嶋の独特な顔は、大阪、東成区の部落民の典型的な顔だそうです。
以上
← この記事に興味をもたれた方はクリックお願い致します!!!
【一般読者様へ】
鑑定の御相談は下記メアドまでご連絡ください。 尚、携帯電話からメールする人は必ずドメイン設定を解除してください。
harunohi807@gmail.com
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(さぽ)
今回の記事、諸外国での美智子皇后の称号について他ブログにも指摘があり、改めて本当なのだなとショックを受けました。
同時に気になり色々と検索いたしましたところ、鬼女のブログで以下のコメントを発見しました。
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「昭和天皇が美智子の隣で突然倒れ、①入院している隙に宮内庁長官と侍従長を 国事行為代行の夫(当時皇太子、現今上)に更迭させた。
手足をもがれた昭和天皇は翌年再び入院。そのまま崩御。
②昭和末期は昭和天皇と美智子の一騎打ちだったのだな。
③昭和60年ごろ昭和天皇は美智子を廃妃しようとしていた。
④シナ人美智子母が女性誌を通じて脅しをかけ それはそのまま流れた。
だが⑤先帝は崩御する前に美智子を立后しないように遺言したはずだ。
⑥美智子の立后会議は開催されなかったがドサクサにまぎれ勝手に立后宣言。
⑦美智子立后の後ろ盾となったのは朝日新聞。 云々…」
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このコメントが真実ならば、なんという恐ろしい事でしょう。
雅子様は単に美智子様のスケープゴートだったのではないでしょうか。
ところで伏見様、立后されていない場合、万が一、今上天皇崩御された際、美智子様はどのような扱いとなられるのでしょうね。
あぁ 、今夜も眠れない。
≪私の解説≫
私の予想どうりです。以前に「正田美智子」は「昭和天皇を早死にするために入内させた」と過去記事に、書いた記憶が有ります。根拠は、密教宿曜経で見ると。
昭和天皇は、翼宿;ワンマンで、気性の激しい星です。
美智子は、奎宿(けいしゅく);プライドの高いお坊ちゃん、お嬢ちゃん星です。
この二人の相性は、最悪です。【安・壊の関係】で破壊縁、しかも、美智子が昭和帝を破壊する方です。加えて、翼宿と言う星と奎宿(けいしゅく)と言う星は、遠距離ですから、破壊作用は、半端有りません。
私も、サラリーマン時代、何度も権力闘争をしてきましたが、破壊の関係で遠距離の相手とは、ほぼ「潰すか、潰されるか」の総力戦でした。
そして、破壊縁&遠距離の相手が近くにいるだけで、「物凄い不快感とストレス」を感じます。会社では自分の上司や、部下にこの破壊縁の奴が来たら大変です。上司なら涙をのんで「イエスマン」になる手もありますが、
管理職で、部下に破壊縁で逆縁(下剋上)の奴が来たら、最悪です。「反抗する」「上司の悪口を言い晴らす」「クーデターを画策する(笑)」散々な目に遭います。私も過去に苦しめられたことが有って、その部下は、最終的に
人事考課を思いっきり下げて、北海道の旭川に左遷しました。昭和天皇は、美智子入内以来、日々、ストレスに苦しめられてきたでしょう。美智子が、おとなしくしていれば、先帝もそう怒らなかったと思いますが、【美智子の皇室の伝
統、文化、破壊活動】は、入内直後から、露骨に始まっていましたから、先帝も気が気でなかったでしょう。
一例が、「どや顔」で映っている、エプロン付けての、料理姿。「開かれた皇室」「民主化された皇室」「身近にいる皇室」を演じて見せました。これを映したのは朝日新聞のカメラマンでしょう(笑)
★要は、【聖なる皇室のお食事処】を実家の「粉屋の台所レベル」まで、貶めただけです。大体、美智子は常識的な日本人の「花嫁修業」もしていないのに、料理なんかできるわけが有りません。どうせ、男でも作れるカレーライスでも作
ったんでしょう。
更によくないのは、今上も二十八宿が、美智子と全く同じ、奎宿(けいしゅく)です。即ち、先帝様を強力に破壊する星です。今日の逆縁です。
私が、大企業の管理職で、確信したことは、課長や、部長の時、人事異動で、新しい部下が来ると、土日に、自宅で全員の二十八宿を確認しました。特にマークしたのは、私を破壊する逆縁の部下です。私がとった方法は
①配属するとき、評価の低い課やグループに配属する。これで出世の目を断てます。
②反抗すると面倒なので、表面上は「ニコポン」で、適当におだてあげる。
③人事部に掛け合い、なるべく早い時期に他の、部署に放出する。受け入れる側の部長に「どんな人物か?」と聞かれたら「きわめて優秀な人物だ」と言い張ります。「内では目が出なかっただけなのでよろしく」で終わりです。
部長になって、警戒心を強めたのは、課長の時、散々な目にあったからです。逆縁の部下はいくら目をかけて可愛がってやっても、最後は反旗を翻すか、裏切ることが例外なく検証されたからです。
今上と美智子は、同じ奎宿(けいしゅく)、気質、価値観が、全く重なるので、【美智子にとっては洗脳しやすい相手】だったでしょう。
余談ですが、四柱推命や、宿曜経の本場、中国の、香港や広州では、子供が生まれたら、すぐ、占い師に占ってもらい、【逆縁の子(親を潰す子)】だったら、名前も付けないうちに養子に出して、手放すそうです。
数年前、近所に、祖母と親しい当時60代のお婆さんがいました。特に不満もなく、これから、息子夫婦の世話になって、悠々自適で暮らそうとしていた時に悲劇が起こりました。ボンクラ息子が、軽い気持ちで、友人の「連帯保証
人」になる。案の定、友人は倒産して夜逃げ。お婆さんは、家屋敷、身ぐる身はがれて、市営住宅へ引っ越し。このボンクラ息子が逆縁でした。怖いものです。
≪義宮御妃候補事件;昭和39年≫
弟の義宮(現常陸宮)の御妃候補が、津軽華子さんに決まりかけたときに、東宮(今上)が昭和帝に対して激しく反抗しました「妃は民間からいれるべきだ」昭和大帝にここまで言わせた黒幕は、誰かお判りでしょう。美智子しかいま
せん。れっきとした華族の出の、華子妃殿下は、今や女帝となった、美智子に対して、喧嘩を売ることはしませんが、毅然とした態度で接しています。さすがです。美智子にとっては、煙たい義妹でしょう。
今上は、昭和39年時点で、既に、骨がらみ、美智子に洗脳され、取り込まれていたんですね。知能が低いことは確かですね。
≪入内させては、行けなかった嫁と、生まれてきてはいけなかった息子≫
あくまでも、宿曜経で見る限り生まれてきてはいけない男児でした。男系の4人の姉上がそれぞれ、皇族や、華族から、婿を取ればよかった話ですから。
≪引用文下線部分の解説≫
①昭和天皇が最初にお倒れになったのは、昭和62年(1987年)にです。この年の同じ頃、先帝様より一歳上の私の祖父が同じ病気の膵臓がんで息を引き取りました。
吐血されたと記憶しています。不思議だ、膵臓がんの方は最初倒れるんですね。私の祖父も散歩中に、近くの公園で倒れているのを近所の人が発見して、救急車を呼んでくれました。
残念ながら時系列にずれが有ります。この時、更迭されたのは、富田朝彦宮内庁長官や、徳川義寛侍従長ですが、時期が違います。
徳川侍従長;1988年4月更迭
富田宮内庁長官;1988年6月更迭です。未だこの時昭和天皇は、ご存命です。1989年1月7日崩御、亡くなって、今上陛下が即位した後でもよかったと思います。特に徳川侍従長は、先帝様に52年仕えた方で、先帝様の最後を見届け
たかったと思います。
★徳川侍従長の後任は、山本悟で平民の官僚出身です。この後、華族出身の侍従が出ることは無くなりました。美智子の【華族コンプレックス】が露骨です。
しかも、富田長官は、小和田雅子御妃候補絶対反対派で、後任の、藤森昭一は逆に、【雅子推進派】でした。
★要するに、美智子や、今上陛下は、昭和天皇が亡くなるのを待ったのではなく、まだご存命中に、【雅子入内の布石】を打っていたのです。
もっと、露骨なのは、昭和天皇の入院中1987年に特に、徳仁と雅子の密会が頻繁になったことです。手引きしたのは美智子の意を受けた故高円宮憲仁と久子でしょう。
亭主が死に、3人の娘は不出来だらけの、超末端宮家の【高円宮家】は、贅沢な生活を維持するために【東宮費を横流し】してもらっているそうです。美智子の差配でしょう。
今、皇室内で、恐れられながら総スカンを食って、美智子の唯一の味方は、高円宮久子だけです。だから、園遊会をさぼって、金になる「京都賞」に行けたのでした。
兄嫁の三笠宮信子妃殿下が、杖を突きながらも皇族の義務を果たしたのと対照的です。久子と言う女はどこまで【下衆な女】なんでしょうか?
②【成功しなかった昭和天皇の美智子廃妃計画】と【昭和末期は昭和天皇と美智子の一騎打ち】は十分あり得たと思います。一騎打ちと言うよりは【昭和天皇VS正田フミ&美智子の総力戦】です。
美智子の廃妃を思い立つほど、先帝様を怒らせた兆候は、確実に見受けられます。
1984(昭和59年)年、9月にコルマールで、12月にメリベルで、徳仁と雅子が密会しています。情報は、昭和天皇の耳にも入っていたと思います。
「小和田の娘だけはだめだ(怒)」外遊に同行した外交官の小和田恒の卑しい人間性を陛下は完全に見抜いていました。また、当時の中曽根内閣の官房長官、後藤田正晴氏は「小和田雅子の母方の祖父は、チッソ水俣の元凶、江頭豊ですよ。
江頭の孫娘を入内させたら、皇居に莚旗(むしろばた)=水俣の漁民、農民の一揆、が立ちますよ」と言って、釘を刺しました。
この頃、ナルマサの逢引を直接取り持っていたのは、美智子でしょう。
1986年 4月29日 昭和天皇在位60周年記念式典・・・何故か美智子は欠席
③【シナ人美智子母が女性誌を通じて脅しをかけ それはそのまま流れた。】
正田富美が、脅しのネタに使ったのは、【美智子入内の条件】としての、【西武堤康次郎から天皇家への秘密の資金援助】の件でしょう。「この話、ばらしてもいいんですか~」
当時から、母親のお抱えライターがいて、娘美智子の提灯記事を書かせたり、脅しの道具として頻繁に使っていたんですね。この【暴力装置】が、富美死後、自然と美智子に相続され、気に入らない宮妃の「事実無根のスキャンダル記事」を書
かせて、嫌がらせをしていたため、誰も、美智子に関わらなくなったのでしょう。【美智子の週刊誌を使った嫌がらせ】を唯一、恐れなかったのが高松宮妃喜久子様、さすが、最後の将軍、徳川慶喜の孫だけあります。
【成金エタ非人】の正田屋のあばずれ娘ごときを恐れません。健在中は、鋭く今上陛下を問い詰めていました。特に、いつまでも、【継子苛め】して嫁にやらない、清子内親王について「どうして、お嫁におやりにならないの」と追及した結果
やっと、清子様は、黒田さんと結婚できて、生まれて初めて「自由の身」に成れたのです。美智子はサーヤに対して、学生の頃は、「お金がもったいないから、お風呂は週に一回だけ、水がもったいないから歯を磨くな」と言う児童虐待。
一緒に公務に出かけても、ホテルでは別々の部屋で休む。女親にとって娘は特別な存在、
★実の娘なら、こんな仕打ちはしなかったでしょう。学習院時代、消しゴムも買ってやらなかったそうですから。私は、父親は今上でも、母親は美智子ではないと確信しています。秋篠宮も同じです。
秋篠宮は紀子様と結婚直後、新居は築60年の職員住宅と言うボロアパートに、ぶち込まれました。血のつながった次男坊ならこんな仕打ちはしません。昭和天皇の実母の貞明皇后ですら、4男坊の三笠宮崇仁に、立派な御殿を作ってやったで
はないですか(怒)今の秋篠宮邸は、紀子様と同じ会津の血を引く、秩父宮勢津子妃殿下が、「あのままじゃ、可愛そうだから、私が死んだら、邸は譲ってあげて」と遺言して実現したものです。
今上も、普段優しそうな顔をしながらも、【冷酷な皇帝】です。いくら、美智子の尻に敷かれていると言っても、産みの親こそ違え、自分の息子で筆頭宮家なのに、自分たちは58億円もする無駄な御所を作って(怒)
⑥【美智子の立后会議は開催されなかったがドサクサにまぎれ勝手に立后宣言】
美智子と言う女は、【何でもアリの女】です。
★下手に「立后会議」を開いたら、【昭和天皇の遺言書】が出てくるのが怖かったのでしょう。自分で勝手に【立后宣言】しました。皇室典範の解釈は微妙ながらも、歴代の皇后で「立后会議」で認められていないのはこの人だけでしょう。
★【皇后を称する法的正当性が無い】(笑)結論は正当な手続きを踏んで立后してないんですよ。事実は【立后していない】です。
★【立后会議を開かなかった事実】は即座に、MI6によって、英国王室、エリザベス女王に伝えられたでしょう。情報は瞬時に欧州各国の王室で共有されたことは間違いありません。
⑦【美智子立后の後ろ盾となったのは朝日新聞】
これは、笑えますね。徳仁が、佐伯晋の種、【美智子 托卵】の動かぬ証拠ですよ。これ以上解りやすい証拠はないわ(笑)反日朝日は、部落民の皇后と、皇太子の誕生を全力でバックアップしたのです。
「国民は【立后会議】なんて知らないだろう、大丈夫ですよ」と東大出、左翼反日ばかりの傲慢記者たちが、国民をばかにして、目くらましをかませたのです。
⑧来年一月、厳寒の折に、心臓にカテーテルを入れている陛下を連れて、何故か、真夏のフィリピンに行きます。帰国後、極端な寒暖の差が、陛下の健康に打撃を与えるでしょう。
★これは、美智子が企んだ【陛下殺人計画】です。この女は、既に、沢山の皇族を計画的に殺してきています。①昭和天皇②香淳皇后③三笠宮仁殿下、【殺人に躊躇しない女】です。
★美智子は、何が有っても、【自分が陛下より先に死ぬわけにはいかないんです】
①自分が先に死んで、陛下が残れば、秋篠宮が摂政になります。
②陛下が先に死ねば、徳仁が即位できます。あの女は何でも有なので、自分が【天皇即位宣言】する危険性もあります。
さて、掲載する写真は題して【部落民の正田みっちゃん】です。目に罪人の子孫の凄味が有りますね。どこか雰囲気が、お笑い芸人「オセロ」の松嶋尚美に似てますね。
大阪の読者さんの情報によると、松嶋の独特な顔は、大阪、東成区の部落民の典型的な顔だそうです。
以上
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