Q3;歌手の尾崎豊の変死は、創価テロリストによるものでしょうか?変死の前年、創価は日顕上人により破門され、尾崎の家族は正宗に改宗しましたが、妻は創価に残りました。
若者のカリスマだった尾崎が脱会するのを池田が信者の減少につながると危惧したという情報があります。
A3;尾崎を殺したのは女房の繁美の男友達(創価信者)だ。原因は尾崎が離婚しようと思っていたために繁美は自分が印税を取るには殺すしかないと思ったからだ。
尾崎の歌の歌詞を見ていると、創価批判とも受け取られる内容が多々見られたので、正直我々も脱会者が増えるのではと脅威を感じていた。繁美が直接名誉会長(池田大作)に直訴し
名誉会長が組織決定し、ゴーサインを出したと聞いている。
尾崎のあの出鱈目な「検視報告」を書いた支倉逸人については、もう言わなくてもわかるだろう。≪ザ・完全犯罪≫
1992年4月25日早朝当時の尾崎の自宅であるマンションから約500メートル離れた、足立区千住河原町の民家の軒先に
全裸で傷だらけで倒れていたところを住人に発見され、5時45分ごろ、通報で墨田区内の白鬚橋病院に運び込まれる。
診察した医師は「生命に関わることも考えられるので、専門医に見てもらった方がいい」と診断したが、尾崎は妻と兄ともに自宅マンションに戻る。
しかし、10時ごろになって容体が急変、呼吸が止まっているのに気がついた家族が約1時間後の11時9分に119番通報。
搬送先の日本医科大学付属病院で手当を受けるも、午後0時6分に死亡した。≪当初の公表と死体検案書との乖離≫
初めは、事件性がないとして行政解剖が行われる予定だったものの、千住署、警視庁、検察庁が前日夜に協議した結果、
全身にすり傷があり右目の上にコブもあることから、司法解剖に切り替えられ、午前10時から東京監察医務院の医師らによって検視、
その後解剖が行われた。その結果、死因は肺に水がたまる肺水腫であると発表され、極度の飲酒によるものだと考えられた。
しかし、1994年、尾崎の体内から検出された覚醒剤に言及した司法解剖の結果が記載された「死体検案書」のコピーがマスコミに流出すると、
当初報じられた司法解剖の結果に疑義が呈された。≪司法解剖医による見解≫
検死を担当した支倉逸人によれば、尾崎の死因は肺水腫であることのみを発表し、肺水腫の原因が覚醒剤中毒であることは伏せられていた。中毒は経時的な悪化によるものではなく、大量の覚醒剤服用(オーバードース、薬の多量摂取)による急性メタンフェタミン中毒が引き起こした
肺水腫と結論付けられている。内臓も覚醒剤を経口摂取した形跡があり、肺にも覚醒剤中毒の症状が見られたという。
≪他殺の疑惑≫
尾崎の遺体には全身の殆どに多数の傷やあざがあり、亡くなった当初は傷害致死の可能性も指摘された。
しかし警察は、状況捜査や司法解剖を行った結果から「事件性なし」として調査を終結している。
検死をした支倉逸人の著書によれば、擦過傷と打撲傷をじっくり調べた結果、他者からの暴行によって生じるものとは異なる状態であったとの記述がある。
またそれを裏付けるように尾崎が転倒したり暴れて転げ回っていたという証言を警官が確認しており、
このような異常行動は覚醒剤中毒者によく見られるものである。なお、支倉によれば頭部に小さな外傷性くも膜下出血も確認されているが、
極めて微量の出血であり、死に至るほどの重症ではなかったと言う。
1994年にはテレビ朝日が、流出した「死体検案書」のコピーやジャーナリストが取材した結果を元に妻と知人が覚醒剤を飲ませて殺害したとする説を主張、
尾崎の死を検証する番組を製作した。ところが尾崎の妻がテレビ朝日と記事を執筆したジャーナリストを相手取り訴訟を起こしたため番組はお蔵入りとなり
放送されることはなかった。結果は原告の尾崎の妻が一審・二審・最高裁全てで勝訴した。(テレビ朝日は一審判決後原告と和解)。
7年後の1999年には週刊誌『フライデー』に蘇生措置を施されている尾崎の写真と死体検案書が掲載された。
しかしこの記事は検死を行った支倉に対して一切の取材を行わずに書かれたものであったことが著書で述べられている。
支倉は著書内で、覚醒剤の致死量は個人差が大きく、薬殺の手段として用いるには酒と同じくらい不確実性が高いと述べている。
*写真は尾崎豊
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