今回も転載等自由ですが、出所だけは明記してください。
前提として、朝日の建前論である地球市民として奉仕しなくてはならない。
安部総理の進めようとしている集団的自衛権はアメリカに巻き込まれて危険だ。
その二点を基軸に書いていきます。
それだけだと、現状との解離批判をされる事を考慮して、逃げを打つと空想仮定を挿入して、ただ、現実的問題として、日米安保があるので、それを抑止的に扱う提言を行う。
他国に対して、集団的自衛権を抑止的に行う方策も示す。
その二点も前提に使います。
それを踏まえた上でさらに過激な結論に持っていきます。
最近、集団的自衛権の容認で日本国は大騒ぎしている。賛成派は日本の防衛が容易になるといい、反対派は意図しない戦争に日本が巻き込まれる。アメリカの都合で磨り潰されると言っている。
私は、反対派だ。安部総理が進めようとしている集団的自衛権を認めると、アメリカの国家政策の駒として利用される可能性が高く、日本の独自性が大きく損なわれる。また、集団的自衛権の行使の名目で不適切な戦争に加担する可能性もあり、とても容認出来るものではない。よって、集団的自衛権は認められない。
これを読まれた反対派の方は、日本はいつも通り、専守防衛という個別自衛権の行使のみを認めておけば良いと結論づけておられることだろう。
国連の安保理決議による海外派遣やソマリアでの海賊狩りも集団的自衛権の発露だから、この際止めさせようと思った方もおられよう。
だが、ちょっと待って欲しい。
私は、集団的自衛権には原則反対であるが、集団安全保障には賛成している。この二つをごちゃ混ぜにしてはならない。
安保理決議による海外派遣やソマリアでの海賊狩りは、集団安全保障に基づく活動だから、反対していない。
どちらも複数の国が関わるから同じように見えるが、中身は全く別物である。
集団安全保障は安保理や国連の総会の決議、国連総会により決められた条約に基づき実施される。
国連には、世界のほとんどの国が参加している。国連に参加している国々の政府は国民を代表している。国民の代表が集まり世界の問題を討議する場は、諸国民の代表と考えられないだろうか。
言い替えると、国連とは地球市民の代表。国連の決定とは、地球市民の総意と言えないだろうか。
つまり、集団安全保障とは、地球市民の総意による恣意性が薄い行為である。
対して、集団的自衛権は一部の国家の意志に基づくために恣意性が非常に高い。
よって、集団的自衛権には、反対である。
私は、日本は集団安全保障にさらに積極的に参加するべきだと考えている。
かつて、湾岸戦争において侵略されたクゥェートは、多国籍軍により、解放され、善良な地球市民であるクゥェート国民は救われた。
この正義の戦いに参加しなかった日本は散々に批判されたことを私は、悔しく思っている。
この轍を踏まないように、集団安全保障に積極的に参加できるようにしていく事が地球市民である日本人に課せられた使命ではないだろうか。
具体的には、多国籍軍や国連軍への参加解禁やPKOでの他国の救援容認などがあるだろう。
さて、最後に集団的自衛権について書いていこう。
私は、原則反対派だが、容認する条件がある。
昨今の事情から、集団的自衛権を行使しない事は批判される状況になって来たので、絶対に反対とは言えないので、言っておく必要があるだろう。
現状として、日米安保に基づく米軍の活動は、日本国土の防衛であり、専守防衛に反しない形での、日本国防衛の援助である。
これに基づくと、条約を互いに結んだ場合は、正当な集団的自衛権の行使の条件が成り立ったといえる。
故に条約をきちんと結び、相互の正当な領土の保全に関する限り、賛成である。
よって、アメリカを例に取るが、アメリカが攻撃された際には、アメリカ領に派兵して、専守防衛に徹する事は全く問題ではない。
それ以上は、してはならないし、するべきではない。
これが私の結論である。
決して、アメリカの要請に従い、無条件に協力してはならない。
味方の味方だから行けというしょうもない理由から、人を送る事は避けたいものである。
以上
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harunohi807@gmail.com
前提として、朝日の建前論である地球市民として奉仕しなくてはならない。
安部総理の進めようとしている集団的自衛権はアメリカに巻き込まれて危険だ。
その二点を基軸に書いていきます。
それだけだと、現状との解離批判をされる事を考慮して、逃げを打つと空想仮定を挿入して、ただ、現実的問題として、日米安保があるので、それを抑止的に扱う提言を行う。
他国に対して、集団的自衛権を抑止的に行う方策も示す。
その二点も前提に使います。
それを踏まえた上でさらに過激な結論に持っていきます。
最近、集団的自衛権の容認で日本国は大騒ぎしている。賛成派は日本の防衛が容易になるといい、反対派は意図しない戦争に日本が巻き込まれる。アメリカの都合で磨り潰されると言っている。
私は、反対派だ。安部総理が進めようとしている集団的自衛権を認めると、アメリカの国家政策の駒として利用される可能性が高く、日本の独自性が大きく損なわれる。また、集団的自衛権の行使の名目で不適切な戦争に加担する可能性もあり、とても容認出来るものではない。よって、集団的自衛権は認められない。
これを読まれた反対派の方は、日本はいつも通り、専守防衛という個別自衛権の行使のみを認めておけば良いと結論づけておられることだろう。
国連の安保理決議による海外派遣やソマリアでの海賊狩りも集団的自衛権の発露だから、この際止めさせようと思った方もおられよう。
だが、ちょっと待って欲しい。
私は、集団的自衛権には原則反対であるが、集団安全保障には賛成している。この二つをごちゃ混ぜにしてはならない。
安保理決議による海外派遣やソマリアでの海賊狩りは、集団安全保障に基づく活動だから、反対していない。
どちらも複数の国が関わるから同じように見えるが、中身は全く別物である。
集団安全保障は安保理や国連の総会の決議、国連総会により決められた条約に基づき実施される。
国連には、世界のほとんどの国が参加している。国連に参加している国々の政府は国民を代表している。国民の代表が集まり世界の問題を討議する場は、諸国民の代表と考えられないだろうか。
言い替えると、国連とは地球市民の代表。国連の決定とは、地球市民の総意と言えないだろうか。
つまり、集団安全保障とは、地球市民の総意による恣意性が薄い行為である。
対して、集団的自衛権は一部の国家の意志に基づくために恣意性が非常に高い。
よって、集団的自衛権には、反対である。
私は、日本は集団安全保障にさらに積極的に参加するべきだと考えている。
かつて、湾岸戦争において侵略されたクゥェートは、多国籍軍により、解放され、善良な地球市民であるクゥェート国民は救われた。
この正義の戦いに参加しなかった日本は散々に批判されたことを私は、悔しく思っている。
この轍を踏まないように、集団安全保障に積極的に参加できるようにしていく事が地球市民である日本人に課せられた使命ではないだろうか。
具体的には、多国籍軍や国連軍への参加解禁やPKOでの他国の救援容認などがあるだろう。
さて、最後に集団的自衛権について書いていこう。
私は、原則反対派だが、容認する条件がある。
昨今の事情から、集団的自衛権を行使しない事は批判される状況になって来たので、絶対に反対とは言えないので、言っておく必要があるだろう。
現状として、日米安保に基づく米軍の活動は、日本国土の防衛であり、専守防衛に反しない形での、日本国防衛の援助である。
これに基づくと、条約を互いに結んだ場合は、正当な集団的自衛権の行使の条件が成り立ったといえる。
故に条約をきちんと結び、相互の正当な領土の保全に関する限り、賛成である。
よって、アメリカを例に取るが、アメリカが攻撃された際には、アメリカ領に派兵して、専守防衛に徹する事は全く問題ではない。
それ以上は、してはならないし、するべきではない。
これが私の結論である。
決して、アメリカの要請に従い、無条件に協力してはならない。
味方の味方だから行けというしょうもない理由から、人を送る事は避けたいものである。
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