今日の記事を読んで、また思い出した事があります。
前回は茶道の先生から聞いた事でしたが、同じ時期に毛筆も習っていました。
まだインターネットばかりか携帯電話もあまり普及していませんでした。
80代位のお婆さんでしたが、記事に通じる話を聞きました。
美智子様は、皇太子の後、流産をされて、その後別荘で療養と言われかながら隔離されていたようですが、周囲ではもう子供が産めないのではと思われていたそうです。その間に京都で公家の女性が今上陛下のお相手をされていたという話です。これは先生もあくまで噂として話されて
いました。
ただ、その頃美智子様が何度目かの失語症報道の時に、先生は話せない人の顔ではないと断言されました。京都好きな先生でしたから、嘘だとも思えないのです。
≪記事に関係なく私の補足≫
先ほど、数時間ぶりで、コメ欄を見たら、ある馬鹿者から馬鹿な書き込みが有った(笑)
H/N;大馬鹿者;徳仁親王は、入内後10月10日で、出生している。貴君の「托卵説」など、精神を疑う。
私は、瞬間的に秒殺でスパム扱いの削除したが、削除した数秒後、自分の記事の間違いに気が付いた。私のブログは文字ばっかりで、集中して、4時間ほどで記事を作成するので、間違いがないとは絶対に言えない。今回の「大馬鹿者」のお蔭で、重大な間違いに気が付いた。
★佐伯晋が、正田美智子と一夜を共にしたのは、入内の前夜でした。母親があの正田富美だから、娘の排卵日ぐらい計算して、強気のストラングル交渉で、入内日を排卵日の翌日に決めた可能性は相当高い。
その、謀略を、娘と、佐伯に言い含めるぐらい簡単なことである。佐伯は美味しい目にあえるし、商売上、富美の機嫌を損ねて出入り禁止にされたら、社内の出世が止まる。
明日、早朝、入内するという前夜、正田美智子と佐伯晋は、五反田の街の夜に消え、朝まで戻ってこなかった。「昨晩どこにいたかわからない」男と一泊した女の常套句である。父親の英三郎は、富美には逆らえなかったらしいから、事情も聴いておらず、昨晩の行動を確認したのは、英三郎であろう。というか、今の皇族で、誰も女帝に逆らえないように、正田家は部落特有子だくさんであるのに、富美の絶対王政下にあった。
そして、その数時間後の朝が、写真で有名な、正装して、家族に囲まれる、五反田の正田邸の玄関での「お別れのシーン」である。
世界一、権威が有り、2700年も続き、今現在でも、世界皇帝と世界中から尊敬される天皇家の長男に嫁ぐ、「部落成金」の娘が、輿入れ前日に、在日韓国人の佐伯晋に抱かれた汚れた体で、入内したのである。
そりゃあ~十月十日で、先に射精した佐伯の子が産まれるでしょう。
★GHQと日本クリスチャン権力者たち(小泉信三、吉田茂)の間には、【日本皇室根絶】のプランが有った。条件は
①クリスチャンの家のクリスチャンの娘であること。
②天皇制に恨みを抱く部族の出自であること(在日韓国朝鮮人、部落民)
③娘の両親のどちらかが、「謀略」をプランニングし、実行する行動力のあること。
わが母校の先輩、塾長でもあった、小泉信三は、さすがによく、正田美智子という娘と、富美という女ヤクザを見つけ出したものだ。呆れます。小泉は、正田家の家系調査を300年前までさかのぼってやったと自慢するが。さすがに肝心な部分はスルーしている。よく「粉女郎」とか「粉屋のみっちゃん」と揶揄されるが、本人や家族は痛くもかゆくもないだろう。小泉は日清製粉社長令嬢というところで止めて、常磐会や、上流階級、保守国民の「不満の声」をその一点に集中させた。
私が中学生の頃、バリバリ日教組の教師が授業中に「あの女は粉屋の娘じゃ」と吐き捨てていた。批判は粉屋で止まるのである。国民がもっと重大な事実に築くのを見事に食い止めたのである。
よく詐欺師がやる、10個のリンゴのうち、袋の中から、1個の腐ったリンゴを取出し、「値引きしときますから」とわびて、売り、家に帰って袋を開けたら、全部腐っていた(笑)のと同じ心理操作である。
「反対派の不満」を「平民出身で粉屋の娘」で止めたのである。策士小泉信三の大一番である。彼は、婚約が破棄される決定的な条件を確信犯として隠ぺいした。それは
★正田家の本家が、粉屋ではなく、群馬県館林市目車町の【正田醤油】であることを、上手に隠ぺいした。醤油業は千葉県野田市のキッコーマンと同じく、「部落民産業」である。醤油製造工程は物凄い汚れ仕事で部落民を主要労働者としていた。
普通、部落民は、屠畜、解体をやるが、その際に返り血を被る。作業中、醤油を頭から被るのは血を被るのを連想させる。それで、平民がやりたがらず、部落民が従事したのである。
本家【正田醤油】の所在地は、部落出身の大宅壮一賞、受賞ルポライターの、上原善広が現地を踏査し、著作「日本の路地を巡って」で明言している。現地には部落地区を証明する白山神社などが確認できたそうである。
そして、上原が調べたところ、館林市は同地区を【部落地区】に指定していない。理由は「かつて、この地から皇太子妃が出たから」だそうである。現地は今でも如何にも醤油工場の裏らしく、雑然として陰気な地域らしいが、住民を不便にしたのは、皇太子妃が出たからである。
【部落地区】に指定されなければ【同和対策法】が施行されず、道路等のインフラの整備をやってくれない。住民ほどいい迷惑だ。女帝と正田家の「キモ」はここに有るのである。
上記3条件は小和田雅子の時は①が創価学会員の家で、創価学会信者の娘であることに変わっただけだ。
戦後、2代の皇太子妃が入内するたびに、皇室の弱体化が、顕著に進み、雅子入内から、22年たった今は、昭和大帝の意志を継ぐのは、秋篠宮家一家のみとなった。そして、秋篠宮家は内廷皇族と腐敗宮家(高円宮、三笠宮)、外部勢力(創価学会、朝鮮人勢力、部落解放同盟、統一教会等)
から、包囲されて孤立状態にある。助けられるのは、安倍総理と麻生元総理しかいないであろう。秋篠宮家にもしものことが有ったら、天皇制は終わる。韓国と韓国国民、在日朝韓、共産党、部落解放同盟が喜ぶだけである。
戦後、2代の皇太子妃の入内の目的と、効果は、皇室という清浄な泉に、糞尿を投げ込んだだけである。皇統の汚染は極限状態にある。
戦後進んだのは、もう一つ【皇室の利権化】である。代表人物は、高円宮久子で、彼女の入内から始まる。宮家のブランドを数えきれないほどの、利権に変えたのは彼女が最初である。現に直近の園遊会、ビッチの長女、承子を代理出席させ、自分は欠席で「京都賞」出席である。
京都賞の方が、唯一宮家として、優遇されるし、礼金もふんだんにもらえるからである。大嫌いだけど、【宮家ブランドの利権化】としては、頭いいと思う。承子なんか評判が悪くどうせ、まともな公務なんか来るはずはないのだから、コストパフォーマンスの悪い、園遊会程度に出させ、自分は、コス
トパフォーマンスの高い、公務に出ればよい。こんな母だから、承子はぐれたんだと思う。或る意味同情です。
そして、更に利口なのは、昭和天皇没後、次に【絶対権力】を握る女帝に、積極的に近づき、雅子入内の無理を通す功績をあげたこと。【秋篠宮家の産児制限】は女帝だけでなく、この女も紀子妃に面と向かって恫喝したそうである。
東宮が即位したら、皇室は滅び、天皇制は根絶やしになる。形式的には残るが、イギリスのエリザベス女王は、徳仁が、部落民の娘と在日韓国人の子供であることを知っている。
尿漏れパンツをはいている徳仁は、今でも国内では、そっくり返っているが、徳仁天皇、雅子皇后を招待する欧州の王室は無くなる。金を積んで強引に訪英したら、先日の中国の習近平の様に、エリザベス女王は手袋をして、徳仁と握手し、バッキンガム宮殿には、大極旗がはためくでしょう。
習近平の演説を隣の席のアンドリュウ王子は、肘に頭をつけて、目をつぶって聞いた。徳仁がスピーチしだしたら、列席のイギリス皇室は、次々と席を立っていくだろう(笑)外交で大金を積まなければ、徳仁天皇はフィリピンにも呼ばれなくなるだろう。要するに
★徳仁が即位したら、【卑賤被差別民の王朝】ができるだけで、世界中から軽蔑と嘲笑を浴びるだけなのです。ズバリ、【アジアの4流国】に必ず転落します。経済はそのままでも、物を作って輸出するだけの、「エコノミックアニマル」として尊敬されないでしょう。
話しは戻るが、慶應の塾長の小泉信三が、何故、GHQの走狗となって、「正田美智子入内」に邁進したか?クリスチャンとしての原点はあったにせよ。彼は、戦時中に東条英機首相に反抗したために、見せしめに当時海軍だった長男を戦死必至の最前線に配転されて、計画通り戦死させられ
た。戦後、息子の戦死を悼む著作を出しているし。当然、東条を恨んだだろうし、ヒロヒト天皇も恨んだのではないかと推測する。
キリスト教は神道の存在を認めない宗教である。彼が戦前から【隠れ反日クリスチャン】であり、大戦で息子を殺され、【反天皇制クリスチャン】に転向した可能性は強いと思う。
GHQ→吉田茂元総理→小泉信三のラインで動いています。昭和の元勲と言われた大宰相、吉田茂の評価も2017年以降低落は必死です。というか、吉田の評価のやり直しは必至です。サンフランシスコ講和条約直後に憲法改正していれば良かったんですからね。孫の麻生元総理の再登板にも影響しそうです。
そして、最後に
≪女帝のハラスメント(いやがらせ)被害者の被害届①≫
三笠宮信子妃殿下;夫のDVと自身の脳梗塞、喘息で療養し、症状が良くなって、公務復帰を希望したら。
女帝から「雅子が回復するまでじっとしておれ」と様々な嫌がらせをされた。宮内庁職員は長官以下、誰も女帝に逆らえない。逆らうと即日左遷されるからだ。そのままでは絶対復帰は不可能だった。
復帰が可能になったのは、麻生元総理の政治力が働いたとしか思えない。
以上
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前回は茶道の先生から聞いた事でしたが、同じ時期に毛筆も習っていました。
まだインターネットばかりか携帯電話もあまり普及していませんでした。
80代位のお婆さんでしたが、記事に通じる話を聞きました。
美智子様は、皇太子の後、流産をされて、その後別荘で療養と言われかながら隔離されていたようですが、周囲ではもう子供が産めないのではと思われていたそうです。その間に京都で公家の女性が今上陛下のお相手をされていたという話です。これは先生もあくまで噂として話されて
いました。
ただ、その頃美智子様が何度目かの失語症報道の時に、先生は話せない人の顔ではないと断言されました。京都好きな先生でしたから、嘘だとも思えないのです。
≪記事に関係なく私の補足≫
先ほど、数時間ぶりで、コメ欄を見たら、ある馬鹿者から馬鹿な書き込みが有った(笑)
H/N;大馬鹿者;徳仁親王は、入内後10月10日で、出生している。貴君の「托卵説」など、精神を疑う。
私は、瞬間的に秒殺でスパム扱いの削除したが、削除した数秒後、自分の記事の間違いに気が付いた。私のブログは文字ばっかりで、集中して、4時間ほどで記事を作成するので、間違いがないとは絶対に言えない。今回の「大馬鹿者」のお蔭で、重大な間違いに気が付いた。
★佐伯晋が、正田美智子と一夜を共にしたのは、入内の前夜でした。母親があの正田富美だから、娘の排卵日ぐらい計算して、強気のストラングル交渉で、入内日を排卵日の翌日に決めた可能性は相当高い。
その、謀略を、娘と、佐伯に言い含めるぐらい簡単なことである。佐伯は美味しい目にあえるし、商売上、富美の機嫌を損ねて出入り禁止にされたら、社内の出世が止まる。
明日、早朝、入内するという前夜、正田美智子と佐伯晋は、五反田の街の夜に消え、朝まで戻ってこなかった。「昨晩どこにいたかわからない」男と一泊した女の常套句である。父親の英三郎は、富美には逆らえなかったらしいから、事情も聴いておらず、昨晩の行動を確認したのは、英三郎であろう。というか、今の皇族で、誰も女帝に逆らえないように、正田家は部落特有子だくさんであるのに、富美の絶対王政下にあった。
そして、その数時間後の朝が、写真で有名な、正装して、家族に囲まれる、五反田の正田邸の玄関での「お別れのシーン」である。
世界一、権威が有り、2700年も続き、今現在でも、世界皇帝と世界中から尊敬される天皇家の長男に嫁ぐ、「部落成金」の娘が、輿入れ前日に、在日韓国人の佐伯晋に抱かれた汚れた体で、入内したのである。
そりゃあ~十月十日で、先に射精した佐伯の子が産まれるでしょう。
★GHQと日本クリスチャン権力者たち(小泉信三、吉田茂)の間には、【日本皇室根絶】のプランが有った。条件は
①クリスチャンの家のクリスチャンの娘であること。
②天皇制に恨みを抱く部族の出自であること(在日韓国朝鮮人、部落民)
③娘の両親のどちらかが、「謀略」をプランニングし、実行する行動力のあること。
わが母校の先輩、塾長でもあった、小泉信三は、さすがによく、正田美智子という娘と、富美という女ヤクザを見つけ出したものだ。呆れます。小泉は、正田家の家系調査を300年前までさかのぼってやったと自慢するが。さすがに肝心な部分はスルーしている。よく「粉女郎」とか「粉屋のみっちゃん」と揶揄されるが、本人や家族は痛くもかゆくもないだろう。小泉は日清製粉社長令嬢というところで止めて、常磐会や、上流階級、保守国民の「不満の声」をその一点に集中させた。
私が中学生の頃、バリバリ日教組の教師が授業中に「あの女は粉屋の娘じゃ」と吐き捨てていた。批判は粉屋で止まるのである。国民がもっと重大な事実に築くのを見事に食い止めたのである。
よく詐欺師がやる、10個のリンゴのうち、袋の中から、1個の腐ったリンゴを取出し、「値引きしときますから」とわびて、売り、家に帰って袋を開けたら、全部腐っていた(笑)のと同じ心理操作である。
「反対派の不満」を「平民出身で粉屋の娘」で止めたのである。策士小泉信三の大一番である。彼は、婚約が破棄される決定的な条件を確信犯として隠ぺいした。それは
★正田家の本家が、粉屋ではなく、群馬県館林市目車町の【正田醤油】であることを、上手に隠ぺいした。醤油業は千葉県野田市のキッコーマンと同じく、「部落民産業」である。醤油製造工程は物凄い汚れ仕事で部落民を主要労働者としていた。
普通、部落民は、屠畜、解体をやるが、その際に返り血を被る。作業中、醤油を頭から被るのは血を被るのを連想させる。それで、平民がやりたがらず、部落民が従事したのである。
本家【正田醤油】の所在地は、部落出身の大宅壮一賞、受賞ルポライターの、上原善広が現地を踏査し、著作「日本の路地を巡って」で明言している。現地には部落地区を証明する白山神社などが確認できたそうである。
そして、上原が調べたところ、館林市は同地区を【部落地区】に指定していない。理由は「かつて、この地から皇太子妃が出たから」だそうである。現地は今でも如何にも醤油工場の裏らしく、雑然として陰気な地域らしいが、住民を不便にしたのは、皇太子妃が出たからである。
【部落地区】に指定されなければ【同和対策法】が施行されず、道路等のインフラの整備をやってくれない。住民ほどいい迷惑だ。女帝と正田家の「キモ」はここに有るのである。
上記3条件は小和田雅子の時は①が創価学会員の家で、創価学会信者の娘であることに変わっただけだ。
戦後、2代の皇太子妃が入内するたびに、皇室の弱体化が、顕著に進み、雅子入内から、22年たった今は、昭和大帝の意志を継ぐのは、秋篠宮家一家のみとなった。そして、秋篠宮家は内廷皇族と腐敗宮家(高円宮、三笠宮)、外部勢力(創価学会、朝鮮人勢力、部落解放同盟、統一教会等)
から、包囲されて孤立状態にある。助けられるのは、安倍総理と麻生元総理しかいないであろう。秋篠宮家にもしものことが有ったら、天皇制は終わる。韓国と韓国国民、在日朝韓、共産党、部落解放同盟が喜ぶだけである。
戦後、2代の皇太子妃の入内の目的と、効果は、皇室という清浄な泉に、糞尿を投げ込んだだけである。皇統の汚染は極限状態にある。
戦後進んだのは、もう一つ【皇室の利権化】である。代表人物は、高円宮久子で、彼女の入内から始まる。宮家のブランドを数えきれないほどの、利権に変えたのは彼女が最初である。現に直近の園遊会、ビッチの長女、承子を代理出席させ、自分は欠席で「京都賞」出席である。
京都賞の方が、唯一宮家として、優遇されるし、礼金もふんだんにもらえるからである。大嫌いだけど、【宮家ブランドの利権化】としては、頭いいと思う。承子なんか評判が悪くどうせ、まともな公務なんか来るはずはないのだから、コストパフォーマンスの悪い、園遊会程度に出させ、自分は、コス
トパフォーマンスの高い、公務に出ればよい。こんな母だから、承子はぐれたんだと思う。或る意味同情です。
そして、更に利口なのは、昭和天皇没後、次に【絶対権力】を握る女帝に、積極的に近づき、雅子入内の無理を通す功績をあげたこと。【秋篠宮家の産児制限】は女帝だけでなく、この女も紀子妃に面と向かって恫喝したそうである。
東宮が即位したら、皇室は滅び、天皇制は根絶やしになる。形式的には残るが、イギリスのエリザベス女王は、徳仁が、部落民の娘と在日韓国人の子供であることを知っている。
尿漏れパンツをはいている徳仁は、今でも国内では、そっくり返っているが、徳仁天皇、雅子皇后を招待する欧州の王室は無くなる。金を積んで強引に訪英したら、先日の中国の習近平の様に、エリザベス女王は手袋をして、徳仁と握手し、バッキンガム宮殿には、大極旗がはためくでしょう。
習近平の演説を隣の席のアンドリュウ王子は、肘に頭をつけて、目をつぶって聞いた。徳仁がスピーチしだしたら、列席のイギリス皇室は、次々と席を立っていくだろう(笑)外交で大金を積まなければ、徳仁天皇はフィリピンにも呼ばれなくなるだろう。要するに
★徳仁が即位したら、【卑賤被差別民の王朝】ができるだけで、世界中から軽蔑と嘲笑を浴びるだけなのです。ズバリ、【アジアの4流国】に必ず転落します。経済はそのままでも、物を作って輸出するだけの、「エコノミックアニマル」として尊敬されないでしょう。
話しは戻るが、慶應の塾長の小泉信三が、何故、GHQの走狗となって、「正田美智子入内」に邁進したか?クリスチャンとしての原点はあったにせよ。彼は、戦時中に東条英機首相に反抗したために、見せしめに当時海軍だった長男を戦死必至の最前線に配転されて、計画通り戦死させられ
た。戦後、息子の戦死を悼む著作を出しているし。当然、東条を恨んだだろうし、ヒロヒト天皇も恨んだのではないかと推測する。
キリスト教は神道の存在を認めない宗教である。彼が戦前から【隠れ反日クリスチャン】であり、大戦で息子を殺され、【反天皇制クリスチャン】に転向した可能性は強いと思う。
GHQ→吉田茂元総理→小泉信三のラインで動いています。昭和の元勲と言われた大宰相、吉田茂の評価も2017年以降低落は必死です。というか、吉田の評価のやり直しは必至です。サンフランシスコ講和条約直後に憲法改正していれば良かったんですからね。孫の麻生元総理の再登板にも影響しそうです。
そして、最後に
≪女帝のハラスメント(いやがらせ)被害者の被害届①≫
三笠宮信子妃殿下;夫のDVと自身の脳梗塞、喘息で療養し、症状が良くなって、公務復帰を希望したら。
女帝から「雅子が回復するまでじっとしておれ」と様々な嫌がらせをされた。宮内庁職員は長官以下、誰も女帝に逆らえない。逆らうと即日左遷されるからだ。そのままでは絶対復帰は不可能だった。
復帰が可能になったのは、麻生元総理の政治力が働いたとしか思えない。
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