一か月ほど前、ブログにこんなコメントが来ました。
(多久市在住のもの)
何度か読みますと皇后さまの母方が朝鮮と書いてありますが佐賀県多久市多久町できちんと御調べになった方がよろしいと思います。有田焼の創始者李参平氏は確かに最初は多久におられましたが土を求めて有田へ行かれました、朝鮮陶工は伊万里市の大川
内山で技術流出を防ぐために隔離状態で生活をされておりましたから多久には当時の窯跡以外は残っておりません。皇后さまの母方については佐賀県多久市に来ていただき副島家古文書が存在し保管されております多久市の歴史資料館でお調べいただければ
よろしいと思います、菩提寺もすぐにわかります、どうぞよろしくお願いします。
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しばらく、非公開にしていましたが、私は、多久まで行く気は、失礼ながら、更々、有りませんでした。行かなくとも、【副島家古文書の真贋(しんがん)】が推定できたからです。
私事で恐縮ですが、私は代々の薩摩藩士の家柄で、江戸後期は石高2500石でした。1万石以上が大名ですから、【1/4大名】です。高祖母も、宮崎県、佐土原市の島津家の分家、佐土原藩の殿様の側室の子(島津の殿様が、女中に産ませた子)でした。
ですから、島津貴子さんのご主人の島津久永氏とは、血がつながっています。
我が家にも家系図は、有りますが、ご先祖様の代々は、【東京大学史料編纂室】が保存している膨大な【島津家文書】で、チェックできます。室町時代後期までさかのぼれます。
子供の頃、祖父が言っていたのは、「戦後、各家庭が持っている家系図はうのみにしちゃいかん」という事でした。「疑ってかかれ」と言う意味です。武家の家の常識としては、【副島家の様に、武家と酒屋を兼業する】という事は有り得ません。
増して、江戸時代の士農工商の身分制度では、商人は最下層で、商売人は下に見られていました。少なくとも、そのような、【異形の武家】は例え下級武士であっても薩摩には存在しないし、全国でもないでしょう。
三菱の創業者、岩崎弥太郎は、若い頃から土佐で、商売をやっていましたが、身分は【地下浪人(じげろうにん】です。これは、下級武士が貧窮に耐えかねて、武家の株を売って【元武士の浪人】になったものです。
その後のやり取りで、この(多久市在住のもの)氏は、美智子皇后母方の祖父の副島綱雄の縁者であろうことが推測されます。「菩提寺が一緒だ」とも書かれています。
結局は、高い旅費払って、調査に行く必要は有りませんでした。読者様が、【決定的な証拠】を提示してくれたからです。以下コメ欄の転載です。
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伏見先生、副島家の家系図は見れば見るほど、違和感を感じ得ません。綱雄以前があまりにも曖昧模糊としすぎです。
(出雲さん)
初代宮内庁長官になった田島道治の日記がすべてを物語っていると思います。
「母方系統、小生、興信所ノミニテ止マルノハ心中ドウカと思ふ」
昭和33年6月21日
田島は、ほぼ真相をつかんでいたのでしょうね。 しかし美智子さん入内の流れを変えることは不可能だし、する気もなかった。
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★要は、宮内庁長官が【副島家古文書の資料としての信憑性を真っ向から否定】していたのです。
★母方が、事実上、【母方は3代前までしか遡れない】のです。誰かにそっくりじゃあありませんか?そうです。雅子肥の実家、小和田家と同じです。
★昭和天皇も香淳皇后も、昭和天皇の弟宮の妃、秩父宮妃、高松宮妃、宮内庁も皆、驚愕し、言葉を失ったと思います。そして、本心【お妃候補からの排除】を考えたのでしょうか、無理でした。
★GHQの工作員、クリスチャン勢力の小泉信三(慶応塾長)、黒木侍従らの根回しや、執拗な説得に、6年前に撤退したGHQの幻影に怯えたのだと思います。
★一説としては、戦後経済的に困窮する天皇家に対し、美智子の実母、西武グループの総帥、堤康次郎から巨額の資金援助が有ったのではないか?と言う説もあります。
【大陸夫人】と言えば聞こえは良いが、要は、【流暢な日本語を話すアジア系混血女】です。昭和天皇は、この女と最初に話した時に「この女キチガイじゃないか」と感じたと思います。香淳皇后は「この女の娘が嫁として来るのか」と怯えに近いものを感
じたと思います。そして、家系図調査してみたら、この【女ヤクザ】の実家の、佐賀の副島家の家系図が一番怪しい。当時の両陛下は、【嫌な予感がし】入内後、それが的中したのです。
正田美智子は入内しましたが、明仁皇太子の妾として入内したのです。そして、国内では皇后でも、海外の王室では依然として、【妾】が正式な処遇です。この人立后もしてませんよね。
★イギリスに訪問したときに、【エリザベス女王が、美智子と一緒に並ぶのを生理的に嫌がる】事は、有名な話です。英国王室は、【日本の部落制度】や【在日朝鮮人問題】についても、正確な知識を持っています。
可能性としては有り得ませんが、雅子肥が英国訪問したら、エリザベス女王は、間違いなく【手袋をしたまま握手】するでしょう。
海外での現在の正しい処遇
今上;Emperor Akihito and Michiko Syouda
東宮;Prince Naruhito and Masako Owada
秋篠宮;Prince Akisino and Princess Kiko
★上の二人の女、については、【妾扱い】です。卑賤の出だという事をイギリスを始め、主に欧州王室は全て、知悉しています。TVの報道も正式名称はこの通りです。
お気づきですか?唯一、正妻扱いされているのが紀子妃殿下だけです。紀子妃はれっきとした、会津藩士の血を引いていることが認知され、尊敬されているのでしょう。
海外公務される秋篠宮殿下は既に、訪問国では、【皇太子扱い】=【次期天皇】、紀子妃殿下は【皇太子妃扱い】=【次期皇后】です。今年のメキシコ訪問や、ブラジル訪問がそうでした。
【千代田の魔物&東宮の悪霊女】が早くくたばって、【秋篠宮の御代】が一日も早く、訪れることを祈念してやみません。
以上
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(多久市在住のもの)
何度か読みますと皇后さまの母方が朝鮮と書いてありますが佐賀県多久市多久町できちんと御調べになった方がよろしいと思います。有田焼の創始者李参平氏は確かに最初は多久におられましたが土を求めて有田へ行かれました、朝鮮陶工は伊万里市の大川
内山で技術流出を防ぐために隔離状態で生活をされておりましたから多久には当時の窯跡以外は残っておりません。皇后さまの母方については佐賀県多久市に来ていただき副島家古文書が存在し保管されております多久市の歴史資料館でお調べいただければ
よろしいと思います、菩提寺もすぐにわかります、どうぞよろしくお願いします。
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しばらく、非公開にしていましたが、私は、多久まで行く気は、失礼ながら、更々、有りませんでした。行かなくとも、【副島家古文書の真贋(しんがん)】が推定できたからです。
私事で恐縮ですが、私は代々の薩摩藩士の家柄で、江戸後期は石高2500石でした。1万石以上が大名ですから、【1/4大名】です。高祖母も、宮崎県、佐土原市の島津家の分家、佐土原藩の殿様の側室の子(島津の殿様が、女中に産ませた子)でした。
ですから、島津貴子さんのご主人の島津久永氏とは、血がつながっています。
我が家にも家系図は、有りますが、ご先祖様の代々は、【東京大学史料編纂室】が保存している膨大な【島津家文書】で、チェックできます。室町時代後期までさかのぼれます。
子供の頃、祖父が言っていたのは、「戦後、各家庭が持っている家系図はうのみにしちゃいかん」という事でした。「疑ってかかれ」と言う意味です。武家の家の常識としては、【副島家の様に、武家と酒屋を兼業する】という事は有り得ません。
増して、江戸時代の士農工商の身分制度では、商人は最下層で、商売人は下に見られていました。少なくとも、そのような、【異形の武家】は例え下級武士であっても薩摩には存在しないし、全国でもないでしょう。
三菱の創業者、岩崎弥太郎は、若い頃から土佐で、商売をやっていましたが、身分は【地下浪人(じげろうにん】です。これは、下級武士が貧窮に耐えかねて、武家の株を売って【元武士の浪人】になったものです。
その後のやり取りで、この(多久市在住のもの)氏は、美智子皇后母方の祖父の副島綱雄の縁者であろうことが推測されます。「菩提寺が一緒だ」とも書かれています。
結局は、高い旅費払って、調査に行く必要は有りませんでした。読者様が、【決定的な証拠】を提示してくれたからです。以下コメ欄の転載です。
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伏見先生、副島家の家系図は見れば見るほど、違和感を感じ得ません。綱雄以前があまりにも曖昧模糊としすぎです。
(出雲さん)
初代宮内庁長官になった田島道治の日記がすべてを物語っていると思います。
「母方系統、小生、興信所ノミニテ止マルノハ心中ドウカと思ふ」
昭和33年6月21日
田島は、ほぼ真相をつかんでいたのでしょうね。 しかし美智子さん入内の流れを変えることは不可能だし、する気もなかった。
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★要は、宮内庁長官が【副島家古文書の資料としての信憑性を真っ向から否定】していたのです。
★母方が、事実上、【母方は3代前までしか遡れない】のです。誰かにそっくりじゃあありませんか?そうです。雅子肥の実家、小和田家と同じです。
★昭和天皇も香淳皇后も、昭和天皇の弟宮の妃、秩父宮妃、高松宮妃、宮内庁も皆、驚愕し、言葉を失ったと思います。そして、本心【お妃候補からの排除】を考えたのでしょうか、無理でした。
★GHQの工作員、クリスチャン勢力の小泉信三(慶応塾長)、黒木侍従らの根回しや、執拗な説得に、6年前に撤退したGHQの幻影に怯えたのだと思います。
★一説としては、戦後経済的に困窮する天皇家に対し、美智子の実母、西武グループの総帥、堤康次郎から巨額の資金援助が有ったのではないか?と言う説もあります。
【大陸夫人】と言えば聞こえは良いが、要は、【流暢な日本語を話すアジア系混血女】です。昭和天皇は、この女と最初に話した時に「この女キチガイじゃないか」と感じたと思います。香淳皇后は「この女の娘が嫁として来るのか」と怯えに近いものを感
じたと思います。そして、家系図調査してみたら、この【女ヤクザ】の実家の、佐賀の副島家の家系図が一番怪しい。当時の両陛下は、【嫌な予感がし】入内後、それが的中したのです。
正田美智子は入内しましたが、明仁皇太子の妾として入内したのです。そして、国内では皇后でも、海外の王室では依然として、【妾】が正式な処遇です。この人立后もしてませんよね。
★イギリスに訪問したときに、【エリザベス女王が、美智子と一緒に並ぶのを生理的に嫌がる】事は、有名な話です。英国王室は、【日本の部落制度】や【在日朝鮮人問題】についても、正確な知識を持っています。
可能性としては有り得ませんが、雅子肥が英国訪問したら、エリザベス女王は、間違いなく【手袋をしたまま握手】するでしょう。
海外での現在の正しい処遇
今上;Emperor Akihito and Michiko Syouda
東宮;Prince Naruhito and Masako Owada
秋篠宮;Prince Akisino and Princess Kiko
★上の二人の女、については、【妾扱い】です。卑賤の出だという事をイギリスを始め、主に欧州王室は全て、知悉しています。TVの報道も正式名称はこの通りです。
お気づきですか?唯一、正妻扱いされているのが紀子妃殿下だけです。紀子妃はれっきとした、会津藩士の血を引いていることが認知され、尊敬されているのでしょう。
海外公務される秋篠宮殿下は既に、訪問国では、【皇太子扱い】=【次期天皇】、紀子妃殿下は【皇太子妃扱い】=【次期皇后】です。今年のメキシコ訪問や、ブラジル訪問がそうでした。
【千代田の魔物&東宮の悪霊女】が早くくたばって、【秋篠宮の御代】が一日も早く、訪れることを祈念してやみません。
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